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高田馬場のマーライオン

大学一年生の秋の日のこと。
長めの信号を渡っていると、向かいから歩いてきた小柄なおっちゃんがまじまじと私の顔を覗き込んできた。
うっかりつられてまじまじと相手を覗き返したものの、まったく知らない人だった。いや、私が顔を忘れているだけのバイト先の客とか、バイト先のだいぶ年上の先輩だったりするだろうか。いずれにせよ気まずい。

現状ではいわゆるタイマンを張っている状態に見えなくもないので、敵意のなさを示すために軽く会釈をして彼の横を抜けようとする。
するとおっちゃんは「ややっ!」と声をかけてきた。
仕方なく立ち止まると、彼は「あんた、東京タワーみたいにでっかいな!」とどら声で叫んだ。そして「どうだ、さぞ嬉しかろう」みたいな笑みを浮かべて私の反応を待った。
「東京タワーのようだ」と言われて喜ぶ女子大生は、おそらくそういない。

当時私の身長は168センチだった。
東京に来てからは自分と同じくらいの身長の人も、もっと高い人も時々見かけるようになり、少し気が緩んでいた矢先のことだった。
「私なんて、それほど大きい方ではないですよ」と手を振って足を速めようとするとおっちゃんはすかさず「“私なんて”なんて言うな!!!」と武田鉄矢のような勢いで私に唾を飛ばした。
別に卑下したつもりはないんだけど。
しかしどうやらおっちゃんのなかで私は「なにがしかを教え諭し、導くべき若人」に決定したらしい。
くるりと回れ右した彼は、私と並んで歩き出した。

いやあなた、目的地は真逆じゃないんですか?
「そんなこたぁいいんだよ」と私の精一杯の抵抗を軽くあしらったおっちゃんは、学部はどこだの、このコンビニは最近外に置いていたゴミ箱を引っ込めたからケチだの、この店は安いが悪い油を使っているらしいだのと私の話を聞く以上に大学から高田馬場駅までの一本道をけなすことに一生懸命になった。

そっか、大学一年生か。
道の悪口の合間に、おっちゃんはしばしばそう呟き遠い目になった。
そしていよいよ駅が見えてきたころに、「高田馬場にはマーライオンがいるんだけどよ。見たことあるかい?」と尋ねた。

マーライオンと聞いた瞬間に頭をよぎるのは、微妙に精巧に作られた頭の下にあまりにも雑に作られた筒状の下半身が続くラムネ菓子だ。いま調べたら、ペッツというらしい。
顔に8割、身体に2割といった気合いの割り振られ方が似ているせいか、私はマーライオンと聞くと真っ先にスーパーのお菓子コーナーの最下段でカラフルな存在感を放っている、ペッツのことを思い出してしまう。

それはともかく、マーライオンである。
シンガポールで直立し、口から水を噴水のように吐き出しているはずのあの像が、なぜ高田馬場に。
展示でもされてるんですか?と聞くと、おっちゃんは「違う違う」と首を振った。
「これだから大学一年生は若くって困る」。
もの知らずですみませんね。

「高田馬場のマーライオン」。
その意味を知りたくば、金曜の夜22時ごろに再びロータリーに来るがいい。

そんな謎めいた言葉を残して、高田馬場駅のロータリーでおっちゃんはひらひら手を振って消えた。
ひどい。こっちだってヒマじゃないのに。
急についてきて急に消えたおっちゃんに軽く腹を立てながら、スケジュール帳を開く。
金曜日は、授業が20時に終わる日だった。

実家から約2時間電車に乗って大学に通っていた私にとって、22時の高田馬場ロータリーはまったくの未知の世界だった。
家に帰ったら0時を回ってしまう。0時を過ぎたところでそれほど困ることはないくせに、私はシンデレラのごとく速攻帰宅を貫いていた。
しかしいまは、高田馬場のマーライオンが気になる。
多少見知った町に、見知らぬ像が現れる。
その光景は、ちょっと見てみたい気がした。

22時になったらマーライオンが現れて、あの楕円形のロータリーを光りながらぐるぐる旋回したりするのだろうか。
それとも駅前のショッピングセンターからぞろぞろとマーライオンが出てきて、「俺がUFOキャッチャーで取ったこのぬいぐるみ、マジかわいくねぇ?!」とか「私、今日サイゼのドリンクバーで30杯も飲んじゃった!」とか中学生みたいなはしゃぎ方をするのだろうか。
そもそもマーライオンって、マーライオンそのものが現れるのだろうか。何かの比喩だろうか。

どうしても気になった私は母親に、「金曜日は友だちとご飯を食べてくるからお夕飯はいらない」と告げた。11月に入っても浪人時代、高校時代の友だちとしか遊ばない私を薄々心配していたらしい母親は、心なしか目を潤ませて送り出してくれた。

ごめんなさいお母さん。
私が華金に会うのは、道端で出会った見知らぬおっちゃんとマーライオンです。

かくして金曜の夜がやってきた。
20時に授業を終えた私は重たい教科書をトートバッグに詰め、大学近くの安いうどん屋でうどんを啜り、大学に戻り空き教室で自習をする。腕に腕を絡ませたカップルが引き戸を開けて、「あ、人いる」と乾いた呟きを残してドアを開けたまま去っていく。

お前ら、勉強しに大学に入ったんじゃないのか。
毎日のように飲み歩いたり授業をサボってテーマパークに行ったり彼氏彼女を作ったりしている人たちが「これこそが大学生の醍醐味!」と大人たちに目を細められ、黙々と勉強やバイトに打ち込む自分のような大学生が「今のうちに遊んでおかないと後悔するよ!ねえ遊んでおきなよ!」としつこく勧められる空気が、心底いやだった。
その一方で「いつか本当に遊ばなかったことを後悔する日がきたらどうしよう」と不安に心揺れる自分も、相当にいやだった。

そんな私にとって「高田馬場のマーライオン」は、ささやかな冒険になるはずだった。今後誰かに「大学生なのに遊ばないの?」と言われたときに「マーライオンは見ましたよ」と言えば、とりあえずその場は切り抜けられるだろう。
ふと時計を見ると、21時半になっていた。
ここから歩けば、ちょうど22時には高田馬場駅に着ける。

ロータリーに着くと、すでにおっちゃんが待ち構えていた。
おっちゃんは「こっちこっち」とロータリーを囲む低木の茂みを案内し、ぺたりと地べたにあぐらをかいた。地面に座りたくない私は、尻を浮かせてしゃがみ込んだ。
茂みの陰に身を潜めて他愛もない話に興じていると、突然おっちゃんが「もうすぐ来るぞ」と緊張感のある声を出した。どこに注目すればいいのかわからないまま、つい私も前のめりになる。

「あれが、マーライオンだ」
おっちゃんが指したのは、ロータリーの中央で談笑していた何の変哲もない四人の男子大学生だった。
彼らがマーライオン。
え、人間ですけど?
そう言おうとしたときに、学生の一人がおもむろに身体をくの字に曲げて「おぅーえっ」と呻き、吐いた。
するとそのゲロを嗅いだ横の青年も、静かに身体を曲げて吐しゃ物をまき散らした。
「な?」と得意げに歯を見せるおっちゃん。
彼らは誰かのゲロを嗅ぎ、それを契機に思い出したように順々に身体を折り、吐いていった。
こんなものはマーライオンではない。ただのピタゴラスイッチ的ゲロ製造機である。
私が見たかった、旋回するマーライオンや中学生のようなマーライオンを見せてくれよ。

粛々と展開されるゲロドミノを前に、おっちゃんは目を輝かせていた。
「おもしろいよな、大学生って。飲んで吐いて後悔して、それでもまた数日後には飲んでるんだよ」
それのどこがおもしろいのかもよくわからないまま、「大学生」と括られたことにも若干腹を立て、適当に私は頷いた。
一刻も早くここから離れたくて仕方がなかった。

「こんなにダメな奴らがイキイキ吐いてるんだ」
お辞儀をし合うように吐き続ける大学生たちを見つめたまま、彼は言った。
だからな、もう“自分なんて”って言うんじゃないぞ

まさかの、私を励ます会だった。
「私なんて、それほど大きい方ではないですよ」の「私なんて」を卑屈な謙遜だと捉えたおっちゃんによる、私を激励するためのゲロ鑑賞。いったいどういう思いやりなのだ。
彼の目に映る私は、「東京タワーを目指していたのに上京して夢破れた女」だった。そんなわけあるか。

結局私は半分ほど上げた腰を再び下ろして、おっちゃんが満足するまで高田馬場のマーライオンを見つめ続けた。
こんこんと口からゲロを垂れ流し続ける大学生たちをマーライオンと呼ぶのは、やっぱりちょっと違うような気はしたけれど。
見ず知らずの大学一年生を元気づけようと知恵を絞って、「そうだ!ゲロ見せたろ!」と思いついて実行に移してくれたおっちゃんには、多少は感謝しなくてはならないのかもしれない。

その後しばらくして私は、幾度となく「マーライオン」や彼らの存在の痕跡を見つけた。
高田馬場にも、新宿にも、池袋にも「マーライオン」はいた。大学生に限らず、社会人もいた。
それを見るたび、私は絶対に「マーライオン」の一員にはなるまいと吐しゃ物から距離を取った。

私のなかのマーライオンは、相変わらずペッツのようなケバケバしい色合いで、発光しながら旋回し、ゲーセンやサイゼに興奮しながら、リレーのようにゲロを吐き合っている。
いつかシンガポールに、本物のマーライオンを見に行きたい。

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