見出し画像

「浮遊霊」、25年を経て、ようやく自らの実体に気づく。

先週、中学・高校(一貫校に通ってたのです)の同窓会行ってきたのですよ。最初にきっぱり言いますと、とても良かった正直だれも覚えてないんじゃ、と怯えながら、おそるおそる、行ったのですが、とにかく行って良かったのだった。

というのも、思春期の長い長い6年間、とくに深くクラスメイトと関わった事もつるんだ事も、ない、わたし。どっちかというと芝生と図書館でぐーたらしてるのが日課で。(ゆるーーい校風だったのです)そんな生徒で、しかもかなりの地味キャラ。
ところが、皆が意外な程覚えててくれた。さらに、会の後半は椅子に座ってみながワイワイしてる様子をただ傍観してたのね。でも、昔もこんな感じの関わり方だったけれど、実際は「傍観者」というのも「大切な関係性の1つ」として皆、尊重してくれてたんだねと25年経ってようやっと、理解できた。

だって、皆、無関心でわたしに接するのではなく、何やってる?どこ住んでる?といろいろ聞いてきたし(ちなみに、ライターとギャラリーやってるよと言うと大変面白がられた)それを「●ちゃん(旧姓)らしいねぇ」と言われたり…。そーか実は皆、わたしのこと見ててくれたんだ…没交渉でも…と思わされる事多数で、目から鱗。

そういえば、そこで思い出したけど、自分は存在感が無いと高校時代ホント苦しんでたのだった。それでも気にかけてくれる人もいるのも薄々は分かってて、そこで国語の時間に「自画像」というお題の作文を「浮遊霊」というタイトルで書いたんだった。「ふらふらとその身を定めることを知らず、浮遊霊は今日も宙をさまよい続けていた。…」そんな書き出しだったように思う。それは居場所を求め続け、でもどこにも見つけられずに日々戸惑っていた18歳のわたし。そして、誰にも見えてないと思ってる浮遊霊=わたしが、どうせ見えないならと、ここぞとばかりに人間にちょっかい出し続けるんだけど、最後に「首根っこ」掴まれて「ずっと見えてたさ」と皆に言われる内容で。

そうあってほしい、と、皆に思われていたい、と思って書いた作文。
最後の台詞は最大級の救いの台詞だなと書きながら思ってた。

でも、同窓会で皆覚えててくれて、いろいろ話して、接して、あぁ、見えてたんだな、わたし、浮遊霊じゃなかったと漸く25年を経て理解したそう、あの最後の救いの台詞は真実だったと「ずっと見えてたさ」。あの台詞を、だれもが無言で、でも異口同音でビシバシ伝えてきたのだった。
こうしてわたしは43歳にして、浮遊霊を満を持して卒業したのであった。

それはいわばご褒美のような日。
卒業おめでとう、わたし。
生きてて良かったね、わたし。大袈裟じゃなくてさ、心からそう言うよ。
そして、これからは、ふわふわと宙をさまよう浮遊霊としてでなく、この「足」で、より力強く、人生を歩くのだ。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。