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またひとつ、大きなものを手放して。

「何をしている人ですか」と聞かれたら、作家だと名乗ることにしている。日に日に作家という言葉が肌に馴染まなくなってきているのだけれど、今の自分を正確に伝える表現が思いつかないので、惰性でそう名乗り続けている。

 作家と言っても出版社を通して本を出しているわけではないし、ネット界の売れっ子作家というわけでもないので、よく人から「どうやって生活しているの?」と訊ねられる。
 いつもその時の気分で適当に答えるのだけれど、正確に回答すると、個人事業主である父の仕事を手伝うことで月に数万円の収入を得て、足りない分は会社員時代の貯金でまかなっている。

 仕事内容はリモートワーク可能なものばかりだし、父親相手なのでわがままも言い放題だ。かなり楽をさせてもらっていると思う。
 それなのに、私はその仕事を手放すことに決めた。

 ここ数カ月ほど、仕事を続けることに対する違和感が膨らみ続けていた。仕事が嫌というわけではないのだけれど、自分の人生が展開していくにつれて、実家の仕事にエネルギーを注げなくなってきていた。
 依頼が入ってもなかなかやる気になれず、やっと取りかかっても集中できない。結果、やっつけ仕事になってしまう。

 何度かそのことで母に責められた。その度にやめる方向で話を進めるのだけれど、「ここさえしっかりやってくれればいいから」と妥協案を出されると、ついそれに甘んじてしまう。私は私で収入が途絶えることが怖くて仕方なかったのだ。

 たまに、頭の中で『自分で稼いでいく覚悟を決めて実家からの収入を断った方がいい。そこを手放さなければ、他のところからお金が入ってこない』という声が聞こえたけれど、踏ん切りがつかなくて、毎回「甘えられるうちは甘えておけばいいじゃない」と自分を言いくるめていた。

 一方で心と体は正直者だ。日を追うごとに気が乗らないことはできなくなっていく。今月、ついに書くことさえ無理にはできなくなった。
 とにかく、その時に一番やりたいことしかできない。そうでないことをやろうとしたら、無気力になって結果的にエネルギーも時間も浪費することになる。

 少し話は逸れるけれど、先日、電車に揺られている時、唐突に「自分の心の声を信じられなくて、いったい何を信じろと言うのだろう」という言葉が浮かんできた。

 これまでに何度も『実家の仕事をやめさせてもらった方がいい』という考えが脳裏を過っていた。それなのに私は、それを信じることができなくて、見なかったふりを決め込んできた。

 だけど、その時は、「今度こそ本当にやめるタイミングだ」と思えた。
 その夜、見計らったかのように母から連絡が入った。もう少しまともに仕事をがんばるか、それともやめてしまうか選んでほしいとのことだった。
 話し合った結果、あっさりとやめることが決まった。
 正確には、委託という形で一部の仕事だけ請け負うのだけど、収入的にはほぼゼロになる。

 やっていける当てなんてないし、現状、自力で稼げる額は微々たるものだ。このままの状態が続いたら、来年の春くらいには貯金が尽きてしまうだろう。
 それでも、何だかもう大丈夫な気がしたのだ。

 今の私にあるのは根拠のない自信。
 それだけだ。
 だけど、それこそ私が最も欲していたものだった。

 不安がないわけではない。
 つい、『無職 借金をする方法』なんていうワードで検索してしまうくらいには不安を抱えている。

 でも、それ以上に清々しい気分だった。
 相手が肉親とはいえ、お金を受け取ることで精神的に縛られていた部分もあったのだと思う。クビになったらなったでいいやと割りきって考えるようにはしていたけれど、完全に吹っ切れていたわけではなかったから。

 今回の件と言い、同棲相手と別れたことと言い、今年は大きなものを手放す年になった。だいぶスペースが空いたから、そこに何が流れ込んでくるのかを楽しみに、残りの日々を過ごそうと思う。

 今年も残すところあと一カ月と少し。
 なるべくエネルギーを時間を浪費しないように、自分の心を丁寧に読み取りながら生きていきたい。

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