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あの時の私と、ゆかりさんへ。

石井ゆかりさんと、twitterを通して、邂逅した。

邂逅ってすごく美しい言葉だけど、こんなのってまさに邂逅(思いがけなく会うこと。めぐりあい。)としか言いようがない。

石井ゆかりさんは、ライター。そして、星占いもする。私はこの方の本を今まで何人もの迷える友人にプレゼントしてきた。

しかしこの12星座シリーズは売れに売れて占いの本としては異例の120万部も突破してしまったため、あげようとした相手がすでに持っている、という事件が多発し、「石井ゆかりさんって知ってる・・?」と確認をしてからプレゼントするようになった。

ゆかりさんの星占いは本当に新鮮かつ画期的な内容で、10年以上前の私は友人から教えてもらったゆかりさんのサイト「筋トレ」にドハマりした。「この人は私の人生をどこかで覗き見してるのだろうか」というくらいしっくりきた。誰にも相談できないことがあるとき、筋トレを鏡にして、ホッとする瞬間が何度もあった。ゆかりさんの文章は、多くの人が、「自分のためだけに書いてくれたのでは」と思ってしまう魔法があった。

そんなゆかりさんが、「石井ゆかりが誰かにインタビューをする企画」の「誰か」を募集する、となったとき、迷わず応募をした。この聡明な人に会いたい!という一心だった。

そしたら、インタビューをしてもらえることになった。24歳のあの時の興奮と喜びは今もありありと思い出せる。

(ゆかりさんがインタビューをしようと思うに至った経緯などはこちらで読めます。とっても興味深く、面白いです。→http://iyukari.hateblo.jp/entry/20071009/p1

そして、10年以上前。24歳だった私・つるうちはなを、10年以上前の石井ゆかりさんが見て、感じて、言語化したインタビュー、それがこの記事です。

久しぶりに読んだら、新鮮な驚きと、涙が出るほど嬉しい気持ちと、私バカ!恥ずかしい!殴りたい!という気持ちと、当時はわからなかったがゆかりさんはこのインタビューを通してむちゃくちゃに自分自身を追い込んでいる、まるで筋トレのようだ・・・あ!(ポン!)なるほど!みたいなことと、とにかく今だから見えてくることがたくさんあって、面白くて仕方がなかった。

このインタビューは、当時は嬉しいと悔しいと半々くらいの気持ちだった。痛いところを突かれすぎてクッソー!という気持ちと、そんな風に私を表現してくれるのか〜!という喜びと、全部がぐちゃぐちゃになって、酸いも甘いも全部を突きつけられたような感覚になり、若かりしクソ生意気な私にはなかなかキツかった。

しかし、今読むと、私バカ!恥ずかしい!殴りたい!という気持ちと同時に、私ってなんっっっって言ってることが変わらないのかしら!と思う。同じ「愛」「元気」「音楽」について語っていても、その中身はもうまるで違うものになっていること、この「同じなのに違う」という違和感が非常に興味深く、しばし掘り下げてみた。

どうも私は昔から言ってることは本当に一貫しているようで、メジャーデビューのきっかけをくれた某会社の方にも「あなたの歌詞は10年前から言ってることが変わってなくて、信頼できる」と言われ、マジで?と振り返ってみたら本当にそうで、びっくりした。自分ではものすごい勢いで変化し続けてきたつもりなのに、なんでだろうって。

そして、それは数ヶ月前の出来事につながった。非常につらいことが続いて精神がもう不感症になりかけていたとき、ベランダで朝日を見ていたら、突然第三の目?的な感覚がカッと開いて、「私はずーーーーっと前から音楽に導いてもらっていたのに、なんで気づかなかったんだ!答えは全部音楽の中にあったのに!自分のこだわりとかプライドとか感情なんて全部超えた先に、全部あったのに!うわー音楽の神様今までありがとうございました!私これからもっとよくなります!」と、一人でボーボー泣きながら立ち尽くし、その日は何度もその瞬間のことを思い出しながら、嬉しくてありがたくてその都度涙がボーボー出たのだった。


多分、この頃の24歳の私も、「自分が発信するべき何か」には気づいていた。だけど、経験も、知識も、他者との関わりも、何もかもが足りなすぎて、やるべきことの表層部分しか見えず、正体不明のものと戦っていた。

ゆかりさんは本当に鋭く、この当時の私はまさに、「他者が存在してない」。それに尽きる。愛もすったもんだも何もかもが、自己完結の一人芝居。

私はこのとき「愛」と口に出してはいるけど、実は歌で「愛について」やっと表現できるようになった、「愛してる」と音楽がやっと一つになってくれた、と思える曲を書けるのに、ここから数年かかっている。

その間に、「人間は平気で嘘をつく」ことも「正しさや清らかさだけが真実ではない」ことも「正義も悪もない不条理がある」ことも「そして私も嘘をつく、私も汚れている、誰かのしかばねの上で笑っているのだ」と、魂の底から思い知るような出来事がいくつか積み重なった。

そして、祈るような気持ちで、傲慢にも、目の前のたった一人を救いたいという気持ちだけで書いたのがこの曲だった。

私は、ラストの繰り返しの「I LOVE YOU」の最後を、明るいコード(和音)で終われなかった。私がそのとき初めて知った「愛」は、悲しさと狂気と矛盾と何もかもを孕んだ得体のしれないもので、とても怖かった。怖くて悲しくて、でもどうしても目を背けたくないもので、その気持ちがやっと音楽になった、と思った。

その後、繰り返す恋愛に終止符を打ち、もう出家しようかと思ってた時に突如目の前に現れた今の夫と結婚し、他人と共存していく現実の素晴らしさと恐ろしさに立ち向かいながら、私はもうなんの迷いもなく、ひたすらに執拗に、愛について歌うことになる。


振り返ってみて、思った。いつからか私の世界は、「私、そしてあなたがいる世界」から、「あなたがいて、そして私がいる世界」に変わっていたみたいだ。歌ってることは変わってないけど、確実にそこに、「あなた」がいる世界に変わったんだ。色々な経験から、当時私が信じたくて吠えてた「私の輪郭」なんてものは全部ぶっ壊れて、プライドも強がりも言えないほど鼻っ柱を折られまくって地べたにつっぷしてやっと、自分以外の世界が目に入ってきた。

あの時、「狂ったように元気」だと言いたかった私は、本当は元気がなかったんだと思う。ていうか見るも無残な恋愛しててめっちゃしんどかったのは覚えてる。もうなにもかもが怖くて仕方なかったんだと思う。だけどその恐怖を認めることもできないし、承認欲求は歯止めが効かないし、酷い有様。それでも一生懸命生きていたんだけどね。

そしてそのとき死ぬ気で好きだった人は先にこの世からいなくなってしまって、上記の「YOU」を一緒に作った仲間も一足先に逝ってしまって。たかだか35歳の私だって、10年の中に歴史ありだ。きっと、みーーーんな歴史があるんだよ。ね。当時はそんなこともわかってなかったわけ。自分の未来しか見つめてなかったんだよね。今ならそんな自分をぶん殴ったあとに抱き締めてあげられるし、実際あの頃の私みたいな後輩とも続々出会って、ぶん殴ってはいないけど「お前はほんとに自分のことしか考えてねえな!」とキレたあと、「でも私もそうだったからわかる」と抱き締めたりしている。恥ずかしながら。恥ずかしい。「私も昔そうだった」なんて言いたくなかった。でもそうなっちゃったんだから仕方ない。

10年前のインタビューは、今の私の鏡となり、またたくさんのことに気づかせてくれた。


最後に、ゆかりさんへ。

あの時の私とめちゃくちゃに向き合ってくださって、本当に、ありがとうございました。この記録は、音楽以外での24歳の私を最も切り取っている記録だと思います。このインタビューをネット上に残していてくださって、嬉しいです。また10年後に読んだら、違うことが見えてくる気がします。

ところで、ゆかりさん。

今は、「愛」についてどう思いますか?

私は、あの頃みたいにキラキラした目で「これが愛!」とはきっぱり言えなくなりました。それは思ったよりずっと曖昧で、本当に千差万別で、だけど空みたいに世界中の人たちのそばにあり、どこかで繋がっている共通意識のようなものに感じています。私はその共通意識にアクセスして表現することを諦めたくなくて、そして、こうして文章でうまく言えないぶん、音楽が代弁してくれていて、私と音楽と愛の旅は、死ぬまで続くのだと、「今」、思っています。

また、会いにいきますね!

つるうちはな


-追記の後日談-

ゆかりさんから、まさかのブログでのお返事を頂いた。この先また10年、何度でも読み返したい宝物みたいなお手紙だった。

ゆかりさん、出会えて本当に良かったです。またどこかで、巡り合わせがありますように。





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