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先が見えなくてもやっていく

ゴールが見えたら安心してできるけど、ゴールが見えなくてもやっていくものなのだ。

今やってることが合っているのか間違っているのか不安になる。
アドバイスを人からもらっても、すぐにできるようにならないから足踏みしている気持ちになる。

先が見えなくて絶望している。
弱くて弱くて、ずっと弱いままな気がする。

「数を重ねたら」
「だんだんできるようになるよ」

その言葉のどれもがありがたいのだけれど、信じられない自分が嫌になる。申し訳ない。

成功体験が無いわけじゃない。
例えば、今パソコンに打ち込んでいるこのタイピングの速さは数を重ねたらできるようになった。ホームポジションとか見ないで打つとか意識した部分があったからではある。
それらを意識してすぐにできたのではない。

アドバイスというのは、もちろん答えが決まっているようなことに対してもあるが、その時々で対応が違うものが多い気がする。

具体的に何をしたらいいか分からなくてアドバイスに追加で質問する。
「それはどういうことですか」
「こういうことで合っていますか」
アドバイスする側も受ける側も、答えが1個でないから難しい。

もっとよくなるために、同じ間違いをしないようにやれることをやる。
知ってる。何回も言われてきたから。

言葉だけが耳から頭に入ってきて、
言葉の意味を考えて理解したつもりになってやっている。
きっと傍から見たら何も分かっていない。
その根拠は無いけど、なんとなく自分がやっていることに自身がない。

それでも、やっていくのだ。
ゴールが見えなくてもやっていく。
そういうものなのだ。
今やっていることが合っているか分からなくてもやっていく。
どうしたらできるようになるか分からなくても、
分かりうる範囲の努力をし続ける。
答えのようなものがもっと向こうにあるのかもしれないけれど、
先は見えないけれど、
今は私が立っているところが答えだ。


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