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パンクって何だろうね。

最近ハロプロ曲の編曲をよくやっている、浜田ピエール裕介という人がいる。
彼は私が大学生のときの音楽サークルの先輩である。

私が一年生のときの四年。当時の感覚では大先輩である。
当時ピエールさんは、P.I.モンスターというバンドのギタリストで、ソニーからデビューしていた。事務所はアップフロントではなく、アミューズだった。

大阪城公園のストリートライブでシャ乱Qにかわいがられ、大阪でつんく♂さんとラジオ番組もやっていたし、その縁で今もハロプロに関わっている。

ハロプロ的にいうとさらにその上には、テレビさいたまの番組などでMCとして出てくる山本昇さんがいる。
昇さんも90年代にソニーからデビューしたタートルズというバンドのドラマーだった。


大学に入学した私は、そんなメジャーで活躍する先輩がいるような音楽サークル「M」に入った。
バンドサークルはいくつかあったが、仲良くなった友人の誘いでそこにした。

当時のMは、文化部ではありながら、ノリは圧倒的に体育会系で、今なら胸を張って問題となるであろう「伝統的」新入生イジメや、強要的飲み会なども普通に行われていた。

今思い出しても、先輩たちが決して悪い奴らだったわけではない。「伝統だから」という理由で、みんな自分が先輩からやられたことを、同じように後輩に対してやっていた。

私の大好きな小説『七帝柔道記』にも、夏合宿で伝統的儀式として行われる、「ドッキリ」の盾にかくれた新入生イジメが出てくる。

見えない圧力である。
うちの大学のサークルも、北大柔道部も、今はどうなのだろう。

20年前には、どこの大学でも当たり前のようにそういうことがあったと思う。そのノリに耐えられないものはこぼれ落ちていった。

ちなみに私は耐えられずこぼれ落ちた方である。

一年生でやられる分にはなんとか耐えられたが、自分が後輩にやる側にどうしてもなれず、二年の春に別のバンドサークル「K」に移籍した。

そっちはあまり縛りもなくそれぞれが適当に、自由に活動しているサークルで、私の性分には合っていた。
今思うと、Mはメタルサークルであり、時代的にはメタルがダサくなっていた時期であったが、先輩はメタラーばかりであった。メタルを全く通らず、パンク・ハードコアやノイズ・前衛音楽を好んでいた当時の私は、なぜそこにいたのだろうか。もちろん、後悔はしていないが。


そんなKというサークルに、二つ上の先輩でKさんというベーシストがいた。

彼は適当な関西人然とした飄々とした人柄で、謎の多い人だった。

音楽には詳しかったが、ベースはさほどうまいわけでもなく、バンドを真面目にやっているというタイプでもなかった。
たまにしか部室に来ないが、来たら話が面白く、会えば私も「今日の私、美人ですか?」と聞きたくなるような、目には見えないエールをもらえる、好きな先輩であった。


あれは私が大学二年だったので、Kさんは四年の時の大学祭の時である。

時はまさに学祭のフィナーレ、バンドサークルによる演奏が開かれていた。

演奏していたのはMのバンドだった。
もちろん、何がしかのメタルだ。

ドラムを叩いていたのは、私より一つ下の一年生、99年当時19歳としては潔いくらい古いタイプのメタラー・Sという男だった。
もちろんドラムはツーバスだ。
手には革のグローブもしていた。

Sは昭和の頑固親父のような性格で、偏屈だし、頑固だし、当時でさえ時代遅れの侍のような男だった。曲がった事が大嫌い。冗談が通じるタイプではない。

そんな硬派なメタルバンドの演奏中、横の方でぼんやり見ている私の目の前を、薄手のコートをふわりと揺らし、一つの影が横切った。

そしてそのまま、Sの叩くドラムに飛び込んだのである。

ドラムへのダイビング。
その頃の我々世代には、カート・コバーンがやっていたことでお馴染み。
秩序なきハードコア・パンクのライブではしばしば見られた光景だ。

影はKさんだった。
就職活動中に寄った学祭で、ついうっかり盛り上がってしまったのである。

適当な我々のサークルなら笑って許されるところだが、ドラムを破壊され、演奏を止められたMの連中はそうもいかなかった。

Sは3つも上のKさんの胸ぐらに掴みかかった。

乱闘だ!!
怒り狂うMの連中と、仲裁に入った私たちとでもみ合いになった。

「ごめん、ごめん、悪かった」
と、焦って謝るKさん。

MはKさんに向かって怒鳴りつけた。

「お前!なんでこんなことしたんや!言うてみろ!」

すると、Kさんはこう言ったのである。


「いや、パンクなんで…」


いい大人(と言っても22、3ですが)が、自分のしたことで歳下に怒られて、理由が「パンクなんで」

全然パンクじゃねえ!!!

乱闘騒ぎの渦中、私は思わず吹き出してしまった。

こんなにカッコ悪いことはなかなかないのだが、その言い訳にはどこか清々しさすらあった。

パンクってほんとに何なんだろう?

当時の自分の、固定観念がものすごい勢いで揺さぶられたのだ。


今もたまに、あの時のKさんのことを思い出す。

カッコ悪いんだけど、なんでかカッコいい気もする。

私ももう40だ。
形式的な音楽としてのパンクは、我々おっさんの聴く音楽になった。

「パンクって何だろう」

「誠意って、何かね」くらい、いまだに解決できない問いである。
それ故に、「いや、パンクなんで…」のKさんはまだ私の憧れとして心の中にいる。



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