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シェイクスピア参上にて候第八章(三)


第八章 悲鳴を上げるギリシア

(三)シェイクスピア、ギリシア悲劇を語る

ギリシア到着から三日目、エーゲ海の島、サントリーニ島の観光を一行四人は行いました。サントリーニ島には絶対に行きたいので、是非お願いしますと懇願していたのは、ロンドン、ヒースローを出発する時から激しくリクエストしていた山口ひばりさんです。

サントリーニ島へは往路を高速フェリーで渡り、復路はエーゲ航空のフライトを利用することにしました。これも子規くんの提案です。

その日の復路のフライトで、サントリーニ島からアテネへ戻るのはガブリエル一人で、翌日からの彼の叔父バシリウス・メルクーリさんとの会見、テッサロニキの祖父母のところへの訪問などで他の三人よりもいち早くアテネへと引き返すというわけです。

鶴矢先輩と山口さん、それに子規くんの三人は一泊して、翌日のエーゲ航空の朝の便でアテネへ向かいます。アテネからサントリーニ島への旅は、高速フェリーで、四、五時間といったところでしょうか。飛行機なら約一時間ほどです。

さて、フェリーを利用した目的は、とにかくエーゲ海の旅を楽しむということに尽きます。目的地まで数時間も船中にあるのですから。ブルー・スター・フェリーズと名付けられたフェリーはしっかりとしていて、その日は、百五十名ぐらいは乗船していたのではないかという印象でしたが、自由席はかなり空いていて、混雑した様子はありません。

子規くんの判断では、サントリーニ島へのフェリーは混んでいることが多いので、座席指定の席を購入したということでしたが、指定席にはほとんど誰も座っていませんでした。

結局、指定席には、一行四人と、そのほか、数名の人しかいないという状況でしたが、ゆったりとして快適な座席で、ちょうど、飛行機のファーストクラスに乗ったような気分です。最高のリラックス気分で、自由席とは格段の違いでした。

青く晴れ渡った地中海の空、群青色から濃い瑠璃色へと微妙に変化する海の色、そして陸地などの近くではシアンやターコイズの色彩へと変わる海水、こういう海をただじっと眺めているだけでも癒される至福の感情に包まれるのでした。

太陽の光は燦燦としていますが、海風に吹かれても湿気をあまり感じないせいか、さわやかなエーゲ海です。

アテネからサントリーニ島へおよそ二時間経った海上航路のあたりで、鶴矢先輩を除いたほかの三人は席を立って、船内のあちこちを動き回り、甲板へ出たり、レストランでコーヒーを飲んだり、思いのままの自由な行動を始めましたが、鶴矢先輩は猛烈な眠気に襲われ、指定席に深々と座ったまま、一人寝入ってしまいました。

夢見心地の中で、現れたのはまさしくシェイクスピア様でした。

「鶴矢さん、エーゲ海のクルーズを楽しんでいらっしゃいますね、シェイクスピアです。地中海の中でも多島海のエーゲ海は格別なところです。

このエーゲ海があってこそ、ギリシアがあるのです。わたしも、あちらの世界からよくここを訪れるのですよ。」

「これは、これは、シェイクスピア様。ドイツのフランクフルトの植物園でお会いして、またこのエーゲ海で再会できましたことは、本当に、喜ばしい限りです。」

「このシェイクスピアは、「リヤ王」や「マクベス」「ハムレット」「オセロ」などの悲劇を通して、人間の矛盾と不条理を書き、狂気と残酷の世界を抉り出したつもりですが、そのような人間世界の混沌と深淵、葛藤と悲惨を書いた文学のお手本が、実に、このギリシアにあることを知らなければなりません。

エーゲ海の美しさとは裏腹に、古代ギリシアの悲劇作家たちは人間の抱える根源的な矛盾を見つめたのです。」

「ギリシアの悲劇作家たちの視点について研究したことはありませんが、わたしはギリシア悲劇に関しては、ソフォクレスの「オイディプス王」しか読んだことがありません。

シェイクスピア様の悲劇作品の前に、古代ギリシアの作家たちによる悲劇作品があったということでしょうか。」

「人間の悲劇を文学として最初に結晶させたのは、おそらく、ギリシアでしょう。今、あなたがおっしゃいましたソフォクレスの「オイディプス王」は、ギリシア悲劇の典型であると言ってもよい作品です。

父親殺し、生みの母親との愛の関係、すべてが深刻な悲劇です。悲劇を避けようとして悲劇に落ち込んでいく、知らないうちに、どうすることもできない魔の力と誘導が人生に立ち現れるのです。

大げさだ、一般的ではない、などとギリシア悲劇を捉える人があるかもしれませんが、わたしはそうは思いません。

悲劇はないに越したことはありませんが、どんな人も悲劇を避けることはできません。大なり小なり、全ての人間が悲劇を背負うのです。それが人の人生というものです。」

「順風満帆はないということですね。人はそれを望むけれども、それは決してないと言ってよい、人生には悲劇が存在するのだ、悲劇は必ずある。これがシェイクスピア様のおっしゃりたいことですね。」

「まさに、そうです。悲劇は人間の欲望と関係しています。欲を全てなくしなさいということではありませんが、欲望の内容をよく検討しなければなりません。人は邪悪な欲望に捕われやすい、そこに悲劇が生まれるのです。

いくらでも綺麗事を言うことはできますが、それを言う人が、果たして本当にそのことを実現するために心底、努力しているのかどうかは分かりません。その反対のことを考えているかもしれません。

不誠実、無責任、偽りといったことが染みついている人間はいくらでもいます。人間世界は残酷です。だからと言って、落胆したり、悲壮的になり過ぎたりするのもいけません。生きていかなければなりません。」

「たとえば、シェイクスピア様の四大悲劇とギリシア悲劇はどう違いますか。共通点は何でしょうか。できれば、ご教示ください。」

「共通点はまさに、当たり前のことですが、悲劇を書いたということです。わたしはたくさんの喜劇も書きましたが、古代ギリシアの作家もわたしも深い関心をもって悲劇に目を向けたのです。

わたしの悲劇の舞台がほとんど北ヨーロッパであったのに対して、ギリシア悲劇は南ヨーロッパの地中海沿岸が舞台です。

もし地理的なことをあえて言うならば、北欧型悲劇と南欧型悲劇という言い方もできるでしょう。しかし、そのことが本質的な問題だと考える必要はありません。

もし、人間が好んで書く悲劇があるとすればそれは何でしょうか。やはり、それは愛ということに尽きるのです。愛の破局、愛の矛盾、愛の悲劇です。そうではありませんか。

ソフォクレスの「オイディプス王」などは、テーバイの王家を題材に取っていますが、主人公のオイディプス王は先王を殺害した犯人捜しの中で、旅の途中で一人の老人を殺した自分がまさにその犯人であり、殺したあの老人こそは先王のライオスに当たる人物であり、実は自分の父であったという驚愕の結末を知ったのです。

そして、先王ライオスの妻であるイオカステと関係を持った自分は生みの母と関係していることを知り、狂乱に陥るのです。

これはめちゃくちゃに狂ったシナリオですが、家族という関係の中で、その関係を破滅的なところまで突き詰めたソフォクレスの構想の意図は、色々な見方があるにせよ、端的に言えば、愛の破局です。

わたしの「リヤ王」もまた、ソフォクレスの「オイディプス王」の悲劇と同等の、あるいはそれを上回る救いようのない悲劇を書いています。

ギリシア悲劇とわたしの悲劇が共有する悲劇の内容は、愛の悲劇なのです。本質的な共通点はそこにあると思います。

わたしの四大悲劇も、いくつもの愛の相克、愛の葛藤、愛の矛盾を書いているのです。愛がその理想の定義に従って作動しないのです。」

「目の覚めるような思いで、シェイクスピア様のお話を伺うことができまして、感謝の至りです。

わたしも子を持つ親として、親子共々、しっかりと頑張らねばという思いになりました。本当に貴重なお話、ありがとうございました。」

「鶴矢さんは恵まれた方です。立派な息子さんじゃないですか。さて、わたしはあなたのギリシア滞在を見守るとしましょう。三人のお伴の皆様が戻ってきましたよ。それでは。」

「お目覚めですね。鶴矢支社長は、ここで、ゆっくりと心地よく眠っていらっしゃいましたので、勝手に、三人で船内散歩に出かけました。楽しかったわ。」

こう言って、山口ひばりさんが気持ちよさそうな表情で指定席に腰を下ろしました。そして、子規くんがこう言いました。

「甲板に立って、エーゲ海の心地よい風と太陽の柔らかい日差しを感じると、天国だよ。お父さんも甲板に出てみるといいよ。」

息子の言葉に従って、鶴矢先輩は甲板へ向かいました。ギリシアの海はどこまでも碧く、空は澄み渡っていました。水面がキラキラと日差しの照り返しで、光の乱舞を見るようでした。

悠久の歴史の流れの中で、変わらずに、ここに、このようにエーゲ海はあるのです。

一行はサントリーニ島に到着し、切り立った崖の島を見ると、その相貌は極めてユニークなもので、驚きました。

その由来を調べていた子規くんの説明によると、紀元前十六世紀、火山の大爆発があり、その噴火によって険しいカルデラ地形ができたということです。

崖の上には白い家々が立ち並び、フィラとイアの二つの街があります。

崖の上までは、ロープウェイで登るか、ロバで登るか、あるいは歩くか、三つの方法しかありませんが、一行はロバに乗ってみようということになりました。

階段になった急な坂道をロバは悠然と登っていきます。がっしりとしたロバです。登りきったところがフィラの街でした。

白い家の立ち並ぶ光景はギリシア的美観なのか、古代からのミノア文明的伝統なのか、いずれにせよ、圧巻です。

とりわけ、山口ひばりさんは、白い教会、白い家、白いブティック、白いタヴェルナ(レストラン)、白尽くめの景観にうっとりとしています。ここまで、白尽くめだと、精神状態が真っ白になり、幻想的な気持ちになってしまいます。

美術館、博物館、教会堂、ワイナリーなど、いくつもの見学箇所があり、いくつかの代表的なところを巡りました。

イアから夕刻の地中海を見ると、徐々に沈み行く太陽と夕焼けの素晴らしさが感動的であり、多くの観光客がスマホやカメラをその光景に向けていました。

夕食はフィラの街で取りました。カパリ・タヴェルナという名のレストランに入り、大皿に大きなトマトの乗った料理を注文しました。トマトの中がくり抜かれ、ライスが詰め込まれています。皿の上には野菜がいろいろと盛られ、エビやタコなども混じっています。

フィラの街は多くの観光客が練り歩きながら、夜遅くまで賑わいを見せていました。

山口さんは、土産ショップに入って、マグネットとキーホルダーをそれぞれ数個ずつ、シャツなどを数枚、買っていましたが、誰に上げるのでしょうか。きっと日本にいる家族に送るのではないかと思います。

翌日の朝、エーゲ航空で、鶴矢さん父子と山口さんの三人はアテネへ戻りました。

ロドリゲスの報告を心待ちにしていた鶴矢支社長は、ロドリゲスがホテルに戻ってくるまで、息子さんの子規くんからギリシア生活の実感などを聞き取っていました。それも何らかの参考にしたいという思いからです。

ロドリゲスがホテルに戻って、鶴矢先輩に報告した内容を要約しますと、以下のようになります。

ロドリゲスはまず叔父のバシリウス・メルクーリに会っていろいろとギリシアの状況を聞き、そのあと、テッサロニキに住む祖父母のところを訪ねたわけですが、アテネ市役所に勤務する叔父(母ヘレナの弟)のバシリウスがどんな話をするか、そこが鶴矢先輩の関心の的でした。

ロドリゲスによれば、二〇一〇年以降のギリシア危機の中で、叔父は公務員の立場がどれほど社会的に非難を受けてきたかを語ったということです。税金泥棒のような中傷を幾度も幾度も聞かされ、本当に大変だったと言います。

叔父のバシリウスが言うには、これはそもそもEUという共同体が生んだユーロ通貨圏の経済システムが悪いのか、ギリシアの政治と経済が最大の原因なのか、いろいろ考える日々が続き、悩んだ挙句、自分なりに考えを整理したというのです。

バシリウスはロンドン・ビジネス・スクールで学んでおり、ギリシアがどういう風に見られているのか、ギリシアの問題は何かなど、自国に対する客観的な判断力を持っていました。

ですから、感情的な狭い判断しかできないというタイプではないということで、彼が整理したギリシア危機の遠因、近因は少なからず参考になると鶴矢先輩は思いました。

まず、政治的な問題です。ギリシアは一九七四年、民主化により、労働組合を基盤とする中道左派のPASOK(パソック)が長期政権を維持しました。

その多くの支持者が国家公務員として採用された結果、人口の四分の一が公務員になり、公務員大国になったのです。

これによって、多額の人件費と福祉予算、特に五〇代で定年退職して支給されるその後のゆとりある年金生活といったことが歳出の大きな部分を占めるようになりました。

公務員に対する優遇措置が実施されてきたこの状況に対して、バシリウスはもっと歳入を増やす政策、すなわち、国家としての配分パイの拡大を考えるべきで、新たな産業育成など、収入の道を真剣に実施していかないと大変なことになるという危機感を絶えず抱いていたということです。

良識を持った公務員と言うべきでしょうが、そのようなお役人さんはそれほど多くなかったということでしょう。

一概に公務員を悪者扱いにすることはよくありませんが、ギリシアの場合、確かに財政運営に対する脇の甘さがあったと言えます。

鶴矢先輩も話したように、ギリシアは外国からの支援で生きてきたという歴史性が強く、踏み倒しもしばしばあった前歴から見ると、借金で生きることをそれほど苦にしない体質があるように思われます。

しかし、このことを言い始めると、一体、どこの国が健全な経営をしているのだという論議に発展しそうであり、そういう財政感覚を巡る倫理の問題は脇において、多かれ少なかれ、世界各国は財政的な問題を抱え、苦悩しているという現実をこそ見据えるべきであると、ある意味での正論も出てくることでしょう。

こんなギリシアに誰がした。ギリシアの公務員がした。これでは、かなり乱暴な論理展開だと感じられてしまうでしょう。バシリウスも公務員の一人であることから、単純な公務員叩きには加担できないと言ったそうです。

次に、バシリウスがロドリゲスに語ったことは、EUと統一通貨のユーロについてです。

EU加盟を果たし、その一員としてギリシアが歩み始めたのは、一九八一年のことですが、ユーロの導入は二〇〇一年です。

EU加盟国がすべてユーロを導入しているわけではありません。デンマーク、スウェーデン、チェコ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、クロアチア、ブルガリアはユーロを導入していないのです。EU離脱を決めている英国もポンドで通しています。ユーロ導入国は十九か国です。

ユーロは一つの夢であり、壮大な実験であると見ることもできます。

なぜなら、リーマンショックの時において、米国以上にその影響を被ったのはEU各国でありました。金融問題に税金を投入することはできないとしたEUはユーロの暴落を見たのです。

米国は税金を惜しみなく投入し、いち早く危機を脱しました。

また、ギリシア危機において、一国の財政危機がEU域内に連鎖波及してしまうという事実も、統一通貨ユーロの弱点を曝け出しました。次はイタリアだ、スペインだ、ポルトガルだ、いや、フランスさえも危ないぞといった騒ぎが起きたのです。

欧州中央銀行で一本化された金利調整機能や政府支出の在り方への助言、干渉などは、加盟国間の経済状況や産業構造、政治体制、国民性などの違いを考えれば、適切さを欠くと思われても仕方ありません。

加盟国間には明らかに富の格差が存在します。このようなEU各国に対して欧州中央銀行が万能の施策を打ち出すことは事実上不可能です。

しかし、それでもEUを創設し、統一通貨のユーロを流通させたのですから、ユーロのメリットが全くないかと言うと、勿論、メリットもあると判断しなければなりません。

まず、統一通貨ですから、為替のリスクを回避できるという点です。これは「最適通貨圏」の構想を打ち出したロバート=マンデルの理論を信頼する立場に立てば、そのように言えます。

少しへそ曲がりになって「最適通貨圏」の理論には、問題があるとすれば、統一通貨のメリットと言われるものに疑いを差し挟まなければなりません。

国家という枠と国家を超えるという大きな枠組みの二つが、経済という視点と政治という視点から見て、矛盾のない整合性を確保できるのか、大きな問題が残されています。

バシリウスは今でも、この問題に立ち至ると頭が痛いとロドリゲスに語ったそうです。今更、ギリシア通貨のドラクマに舞い戻るなど考えることもできないと語りました。

もう一つは、ギリシアの歴史的問題、それはギリシアの地理的な位置が大きく関わっていますが、西欧と東欧の懸け橋の位置にあるギリシアならではの問題であると、バシリウスは指摘しました。

いわゆる、ギリシアの地政学です。EUは我々を見捨てない。われわれがソ連(ロシア)に近づけば、欧米は困るだろう。我々が欧米と行動を共にする条件がギリシアへの支援に他ならない。簡単に米国やEUが我々を見捨てることはできないだろう。

戦後、米国が我々を援助してきたのも冷戦構造(東西対決)の東端に位置する西側陣営であったからである。ギリシアの為政者はこの論理をよくわきまえていた。

言い換えれば、ギリシアは欧米を上手に利用し、手玉に取りながら生き残りを図ってきた。そういう才能に長けている。このことをバシリウスははっきりと語りました。

そのことを冷静に見つめてみると、確かに、ギリシアがロシアの懐に入った場合、地中海はロシアの海になる可能性があり、EUの安全保障上の危機感、すなわち、NATOがロシアに対して抱く脅威は大きく増大するでしょう。

欧米はどんなことがあってもギリシアを失うことはできないという宿命的連帯感をギリシアに抱いているのです。ギリシアがしたたかになるのもこのためです。

西欧を離れ、オスマントルコの支配下で暮らした歴史的受難を持つギリシアですから、今日、ヨーロッパと世界は、西洋文明の源流であるギリシアが誇りある欧米文化の原郷たる位置を有していることをはっきりと認識すべきだという自負を抱いているとしても不思議ではありません。

バシリウスの言葉の中に、このギリシアの自負が明確に表れていました。

以上、述べた内容がバシリウスの語ったことであり、それが平均的なギリシア人の考えなのかどうかは知る由もありませんが、ロンドンの大学で学んだ知性人として、かなり冷静に事態を見つめていることはロドリゲスの詳細な報告で分かりました。

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