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#11 つるん→mamyさん(2019/05/27)

mamyさんへ

こんにちは。
「ペーパー・プレーン・レターズ」に参加してくださりありがとうございます。
先日のFacebookへの投稿、読みました。コメントも、いいね、も軽薄だと思ったのでここに書きますね。たぶんほとんどが僕の話になると思います。mamyさんが書いていた「食べることがかかわるストレス」についてです。
自分のことを語って、僕の方が辛かったと言いたいわけでも、ましてや皆そうなんだから、と辛さの雑な薄め方をするのでもありません。辛さは個人のもので、辛いと感じている以上、それは誰かと比べて楽になるようなものじゃない。あなたの辛さはあなただけのもので、あなたが辛いと感じるなら、紛れもなく本当に辛いと思うからです。だから、僕や、たとえば自らの体験を語ってくれる人に対して、私はまだマシな方だ、とか、私も頑張らなきゃ、といったことは思わなくても大丈夫です。
僕は家族の団らんが嫌いでした。特に父がすさまじかった。
小さい頃は食べ終わるまでテレビをつけてもらえなかったし、食べ終わっても結局NHKで、まるでお通夜でした。いや、お通夜の方がもう少しにぎやかだったかも知れません。食べてる最中にちょっとでも髪を触ると汚いと怒られ、スプーンが皿にあたるとうるさいと言われました。母親はスプーンを全て木にしました。成長してからも食卓を囲むということが苦痛で仕方がなかった。お酒が入るとじょう舌になる父に、何度も食卓で怒りをぶちまけられました。朝食の最中にテーブルを引っくり返されたこともあります。
それでも毎日、毎食、ご飯は用意され、もはやリビングに行くということすら苦痛に感じるようになりました。
もう絶対に家族の食卓にはつかないと決めたのは、東日本大震災の時です。震災のあった日、母は電気が使えなくなってもいいようにとおにぎりをたくさん作りました。その日の分だけでなく、翌日の分も作りました。
幸いにも僕の住んでいる地域では電気もガスも止まりませんでした。そこで翌日、夕飯の時、母は昨日からずっとおにぎりだったからと気を利かせてカレーを出してくれました。僕と姉は喜びましたが、そんな僕たちに父が言ったんです。
「昨日のおにぎりが残ってんだろ。新しいものを食うな。余ってるのが終わってからにしろ」
ものすごい剣幕で。しかもドミノピザを食べながら。
これほど意味の分からないことがあるのか、と思いましたね。
もう一生、この家のリビングであんたとは飯を食わない。この家の食卓から脱けよう。そう決意しました。
だから今でも僕は家族と家でご飯を食べていません。実家で暮らしてはいますが、台所も冷蔵庫も使わず、外食とか買ってきて食べることを徹底しています。
たまに、全て外食というと、ぜいたくだとか、稼いでるね、だとか言われます。
いや、お金がなくても外で調達する以外にないんだよなぁ、まぁ、僕が実家を出ればいいんだけど、フリーターで、物を書いて、という自分にはなかなかそれもできず、と落ち込みます。バイト帰りの深夜、今月はかつかつだからとコンビニに寄るのを我慢しても、家の冷蔵庫は開けられなかった。お腹が減って食べ物を求める音も、父にとっては騒音と変わりなく、うるさいと怒鳴られましたから。
なので、食べることがかかわるストレスというものが、形は違えども僕にも何となく分かります。僕の母もおそらく食卓において僕以上にストレスを感じていたんだろうなと思います。うちの台所がオープンじゃなかったら、母は今頃キッチンドリンカーで体を壊していただろうし、作っても食べてもらえない、せっかく作ってもなぜかピザが届く、そして冷蔵庫に残った父の分を、なぜか僕が「食え」と言われる。余り物から食べろとおしつけられる。そういう食卓の中で母は相当に辛かったでしょう。そして僕が実家にいながらにして家族の輪を離脱したショックも大きかったのでは、と。
今、父とは一切喋りません。ほとんど会いもしません。関係はこじれにこじれ、いがみ合っているわけではありませんが、「ちょっと洗濯機回すよ」なんてことも言えなくて、勝手に回して、その音に嫌な顔をされる、という感じです。これは僕が気持ちを言葉にすることを怠ってきたせいもあると思っています。一言、ことわりを入れれば済むことを、何を言っても無駄だと諦め続けてきたせいで、僕はストレスを解消することなく、もうめちゃくちゃに膨れ上がらせて今もそのままです。一度では無理でも、幾度となく何かを言い続けること、気持ちを表し続けること、僕はそのとてもシンプルなことを家族に対してやらなかった。その結果が、僕の、そして家族の今を招いたと思っています。
言葉は一度では伝わらないです。また、言葉は言葉だけでは伝わりません。
日頃から相手に対して真摯に向き合っているからこそ、言葉は力を持つものです。あなただから伝わる言葉があるはずです。それは何年か越しの大変な作業かもしれないし、その間、辛すぎる日々なのかもしれません。でも必ず伝わる日が訪れるための、言葉の準備の期間だと僕は思うのです。僕は仕事をし、文章を書き続け、家を出て自立しようとすることでその準備をしています。僕はまだ、父や家族に、「一緒にご飯を食べよう」と言える日を諦めてはいません。最近になってようやくそう思えたので、とても難しいことではあると思うのですが。mamyさんも、本当に言葉が伝わる瞬間が来るということを諦めずにいて下さい。その時、おそらくですが、自分の言葉が自分を救ってくれる。僕にはその経験があるので、自信をもって言います。
とは言っても、準備の期間は辛いものです。
そこで僕にできることを2つ書いておきます。
1. お店にいること
いつでも来て下さい。
2. 手紙を受け取ること
手紙にいろんなことを吐き出してみて下さい。ヤバイ! と思ったら、今の自分を文章にしてみて下さい。整合性や言葉の使い方、選び方など無視をして。これは紙飛行機の投げ合いです。軌道がそれても、途中で落ちても拾いに行ってまた投げ返しますので。
ひと夏、自分を紙飛行機に乗せて、少し飛ばしてみてあげて下さい。
どうぞよろしくお願いします。

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つるん(詩人)

文筆家、詩人、編集者、ネット番組専門の構成作家などをしています。物書きです。「ペーパー・プレーン・レターズ」という、向かい合って紙飛行機を投げ合うように手紙をやり取りする企画をやっています。ぜひご覧くださいませ。

ペーパー・プレーン・レターズ

「ペーパー・プレーン・レターズ」とは、文筆家のつるんが様々な人と手紙をやり取りする企画です。 ①5通ずつ手紙をやり取りする ②やりとりの仕方は自由 (手紙、メール、チャットなど) ③期間は、ひと夏 手紙は、送った順、届いた順に掲載していきます。
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