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預言書を解読する男 その2

「私は皆さんに何をお伝えしたいのかと言えば、悪循環は断ち切らなければならないということであります。悪循環が好きな人は誰もいないでしょう。今、申し上げた貧困の悪循環とデフレスパイラルは、二つとも経済に関するものであります。ほかにもいろいろ悪循環というものはあります。

民族紛争、領土紛争、宗教紛争と言った複雑な要素が絡んで、終わりのない戦いを続けているのが、イスラエル・パレスチナ紛争であります。領土を奪われたとするパレスチナ側からの自爆テロやロケット砲攻撃に対して、もともとパレスチナは神がイスラエルに与えた約束の地であるとする宗教的信条を抱いているイスラエル側の報復爆撃攻撃、この報復の連鎖が止まらない悪循環の状況に陥っている、それが中東パレスチナの紛争であり、この領土紛争は極めて深刻な問題です。」

確かに、泥沼化した中東紛争も報復合戦の悪循環に違いない。孫衛門の「悪しきめぐり」の一例であることは否定すべくもない。ぼくの思考は静川氏の話に付いていっている。

「孫衛門は書き記しております。『憎き思ひは憎き思ひを、仇打ちは仇打ちをこそ招くべけれ』と言っており、憎悪は憎悪を呼んで悪の循環が果てしなく続くのです。そこで、重要な問題は悪の循環をいかにして断ち切るかということです。」

悪の循環をいかにして断ち切るか、いよいよ本論へのアプローチが始まったようだ。

「経済的な問題であれ、紛争の問題であれ、悪循環というものは人間の不幸が果てしなく続くということですから、これは何としても断ち切らなければなりません。悪い因縁が悪い結果を呼び、その悪い結果の中で、さらに悪い因縁を呼び込んで、それがまた悪い結果に繋がっていく、こういうことです。

このことから、問題は非常にはっきりとしています。悪循環を呼び込んだ最初の悪い因縁というものを見つけ出し、それを摘出しなければなりません。」

悪い因縁を断ち切ることが悪のスパイラル循環を止める道だと言う。その悪因縁なるものもずっと遡って最初の悪因縁を見つけ出し、それを取り除かなければならない。そういう見解である。根源的な原因を探り出すという観点は、理に適った見方と言える。

「孫衛門は『根っこ切らねば悪は滅びぬぞ』と言っていますが、これは根本的な原因を探し出してそれを取り除け、根本原因を除去しなければ悪をなくすることはできないぞと言っているのであります。」

なるほど、明快な説明である。筋が通っている以上は、僕の理性はまだ静川太三郎氏の言葉に抵抗なく付いていっている。

「原因をたどる場合、風桶因果論のような必然性に乏しい因果律を辿る場合もありますが、しっかりとした因果の系列をたどることが勿論望ましい。

たとえば、『風が吹けば桶屋(箱屋)が儲かる』という一般に知られた話は、原因結果の関係が「こじつけ」的なところがあります。

すなわち、第一段階として、風が吹けば埃が立つ、というわけです。そうすると、第二段階目としては、埃が立つとその埃が目に入って目が見えなくなる、それゆえ、第三段階目は、目の見えない盲人たちが大勢発生して、その盲人たちが三味線を買うというわけです。昔は盲人たちが三味線を弾いていましたから。そうなると、第四段階目として、三味線に使う猫の皮が相当必要になり、そのため、猫がどんどん殺される。その結果、第五段階目として、ネズミを取る猫が減るので、ネズミが当然増える。従って、第六段階目として、その増えたネズミたちが桶(箱)をかじる。その結果、第七段階目として、かじられた桶(箱)の代わりに、新しい桶(箱)を求めて、どんどん桶(箱)が売れ、桶屋が儲かる。

ざっと、このような原因結果の系列が並べられて説明されるわけですが、どことなく、笑ってしまう話です。一段目から二段目へ、二段目から三段目へ、と進んでいく過程のそれぞれの因果関係が弱い。風が吹けば埃が立つのは昔の道路であり、現在は舗装された道路が多く、それほど埃が立たない。従って、埃が目に入って目が見えなくなるという二段目の話が怪しくなる。こう見ると、この話自体が、江戸時代のような昔のことであり、時代という条件が変われば、直ちに、この話自体が成り立たない。いや、江戸時代でも、この話の因果関係は怪しいものがある。

まあ、これは落語漫談の類で、単純な笑いを取ると言う目的のものですから、神経質になることもないのですが、現代社会を広く覆っている貧困の問題や果てしなき中東紛争の問題などの原因はしっかりと捉えなければならない。貧困問題や中東紛争が終わりのない悪循環になってはいけないのであります。」

静川氏の風桶因果論の引用は、話を少し寛いで聴いてもらうための息抜きのようなものであったのかもしれないが、ぼくは悪循環を招来せしめる悪原因を講演者の口から早く聞きたかった。そういう思いから、次の言葉へ期待をかけて耳を傾けていると、静川太三郎は、こう切り出した。

「さて、悪循環を断ち切るためには、その根っこの悪原因を解決すべきだと言うことを申し上げたわけですが、それでは、悪原因とは何かということについては、ちょっと置いておきまして、講演のタイトルにある後半の内容、すなわち、恒星の輝きを放つ社会ということについて少しお話いたしたいと思います。

皆さんの中には「恒星の輝きを放つ社会」という表現に、あるいは違和感を覚える人もいらっしゃるかもしれませんが、あえて「恒星の輝き」と言う言葉を使ったのにはわけがあるのでございます。」

まさに、僕が最初から感じていた違和感のあるタイトルを、講演者はそれと知ってわざわざ「恒星の輝き」などという言葉を自覚的に使ったというわけだ。

「ご承知のように、恒星というやつは自ら光を放つ星であります。太陽はまさに恒星でありますが、地球や月は自ら光を放っているわけではありません。太陽の光を反射させて光っているだけであります。惑星の地球や衛星の月は発光体ではなく、恒星の光を受けて反射光を放つ反射体であります。

みなさんはもうお分かりのことと存じますが、「恒星の輝きを放つ」という意味は、自ら輝くという意味であり、自ら輝く社会を作ろうという意味であります。

悪循環社会は、悪い原因を抱えたまま悪のスパイラル運動をエンドレスに繰り返しているだけで、輝きというものがありません。どれほど輝かないか、これからいろいろな事例を挙げて、立証してみたいと思います。」

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