諸行無常

諸行無常
「世界のあらゆる事物は常に変化し続けるもので、永遠ということはない」

永遠は無い事を人は無意識に知ってるもので、特に気にしてるのが「老い」に対してだと思う。この老いに対しては過敏すぎる程に反応する人が多く、「老けたね」という言葉はタブーであって、多くの人が「禁句」の内の一つに入れてると思う。

僕は日本にいてもいわゆる童顔の類らしく、容姿と年齢が結びつきにくいらしい。特に海外ではアジア系はほぼ幼く見えるらしく、ひどくなると10代の人から「Baby」と言われる事もあるわけで。
「こんなところに一人できたの?親は?」と心配されることも多いが、年齢を言うと「なんてこった!嘘だろ!(アメイジング!)」と驚愕のリアクションを受けるのも今は慣れたが、昔はそのリアクションにムッとする事の連続であった。
そう見られるのが嫌で髭を伸ばしたりもしたが、綺麗に生えなくてあまりにも不自然で断念。
なぜか丸坊主にしようともしたが、海外だと色々と危険な事が増えるとも聞き、それも断念。

「大人っぽく見えるってなんだ?」と悩んでいたけど、逆で悩んでる人も多い事に気づく。
「老け顔」で悩む人にとっては、僕の悩みなんぞ「贅沢」と思うらしく、僕からすれば逆に年相応に見られる事が羨ましくてしょうがない。
つまり「ないものねだり」の中をぐるぐるとしていたわけで、そういう「ないものねだり」が世の中に渦巻いてる事を過敏に察知してサービスとして売り出す。それが商売上手なんだろうとも思う。特に老いに対してのサービスが最も多いらしく、それは昔々から錬金術によって「不老不死」を研究していた頃から今も続く永遠のサービスのテーマなのかもしれない。
そう思うと、永遠が無い事を知りながらも永遠を求める矛盾の輪の中で、サービスを思いつく人たちの凄さを改めて感じる。
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」
昔の人はなんて世の理を言葉に表すのが上手いのだろう。。。

サービス

最近まで少しの間、しっかり許可をとりながらチームで素材研究の為に森の中にいた。
目的の場所につき、その素材が自然の中でどういう環境で芽吹き蔓延っているのか様々な角度から写真を撮り、帰って研究する。
そして実際にその素材をどういう具合に材料として組み込み、建築に生かせるのかを模索する。
京都迎賓館の正面玄関には、樹齢700年の欅の一枚板を使用しているけど、それも欅の特性や特徴を知り尽くしてるからの成せる技であって、無知な者があんな見事な正面玄関を思いつくわけがない。
それと同じと言っては失礼だけど、素材を素材を素材を知り活用できるまで研究するのが今回の僕達の仕事なわけで、今もPCの前に座り計算の毎日を過ごす。

ただ、今まであったものを応用して活用すれば、こんな面倒な事をしないでもいいし、する必要も無い。でもする必要があると思うのも、よりよいサービスを提供したいと思うのと同じで、これは建築とか関係なく、そんな特別な事でも無いと僕は思う。
「よりよいものを求め研究し実用させていく」といった、ごく当たり前の事を当たり前に行おうとするから、僕はそこに魅了され組織の一員として参加させてもらっている。就職しているというよりも、そっちの感覚に近い。

システム

「よりよいものを求め研究し実用させていく」。これはシステムを作成するプログラマーの仕事と一緒で、ようはコマンドを打ち込みアプリを制作してサービスとして提供する作業と同じと言える。

システムといっても、完璧なシステムなんて人間が考えても制作できるわけがない事も知っている。
万全を期したシステムを構築したとしても、不測の事態に備えた安全策が必要で、万が一の柔軟な対応や機能不全の応急処置などの備え。そういった準備まで含めてシステムは完璧なものとして成立する、と言われている。
つまりシステムは、完璧に機能することよりも完璧だと信頼され続ける事の
方が重要とされ、だからこそ対策チームやカスタマーセンターなどが存在する。
様々なシステムの流れを把握しながら、それらをまとめてサービスとして提供するまでにどれくらいの時間がかかるのかは、僕にはわからない。
でも、今すべきことのリミットは把握してるので、それに集中すべきなんだろう。システムという大きな歯車の一つとして。

森の中

うだうだとここまで意味不明な事を書いてるのも、計算の途中で休憩しながらコーヒーを飲み頭の中を整理する為に書いている。

森の中にいて一人寝そべりながら目の前にある木を眺める。聞こえるのは風に揺れる葉がこすれる音や、虫や鳥の鳴き声のみ。そういう環境にいると、いつも森の中にいてもただの木の集まりの中にいる事を実感するわけで。
つまり、僕たちは森でなくただの一本の木の集まりを制作しようとしている。森というシステム全体を一人で作るなど無理な話で、一人一人が一本の木を制作し、その集まりがシステムとなる。だから、僕たちは常にシステムの末端にいる事を知る。そして人々は、そういった末端を通してのみ大きなシステムを認識し理解する。

システムの信頼性とは、いかに末端が適正に機能してるかで判断される。

「森を作ろう」なんて思っても無謀な話で、僕たちはあくまで一本の丈夫な木を作る事に専念する。そういう事を森や海の中にいると、感覚的に思い知らされるというか自然に実感させられる。時々「森を作りたい」なんて無謀な思いを改めさせてもくれるから、自然の中に身を置く事を今も続けていると。
鋼の錬金術師でないけど、「一は全、全は一」に近い感覚を肌で実感させ教えてくれるのは、やっぱり地球なんですな。

リコピン

システムだろうが老いだろうが何だろうが、世の中に不変であり不滅なものは無い。諸行無常の響きを時々確かめたりしながら、毎日の日々を送る。
肌が白いや皺があまり無いなど「お前本当に30歳か?」と聞かれたとしても、毎日の生活の中で知らずうちに繰り返していたことが、その原因と言えるのかもしれない。
肉や魚よりも豆腐が好きな特異な性質や、アーモンドが好きだったり、毎朝トマトジュースに大さじ2杯ぐらいのオリーブオイルを入れて飲んでる事もある(リコピンが増えるらしい)。
美容のためだとか一切思ってもいないでただ好きでやっていた事が、自然と美容につながっている事もある。日常から生まれる偶然が美容につながってるなんて面白い話だけど、ようは「夜更かしや「食べ過ぎなど美容によくない事もハッキリしてんだから、それをしなければいいだけだろ。」と答えてると、いつも「冷たい!秘密を教えろ!」としつこく迫られたり怒られるので、最近はトマトジュースにオリーブオイルを入れる事をお勧めする技を身につけましたとさ。

不老や不滅が無い事を実感するからこそ、準備をしっかり行い老いに対抗しようとする。それはシステムを構築するのと同じで、物凄く大切な感覚なんだなと、最近改めて思うよう様にもなるが、でもやはり10代の人間に子供扱いされる事だけは許されんのである!

何の話や?

PCがカタカタと計算してくれてる間にウダウダと思った事を書いていたが、漫画が読みたいしゲームもしたいし映画も見たい。
今はエヴァが観た過ぎる欲にかられてるし、先日高校野球部時代のマネージャーから選抜甲子園の報告が来たりして、観に行きたいな~なんて事もふと思う。ようは早く終わらせろ!である。
うん、何の話や?で終わります。


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