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4年間の高校生活振り返り パート1

高校を卒業したので、在籍中にどんな生活をしていたかを振り返りつつ書いてみようと思う。

私なりの青春

まず、私が高校生活において最も多くの時間を費やしたものはーーーズバリ「Twitter」である。実に悲しい。

4年間女子高生をやっていたのに、青春らしい青春は私にはなかった。
それどころか、Twitter以外にやっていたことと言えば「フォロワーや友達とセックスする」「酒を飲んで酔っ払う」などで、狂ったように退廃を極めていた。
しかしそれも私なりの青春だったといえばそうなのかもしれない。退廃を極めるのが私の生き様であり、セックスして病気になったり妊娠したり、あるいは酒の飲み過ぎで体を壊したりするのも、生き様の一部なのかもしれないのだ。


高1(1回目)

高校生という身分になったのは2020年の4月である。その2ヶ月前に、某私立の高校に合格していた。(サイトによっては)偏差値は70を超えており、まあ名のある学校だったと思う。
新型コロナウイルス感染症の激しい流行により、折角の高校生活はオンライン授業で幕を開けてしまった。

私の精神面に、黒い陰りが見え始めたーーーいや、元々小学校6年生ごろから自傷行為があったり、希死念慮を抱えていたり「陰」ははっきりとあった。しかし、その陰は2020年の春頃に急激に濃くなっていた。詳しくは、食べたものを自ら吐き戻したり、慢性的にどんより鬱々とした気分に襲われていたり、といった具合である。

その頃まで自分の携帯を持っていなかった。インターネットにアクセスする手段は、家族のPCのみだったのだ。今思えば、携帯を手に入れたのは人生に於いて大きな転機であった。

平たく言えば、病む原因である。

高校生になったからという理由でiPhoneを親に買ってもらい、Instagramを始めた。最初は、中学校の同級生や、同じ高校の生徒と連絡を取り合っていた。所謂「リア垢」である。
しかしこのリア垢、精神衛生には非常によろしくない。皆キラキラ輝く側面ばかりを投稿し、自分以外の皆が人生や青春を、謳歌しているように感じるのだ。それはまだ良いが、自分が軽度のASD(人格障害の可能性もある)なのが原因で、人間関係の崩壊が起きたのは一度や二度ではない。バーチャルな空間で、人同士の距離感を掴む機能にバグが起きていた。

またインターネット(≒SNS)上で、同級生と何かしらトラブルが起きてブロックされてしまったりということがあるが、登校すれば彼ら彼女らとも顔を合わせることになる。
実に気まずく、精神衛生上悪いと言える。


登校。オンライン授業が終わり、物理的に学校に行くようになったのがいつだったかは忘れてしまった。多分6月ごろだ。

その頃、精神の調子は最悪だった。あまり覚えていないが、毎晩一人で泣いたり自傷行為をしたりしていたような気がする。あの頃の記憶が不明瞭なのは、極度の鬱と不安が原因だろう。過食がひどく、それも鬱に一役買っていたと思う。また、詳しくは割愛するが、リストカットよりも危険な自殺的行為をよくやっていたのである。

担任の教師に、精神科へ行くことを勧められた。新宿区内の小さなクリニックに通うことになったが、すぐに(1ヶ月ほどで)辞めてしまった。詳しくは書かないが、医師との相性が悪かった。


転院した先での2回目の通院にて、軽率に自殺的な行為をしてしまう話をしたところ、入院しましょうと言われた。私はその頃、人生で一度も入院というものをしたことがなかったため、なんとなくエキサイトしてしまっていた。人生最大の精神的苦痛を病院で味わうことになるとは知らずに。


9月27日に、某病院に入院した。そこで「保護室」に入れられたのだが、あれほど人生で苦しかったことはなかった。詳しくはこの記事に書いた。

私の人生は二つに分かれている。「保護室で過ごす前」と「過ごした後」である。過ごす前というのは要するに、あの苦痛を知らなかった幸せな頃、というものだ。


私が入っていたのは閉鎖病棟だった。閉鎖とつくだけあり、物理的にも、社会的にも閉じられた空間である(携帯やパソコンの持ち込みはOKだったが)。

至極当たり前だが周りの患者は皆精神を病んでいるので、患者同士のトラブルだとか、自分が他の患者から受ける悪影響というものが絶えず存在する。例えば、私は他の患者の影響で、処方薬の過剰摂取を覚えてしまった。影響される方もされる方だが。

11月か12月に、所謂地雷系の若い女性患者が新しく入ってきた。彼女は廊下で何やら通話をしながら泣いていた。所持品を床にぶちまけ、近づいてきた看護師に暴言を吐き、泣き叫びながら手を引っ張られて別室に連れて行かれていた。
私は漠然と苛立ちを覚えた。周りの患者はこの環境に皆耐えているのに、あいつは好き勝手に暴れて何なんだ。
勿論人によってストレス耐性は違うし「ここ」では皆がそれぞれ違う病気を持っている。頭ではそれを理解していた。しかし、いざ目の前で暴れられると自分も同じように暴れたくなったので、それを抑えるよう努めた。


12月に、心理検査を受け、自分がASDであるということになった。また、医師は双極性障害の疑いがあると言った。専用の検査や、WAIS(知能検査≒IQテスト)の結果から総合的に判断したものだと思う。

退院したのは2021年の2月だった。結局、約5ヶ月間も入院していた。途中で保護室に入れられることがなく、ずっとおとなしく過ごしていれば、もっと早く退院できただろう。

退院した少し後に、未遂をした。これは学校の人との恋愛面におけるトラブルが原因である。余談だが、いまだに同年代との現実世界での恋愛経験がない(ネット上や、ずっと年上の人としか経験がない)。

この頃から自傷行為がますます悪化し、下剤の使用、自発嘔吐なども激しくなり、常に体調の良くない状態になる。入院していた意味は正直よくわからない。

5ヶ月間も入院していた所為で学校の出席日数が全く足りなくなり、留年を喰らった。当然の結果なので、私は至極素直にそれを受け入れた。


to be continued

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