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「場」を作りたい。「種」を蒔きたい。〜恩師 H先生が教えてくれたこと〜

我が、ちいさな雑貨ギャラリー プラムツリー、2周年企画でもあった【Plum Tree】企画展「夏草の園庭 空想薬草園2」は好評のうち終わり、ひと息ついた途端に、体調不良が山のようにふりかかり、2日で医者5軒ハシゴ、なんて無茶をやらざるを得ない、作れもしないのに無類のハンドメイド好き、自称ハンドメイド変態ツルカワです。

でも「空想薬草園2」はたいへん実り多かった展示で、振り返るとそれこそよき薬草の効能を、こころに感じるのだけど…そのことはブログのほうに書いたから、以下のリンクから読んでいただきたく存じます。

で、今日は何を書きたいかというと、わたしのしたいこと、のルーツはなんだったか、どこでその想いを育んだか、影響を受けたか、という話です。

というのも、展示の中休みの日。
珍しくツルカワ、テレビを見ましてね。(テレビ嫌いなので、我が家のテレビは単なるBlu-ray再生装置と化しています)で、何を見たのかというと、NHK教育テレビ、、、あ、いまはEテレっていうの?…とにかく、そこにチャンネルを合わせまして、ハートネットTVという番組を見たのです。

なんでかというと、その数日前、高校のクラスメイトから
「担任だったH先生が出演するってよ!再放送だけど見ようよ!」っていうメールが来たのです。
先に書いたように、先日同窓会がありまして、そこでわたしは自分が浮遊霊でなかったことを知った(下のnoteをご参照ください)タイミングだったので、そのH先生の動向はあまり気にしていなかったのだけど(H先生は同窓会に参加しなかった)見ることにしたわけです。

というのも、H先生は、ツルカワが卒業後、母校を辞めて、沖縄に行ってしまったのです。その理由はなんと「新しく学校を作りたいから」。正直…それを知ったとき、らしいな、と思いつつも、でも「なんだよーもっと母校でやることあるだろーが、寂しいじゃん、卒業したわたしたちのことはもう良いのかよ」という気持ちがあり、なんだか、素直になれない自分がおりました。それでも沖縄に行ったとき、連絡したら、快く沖縄本島をドライブに連れていってくれたりしたんですけどね。でも、今もなんか、寂しい想いがこころに漂っていたのです。

なので、H先生は、沖縄で不登校の子らを対象にしたフリースクールを作ったらしいと知ってはいたけど、それ以上知る気にならなかったのでした。彼は彼で好きにやってるなら、いいじゃない、と。

ところがです。H先生のやってることは、それだけじゃなかった。テレビで映されたのは、沖縄戦などで学齢期に学校に行けなかったおじいさんやおばあさん(沖縄風にいえば、おじいとおばあ、ですね)のための自主夜間中学を作っていたのです。黙々とでも楽しげに、勉強に取り組むおじいやおばあ、時には子どもたちも授業に混ざって教えたり、教えあったり。もうその姿は輝いていて、感じ入ることはたくさん。

学ぶということは世界を広げること、知識、教養を得ることはこんなに尊くしあわせな事なのか、いやぁ、自分はこんなに真剣に学んでかなかっな、学びを粗末にしていたな、とか…
とにかく、番組見終わる頃にはテレビの前に正座して、ただただ、驚嘆してました。「H先生、すげぇことやってたんだな…」。舌を巻きました

「すごい場を作ったな、学ぶ、という目的の場を作って、多くの人をしあわせにして、繋げていってる仕事をしてるんだな、こりゃすごい価値あることだわ…しかもそれを一から作りあげたんだな…なかなかできないことだよ。参ったな…すごいよ…」

番組終わってもしばらく動けませんでした。なんかね、もう、衝撃というか刺激的すぎて。その日はなんだか、展示中なことも忘れてぼんやりその衝撃に浸ってしまうツルカワがいました。そして自分がとてもとてもちっぽけな存在に思えて仕方ありませんでした。

でも、次の日、ギャラリー開け、展示を再開して、作家さんとお客さまと相対しているうちに、自分が昨日なんでそこまで衝撃を受けたか気づき、ハッとしました。

ここも場なんだ、と。
そうか、わたしも「場」が作りたいんだ。
ハンドメイド作家さんとハンドメイド作品を通じて、多くのひとが交差し繋がっていく場が、この「ちいさな雑貨ギャラリー プラムツリー」なんだ。
わたしはだからギャラリーをやっているんだ。と。

そう、規模はまったく敵いませんが、わたしもH先生と同じようなことを、知らず知らずのうちにやっていたのです。自分がちっぽけに感じたのは、その目指す場の姿として足りないものを、いろいろ無意識のうちに、考え込んでしまっていたからなのでした。

それに気づいてからは、もっと頑張ってみろよ、と、H先生の声援が背中から飛んできたような気がして。シャキッと背筋が伸びました。あぁ、負けてらんないよな、もうおじいさんの先生があれだけすごい場を作っているなら、わたしだって、もっとできることがあるはず、と。そして、多感な思春期、担任だったH先生には、知らず知らずのうちに、なんらかの影響を受けていたのかもしれないな。とも。

…だったら、ツルカワもそうやって生きていきたい。ハンドメイドという世界の可能性と豊かさを紹介していくことで、誰かに種を何かの種が蒔きたい。社会になんらかの種を蒔いていきたい。それこそ子どもには恵まれずとも、ツルカワが生きた証が遺るというもの。イコール、生きる意味があるというもの。

さぁどんな「場」を作っていこうか。
ハンドメイドという世界を通じて
さぁどんなふうにひとを持って繋げていこうか。
さぁどんな種をだれに、どこに、蒔こうか。

今それを考えると生きる力が湧いてくるツルカワです。
生きるのが楽しいツルカワです。
そして、きっとH先生も、そうなんじゃないかなぁ、と想像するのです。
H先生、ホントにありがとう。
この場でささやかに、あなたの勇姿を、そして受け継がせてくれたものを、讃えたいです。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。