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J-POPの世界:浜田省吾

J-POPの世界を覗いてみると、そこには豊穣な音楽世界が広がっている。洋楽に引けを取らない豊かな世界である。J-POPの世界は、今日、その評価を世界的に高めつつあるという認識を持っても、一向に差し支えないと言える。
 
1970年代も終わろうとするとき、衝撃的なロックが日本列島に響き渡った。乾いた声でロックを歌い上げ、聴衆を酔わせ、サングラス姿でステージに立つこのミュージシャンこそ、浜田省吾その人であった。略称「ハマショー」の歌う曲は、どれもこれも人々を引き付ける魔力のようなものを持っていた。
 
どこか反抗的な姿勢で社会を見つめ、すねた若者が精いっぱい抵抗する生き方を歌い上げる浜田省吾の音楽スタイルは、80年代の若者たちに「かっこいい」、「最高にクール」という感慨を与えたものだった。素顔を見せない浜田のサングラス姿は、彼のプロテストロック、あるいは社会派ロックというものを引き立たせる効果をこの上なく発揮した。聴衆がどれほど興奮、歓喜しても、冷静でいられる青のフィルターがかかった会場の景色は、浜田の冷静で沈着な精神を助けていたに違いない。
 
浜田省吾のことを考えるとき、テレビでは滅多に、いやほとんど見かけられないシンガーソングライターであるという印象をまず挙げなければならない。テレビで露出度を上げるのが、ほとんどのミュージシャンたちであるという現代音楽シーンの鉄則を破って、浜田は、テレビで見るのではなく、ライブに来い、俺のコンサートツアーを生で楽しんでほしいというプリンシプルを崩さない。音楽は生で聴くものだという哲学を語る浜田は、その意味では、テレビ文明に対する反逆者である。殊に、音楽に関して言えば、そういうことになる。
 
会場に駆けつけたファンは、浜田のハードロック、ミディアムロック、スローなバラード、次々に歌い上げられる曲の一つ一つに酔いしれる。若者たちだけではない、いい年になった40代、50代の企業戦士たちも拍手喝采を送る。いや、聴きようによっては、企業戦士に送る応援歌のようにも聞こえる。一気に、日頃の疲れが吹っ飛ぶのだ。積もりに積もったムシャクシャをスカッと弾き飛ばしてくれる。不思議な魅力を放出する浜田省吾の歌である。
 
60年代、ビートルズに触れて衝撃を覚えたときから、試行錯誤の70年代を超えて、80年代には浜田自身の音楽的方向性がようやく固まった。ライブで、多くのファンと共に歩む道こそ自分の音楽の道だと悟るのである。この方向性を見出して以来、彼の音楽は年々、爆発的な人気を博していく。70年代後半に不発と思われた曲たちも、80年代にリメイクして、すべてヒット曲に変えた。彼の揺るぎない音楽的信念は、ファンの心の中にしっかりと定着していった。
 
ファンに寄り添い、大衆に寄り添って、音楽の興奮と喜びをシェアする彼の音楽スタイル、それはすなわち、自分の信じた音楽を人々に提供するということに尽きる。これしかないという確信に立って、コンサートツアーを実施する。するとどうであろうか。
 
80年代のツアーの大反響が示した通り、浜田の音楽はファンの心を捕らえ、熱狂的なファン層が固まることによって、それまで、浜田を知らなかった周辺の多くの人々も、浜田の音楽に引き込まれていくという現象を引き起こしたのである。
 
じわじわと、しかし、ある時を境に爆発的に、浜田の音楽は国民的な人気を掴んでいったのだ。テレビ画面には現れなくても、浜田省吾がいるという強力な存在感を人々は感じるようになった。浜田というミュージシャンを誇らしく思うようにもなった。彼の曲を聴いていると何だか力をもらうマジックを体験するようになった。また、なぜか、たまらないほど悲しい気分にさせられ、泣きたくなる音楽も多く、切ない心持にもなった。
 
一度、ハマショーの曲が放つ魅力に嵌まると、彼の曲たちが違和感もなく、次々に聴き手の脳髄を直撃し、あるいは激しく、あるいは優しく包摂する感覚に襲われる。歌われる歌詞の言葉は、ほとんど浜田自身の体験に基づいた青春時代の心象風景と思っていい。多くの矛盾に純粋な疑問を抱き、社会に対して、親に対して反抗して見たくなる青春像である。
 
いくつかの代表的な曲を見てみよう。ストレートなハードロックが、心地よいスピード感で響き渡る曲を挙げるならば、「明日なき世代」、「終りなき疾走」、「MONEY」、「ON THE ROAD」、「愛の世代の前に」、「I am a Father」、「詩人の鐘」、「モノクロームの虹」などが思い浮かぶ。
 
衝撃的なのは、例えば、「MONEY」で歌われる歌詞を見ると、
 
「兄貴は消えちまった 親父の代わりに 
油にまみれて俺を育てた 
奴は自分の夢 俺に背負わせて 
心ごまかしているのさ 
Money Money makes him crazy.
Money Money makes changes everything. 
いつか奴等の足元に BIG MONEY 叩きつけてやる」
 
といった勇ましい言葉が曲の中で炸裂するのだ。さらに、「詩人の鐘」を聴くと、これはもう現代世界の矛盾を糾弾する激しいプロテストであり、予言者の叫びである。強力な天の警告とも思える言葉が曲全体を覆っている。
 
一方、ミディアムなロック、あるいはポップロックも名曲が揃っている。「“J.BOY”路地裏の少年」、「夏の終り(ROAD OUT “MOVIE”)」、「ラストダンス」、「A NEW STYLE WAR」、「家路」、「君の名を呼ぶ」、「光と影の季節」、「日はまた昇る」、「君に捧げる」など、どれも秀逸な仕上がりを見せている。
 
特に、「“J.BOY” 路地裏の少年」がコンサートで歌われるとき、「J BOY」の歌唱に応えるかのように会場が一体となり、大きなうねりを作る様は、壮観である。この曲はまさにコンサートを盛り上げるテーマソングのようなものだ。
 
スローなバラードを歌っても、極上の名曲を聴かせてくれるという浜田省吾の曲作りには、脱帽である。とりわけ、聴く者の心をかきむしる憎いほどのメロディと歌詞には魔法がかけられていると言ってよい。「悲しみは雪のように」、「もう一つの土曜日」、「PAIN」、「片想い」、「丘の上の愛」、「愛という名のもとに」などは言葉が出ないほどの出来栄えだ。
 
愛に伴う不条理な悲しみを歌う浜田は、男女の間に横たわる愛の悲しみに寄り添いたいと言うのだろうか。慰め、慰められる中からもう一つの愛が生まれるのか。とにかく、男女の愛というものは世界で最も難しいテーマである。神が人類に与えた愛という宿題に満点をもらえる人はほぼいないだろう。だから人は、逆説的ではあるが、愛を歌うのだ。愛を歌わざるを得ないのだ。
 
「彼からの電話を待ち続けて テーブルの向こうで君は笑うけど 瞳ふちどる悲しみの影 
・・・ただ週末の僅かな彼との時をつなぎ合わせて君は生きる もう彼のことは忘れてしまえよ」、愛の中に漂う悲しみの影、これがもう一つの土曜日なのだ。
 
ああ、人類よ、愛を取り戻せ、愛をなくしてどこへ行く。浜田省吾がこう叫んでいるような気がするのである。

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