言葉に対する無責任のすすめ

 ここ数日でわかってきたことがある。それは、人から誤解されることを怖れていては、何も話せないし何も書けないということ。

 わたしが無口になるとき、あるいは気軽に文を書けなくなるときは、「誤解されたらどうしよう」「こんな人間だと思われたらどうしよう」という恐怖が根底にある。

 動画配信(書くエネルギーを確保するために停止しています)を始める前に悩んだ理由もここだった。

 自分のことを誤解されるのはすごくしんどい。先日もそのことで我慢できなくなってしまって、結果的に友人を泣かせてしまった(その後、話し合いで誤解していたのは自分の方だったことが判明したのだけど)

 でも、どんなに言葉を尽くしても、誤解が生じるときは生じる。先日のオンラインシェアハウスのオフ会で誰かが言っていたけど、日本語はひとつの言葉に込められた意味が多すぎて、使い手によって意味が大きく変わってくると。
 特にわたしは感覚で物を喋るから、文法なんてめちゃくちゃだし、単語だって間違って使っていることが多い。(文を書くときはなるべく調べるようにしてるけど、思い込みのせいで誤用してしまうこともある)

 そんなんで誤解するなっていう方が無理だし、そもそも誤解されないように伝える機能がわたしには標準装備されていないんだ。

 何を喋っても、何を書いても、誤解されるときはされるし、それで人を不快にさせてしまうことはある。でも、それがわたしなら逃げようがない。

 いつだってそう、「わたしはわたし以外の人間にはなれないんだ」ということを思い出した瞬間、肚が据わる。

 ほら、ここ数年、芸能人が干されることが多いじゃない。うっかり口にしたひとことが原因でめちゃくちゃ叩かれて、いろんな番組降板することになって、戻るためにテレビで泣きながら謝ったりして。
 ああいうの見てると、何を口にするのも怖くなる。ていうか、叩いている人たちも、自分で自分の首を絞めてることに気づいてるんだろうか。

 これもオンラインシェアハウスのメンバーの話。「日本を変えていくには、もっとみんなが失敗に寛容になる必要がある」って言ってる人がいたんだけど、それはたぶん別の意味だったんだけど、わたしは失言とかそういうものに対しても寛容になるといいなあって思ってる。

 言葉って、目の前を流れていくものだと思うんだよ。言っている本人だって、そのときはそれを流していても、次の日には別のものを流していたりする。
 それを拾って自分の中に蓄積するのは本人の意思だから、勝手に拾っておいて「あの発言は許せない」なんて言って裁くのはなんか違うんじゃないだろうか。

 自分の言葉に責任を持てって言う人がいるけど、わたしは無責任でいいと思ってる。だって、その方がきっと本音を話しやすいから。本音を話せるようになったら、世の中の問題の多くは解消されると思うから。

 言葉に責任を持つことよりも、言葉に今この瞬間の自分をすべて詰め込むことにエネルギーを注ぎたい。

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水流苑まち(つるぞの・まち)

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