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夫と子供と私の話③

子供の誕生日の数日後、夫の入院日が決まった。

出先で倒れ込んでしまった事はその後もあった。
その時は通りすがりの人に助けてもらい難を逃れたが、夫はもう自力では起き上がれない位筋力も落ちていた。
気が付けばかなり痩せて、いつも着ていたジャケットが少し大きく感じられた。

夫の外出には杖は欠かせなくなり、通勤にはタクシーを使うようになった。

「こんな贅沢してたら電車通勤に戻れなくなるかな」と不安そうだったけど、
「何言ってんの。無理が一番怖いんだから、今のタクシー通勤は贅沢でなんでもないよ」と返したら安心したようだった。
そこまでして会社に行くのか、という感じだけど、自分が代表の会社で、旅行と並んで仕事もまた夫のアイデンティティだった。

入院直前の週末は、夫は朝から夜中まで椅子の上で寝ていた。
「布団に入ったら」と言っても「それは嫌だ。家族と一緒にいたい」と言って聞かず、土曜日はお昼ご飯は何とか食べ、夜には半ば強引に牛乳を飲ませたが、日曜日は何も食べなかった。

ずっと寝ている、寝ていると言うよりほとんど意識を失っている。
不安がピークに達した私は眠る夫の手を握り、「このままじゃ死んじゃう」と泣いてしまった。
夫はパッと目を覚まし、「いや、俺は死なないよ」と力強く答えてくれた。優しかった。

旅行も出張も入院も多く、その全ての準備を当たり前に1人でこなしてきた夫。
私は15年一緒にいて初めて夫の入院準備をした。

明けて月曜日、とうとう入院の日。
タクシーで病院に向かう。
病室に入った途端ベットに倒れ込む夫。
しばらくして担当医から治療の説明があり、さらに担当看護師から今後のスケジュールについて説明があったが、その間夫はほとんど意識がなかった。
受け答えも怪しく、相手が言った事とは全然違う答えをしたり、相手の言っている事も正しく理解できていない様子だった。

血液検査の結果、貧血がかなり進んでいて、ヘモグロビンの数値が通常の人の半分程まで落ちていた。
また、癌が進行していくと血中のカルシウム値が高くなり、それもまた意識をぼんやりさせてしまう原因との事だった。

ヤバイなぁ、と思いつつ、子供のお迎え時間になったので病院を後にした。

私が帰ってすぐに輸血とカルシウムを抑える薬の点滴の予定だって看護師さん言ってたし。
子供が寝るくらいの時間には頭もハッキリしてメールくれるかも。

そんな風に考えていた私は、今にして思うと相当呑気だった。

実家から最強助っ人の母も来てくれて、子供と3人のんびり夕飯を終え、お風呂も入ってさあ寝るか、というタイミングで。

病院から電話が来た。

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