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内臓的音楽

酩酊、超文記録。頭の中を具現化したい0時過ぎ。

死んだ恋人が10年前に言っていたことを思い出す。「天才は天才の責任を引き受けないといかんのよ」。

天才ってなんだろう。今もわからない。ただ、「天才ですね」と言われたら、今は、「いやあ、すみません、がんばります」みたいに返している。逆に才能が足りない、は若い時に散々言われたので、なんとも思わない。というか自分が一番そう思ってるから、「そうなんですよ、凡人なりにがんばります」と言う。

思うに、自分のきれいなとこだけを抽出している音楽に、私は虫唾が走るのかもしれない。いやいや、お前の本心もっとあるっしょ、でもあなたは自分とそこまで対話を深めなかったのだね、と思う。「考えが足りない」。そう思う。同時に自分にも、ずっと思ってる。考えが足りない。経験も足りない。なんもかんも足りない。天才かもしれない、同時にクソの役にも立たない愚鈍な人間でもある、と感じる。

「死にたい」「いっそ殺してくれ」という感情はどこから来るのだろう。いまだにわからない。ただ私は私を生きることが定期的にとても苦しい。歓迎できない。同時に、私ってなんて面白いの、あはは!という気持ちもやってくる。

先日定期的なもので追い詰められたとき、躁鬱病のセルフチェックをしたら、当たり前みたいに重度の病院行きだった。でも、私はずっとこんなかんじなので、風邪薬や鎮痛剤を飲むと気持ちが落ちつくのを体で知っていたし、だからそこに逃げたくなくて健康第一の生活をしていたりする。

私は35年生きて、未だ自分がなんたるかを知らない。何も分からない。分からないということだけを分かっている。

だけど今、人生で初めて、目指すべき山の頂上を心の中に見ている。その道すがらに何があろうとも、私が目指すと決めたならそこに行くのだろうと、不思議に信じられている。

そしたら、好きな人間が増えた。目指す場所が見え、そのために嫌なものを嫌だと言う覚悟を持ったら、好きな人がどこからともなく現れ、水をくれたり、パンを分けたりしてくれている。ありがたくてその都度涙が出る。その人たちが「がんばれ」とパンと水を分けてくれるので、やはりがんばりたいと素直に思う。

いつ死ぬかも分からない。今生きてることは奇跡だとして、この奇跡はいつまで続くだろうか。生きてる限り。そうか。だとしたら、生きることが全てなのかもしれないね。

ワンマン、よかったら、来てね!あはは!!

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