見出し画像

日本遺産認定〜福滋の鉄道遺産を巡るその1

みなさま、こんにちは。
観光敦賀キャンペーン隊の坪井麻衣です☺️

皆様にお伝えしたい!ふかーい内容なので、ぜひ長編でご覧いただきたいと思い初ブログ投稿です✒

さて、すでにご存じの方も多いかとは思いますが、
福井県敦賀市と同県南越前町、滋賀県長浜市の二県三市町が文化庁に申請していた

「海を越えた鉄道~世界へつながる鉄路のキセキ」が令和2年6月19日に「日本遺産」認定されました👏

敦賀市は平成29年に認定された

「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」

に続き、2件目。

「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
 ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。    
[文化庁ホームページより]

これに認定されたということは‼️
ますます、この歴史、この文化財を発信していかなくては‼️💪✨という事で、
観光ボランティアガイドつるがの増田会長さまにご案内していただきながら、

「福滋県境鉄道遺産回廊」と「旧北陸線廃線跡」👀❕

長浜−敦賀−今庄を結んだ列車の跡を見学してまいりました🚃

この日本遺産はトンネルだけでなく、鉄道の遺跡となるものも含まれています。たくさんある中で、2つを簡単にご紹介。

『 眼鏡橋 』
 現在車道である敦賀市街地の8号線は、元々は列車の線路が敷かれていました。
駅は当時、氣比神宮の横にあったのです。神聖な神社の横になぜ、駅が作られたのか?

その時代は市街地より向こう側は田園地帯だったので、駅を組むにはその場所しかなかったようです。

その田園を通り、旧敦賀駅に向かうため、滋賀方面からくる電車は、水路にかけられた明治14年竣工の強度を保つためのアーチ型の二つ構造で作られた、レンガ造りの「眼鏡橋」を通っていました。

現在、敦賀市の鉄輪町に、ひっそりとその眼鏡橋の一部が残っています。市街地を通る列車の鉄道遺産としてはとても古く価値のあるものなので、
(旧北陸線草創期の鉄道遺産)ぜひ、訪れてご覧いただきたいスポットです。

しっかりとした構造を見たい方は、敦賀市疋田(ひきた)の疋田橋にも眼鏡橋が残っていますので、そちらをご覧いただくとわかりやすいかと思います。

そして次に
滋賀県伊香郡余呉(よご)町にあります
『 中之郷(なかのごう)駅 』跡

住民の乗降駅として明治15年に完成。

急勾配の柳ケ瀬を越えるための補機(押し出す列車)を付け替える為に、全ての列車が停車したので、たくさんの人で賑わった重要な駅でした。
 
明治の北陸本線での活躍から昭和32年に柳ヶ瀬線所属に変更され、その後昭和39年に廃線。

現在はプラットホームの一部が残されており、この跡地は鉄道遺産として保存されています。


 今回は時間の関係で訪れることができなかったのですが、敦賀の疋田(ひきた)に同じ年に開業した、旧国鉄「疋田(ひきだ)駅」のプラットホームの一部が残されています。駅舎側のホーム部分の石組みが90cmほど現在も道に残っています。

 では、巡ったトンネルについて順番に詳しく説明していきたいと思います🎆

まず私達が向かったのは、長浜-敦賀間を結ぶ
『柳ヶ瀬トンネル』です。

明治13年に敦賀と長浜側と両端から同時工事を始めました。この土地は湧き水が多く、地盤が軟弱で、日本の工事でダイナマイトが使われるもののロックドリルが上手く使用できずに、つるはしとのみでの手掘りで少しずつ進めていたようです。

工事は難航し、完成までに4年の歳月を要し明治17年に開通しました👏✨  

レンガ造のアーチ型で、全長『1352m』と完成当時は国内最長でした。
断面が狭小な日本の初期のトンネルの特徴を持っています。

この難工事を経て、山岳地帯を克服したトンネル建設の歩みと物語は、全国の鉄道網形成に貢献したとして、平成20年に「経済産業省 近代化産業遺産」に認定されました。

「土木学会選奨土木遺産」にも認められています。

廃線により昭和39年に廃止。国鉄バス専用の、
道路トンネルに転用されました。

現役のトンネルとしては国内で二番目に古いトンネルで、現在は自動車用道路として利用されています😊🎆(大型、徒歩、自転車は通れません)

 そして、完成時に柳ヶ瀬側からの入り口上に
「この鉄道が長く世のためになる事を頼む」
という意を込めて、

伊藤博文が揮毫した
「萬世永頼(ばんせいえいらい)」という扁額が掲げられました。

複製は現トンネル付近にありますが、現物は滋賀県の長浜鉄道スクエアに展示されています。

現在は信号機がつけられ、交互の一方通行です。信号が赤から青になるまで約6分半かかります☺️ 

トンネル内ですが、車で通っていても上にのぼっていってるのが感じられました。

当時、福井から滋賀方面に行く電車は、柳ヶ瀬は列車を苦しめる25パーミルの勾配があったために、刀根駅にてスイッチバックを使っていました。

難所と言われていたのが体感的に少し納得できた気がしました。

写真を見ると少し上に上がっていってるのがわかりませんか?

更に、柳ヶ瀬トンネルが機関士を悩ませます。

煙問題です。トンネル内が小さく、機関車が吐き出す煙に機関士だけでなく、乗客も悩まされていました。

そして、列車の空転から、大事故が起きます。

昭和3年に、上りの貨物列車が柳ヶ瀬トンネル内の25m手前で停止してしまい、救出作業の間に煙を吸った乗務員や救護員が窒息死する事故がおきてしまいました。その事故からこのトンネルは「魔のトンネル」と恐れられていたようです。

その後、同じ事が起きないようにと列車の中に集煙装置を設置。昭和8年柳ヶ瀬トンネル内に排炎装置が設置され対策が施されました。

難所を乗り越え開通させた努力の賜物であり、大きく鉄道に様々な変化や進化を起こしたトンネルが、生活の一部として現在も一般利用されながら残っているということは、とてもすごいことだな、と感じています🥺‥✨

そして、次に向かったのは、敦賀市刀根方面です。

刀根には、旧北陸本線の「刀根駅」がありました。
初代は明治15年に開業し、わすが3年で廃止。
その後、大正2年に信号所として開設されました。

信号場(しんごうじょう)とは、鉄道路線において分岐器(ポイント)や信号設備が設けられていて、運転扱いは行われるが、旅客や貨物の取扱を行わない停車場です。
[ウィキペデアより]

集落の中心に駅があったため、大正5年に一般の駅に昇格。昭和32年に北陸本線から柳ケ瀬線に変更され、昭和39年に北陸線のルート変更により廃止されました。

刀根駅のあった所は、現在の北陸高速道の刀根PA辺りです。

急勾配の斜面の中腹にあったため、北陸本線時代はスイッチバック駅となり、上りは引き込み線と二線敷かれていました。

スイッチバックとは、険しい斜面を登坂・降坂するため、ある方向から概ね反対方向へと鋭角的に進行方向を転換するジグザグに敷かれた道路又は鉄道線路である。またそうしたスイッチバック設備を走行する運転行為をスイッチバックと呼ぶこともあります。
[ウィキペデアより]

そして、刀根にも複数のトンネルがあります。

まずは「刀根トンネル」 (195m)
明治15年に開業し、昭和39年に廃止。

その後は道路のトンネルに転用されました。
拡幅の為に撤去された要石は現在、刀根地区の公会堂前に保存されています。

このトンネル工事に携わった「長谷川謹介」さんは
戦前の日本を代表する鉄道技術者の一人であり、柳ケ瀬〜麻生口間の工事を担当し、さっきご説明した柳ケ瀬トンネルの工事も手がけられていました。

当時の高度な日本人技術者が携わっていたんですね🥺✨

そして、そして、そして‥‥🎆






是非、みなさんに知ってほしいすごーーーーい鉄道トンネルが
こちら
⬇️

⬇️

「小刀根トンネル」(56m)

明治15年に開業(竣工は14年)

日本のトンネル工事には外国人技術者が必ず携わっていましたが、逢坂山トンネルは日本人技術者のみで初めて完成させました。それに次ぐ2番目の日本人技術者のみの工事で完成したトンネルです。

同じ時代頃に作られたトンネルは複数ありますが、柳ヶ瀬トンネルや刀根トンネル、逢坂山トンネルも車道としての転用時に改修工事などを施し、どのトンネルも当時と全く同じ姿を、現在とどめてはいないのです。

しかし、小刀根トンネルは建設当時と全く同じ姿で残っており、当時の姿を今に伝えられる

「日本最古の鉄道トンネル」なんです。(すごい!)

レンガ造りの馬蹄型構造で、内部に一部岩盤の露出部分があったりと、当時の建築技術を見て感じることができる貴重な遺産です。

トンネルの形状は全高6.2m×全巾16.7mで、

日本で最も量産されたD51の蒸気機関車「デゴイチ」の規格サイズは、このトンネルが通れるかの判断でサイズが決まり、作られたとされています。

デゴイチのサイズを決めたトンネルということで、また、貴重な遺産🤗

そして、その事も関連してメジャーオブメジャーで、高性能な優秀機関車D51の1号(D511)、2号(D512)は敦賀の機関区に配備されていたんです。

目の前で見るとそんなに大きなトンネルではなく、このトンネルを通ってたの?!と驚いてしまいました😮‼️

トンネルを通り抜けて、向こう側の入り口を見上げると、レンガが黒くなっている部分があります。

スス煙を上げて、通っていた名残です。

トンネルの上には土砂崩れなどを防ぐための土砂止めが現在もあります。

「レンガにススが付いてる説明を聞いている写真」❇

2014年に「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。

こちらのトンネルは歩いて通ることができるので、ぜひ!ぜひ!現地に訪れて近くで見ていただきたい遺産です💓

なんていったって、\ 現存する日本最古 /ですよ

そして、写真に撮ると神秘的な感じなんですね。
写真映えもするスポット❇

ポートレート撮影してみたり、

トンネルだけをこだわって撮ってみたり、

何気ない瞬間も、映える映える

明るさや、角度で雰囲気も変わりますね🤗
天気によってもまた、違う姿が見れるかも?!

訪れた記念にみんなで記念写真🖼

はい、チーズ✌✨

敦賀-長浜間は明治15年に柳ヶ瀬トンネルを除いて、部分開業しました。
 
柳ケ瀬トンネルが開通するまでは、次の駅へ柳ケ瀬峠を越えなくてはいけませんでした。近代と古代が入り混じった2年を経て、ようやく!柳ヶ瀬トンネルが完成した明治17年に42.5キロが全開通し、人々の生活も輸送も豊かになります。

さて、今回は2つの主要トンネルを特集しました🙂

次回は、旧北陸線トンネル群と山中エリアを特集しますので次をお楽しみに🌠

ご覧いただきありがとうございました。
               

以上 坪井でしたっ💓🐰

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?