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エラー

【あらすじ】
競馬で万馬券を当てた男は、立ち飲み屋で酔った帰りに、せっかく手に入れた札束を落としてしまう。
すぐに引き返して来た道を探し回ったが、すでに誰かに拾われてしまったのか見つからなかった。落胆して帰宅した男は、コタツに入ってヤケ酒を開始する。
と、そこへ怪しげな訪問販売の営業マンが現れた。なんでも、指紋認証した人間の落とし物を回収して届けてくれる「落とし物回収サービス」を提供しているのだとか。二週間無料で試せるというので、男はダメ元でサービスを受けてみることにしたのだった。
(原稿用紙約15枚)

 ある日曜の午後四時前、男は競馬場の一席でガッツポーズを決めていた。穴馬狙いで買った馬券が百万円に化けたのだ。わずかな貯蓄を食いつぶしながら生きている無職者にとっては、大金どころの騒ぎではなかった。これで当面は酒にも食い物にも困らずに済む。換金した金をジーパンの後ろポケットにねじ込み、男はほくほく顔で帰路についた。

 途中、飲み屋に立ち寄り酔っぱらって帰ってきた男は、家についてズボンの後ろポケットに手を伸ばしたところで青ざめた。
「おい、冗談だろう」 
 中身がそっくり消えていたのだ。男は慌てて家を飛び出すと、飲み屋までの道を引き返した。しかし、札束はどこにも落ちていない。飲み屋の店主にもこっそり聞いてみたが、そんな大金は見ていないという。念のため警察にも行ってみたが、これも徒労に終わった。

 これだけ探しても見つからないということは、すでに誰かが拾って自分のものにしてしまったに違いない。いや、そもそも本当に落としたのだろうか。酔って正体をなくしている隙に、掏られてしまった可能性もある。どちらにせよ、最悪だ。

 男は帰るなりコタツに入ってヤケ酒を開始した。泥酔してとうとし始めたころ、突然家の呼び鈴が鳴り響いた。起き上がるのは怠かったが、もしかしたら警察が何か手がかりを持ってきてくれたのかもしれないと期待して、玄関へ向かった。

 扉を開けると、スーツを着込んだ三十代くらいの男が立っていた。
「お休みのところ申し訳ございません。わたくし、こういう者でして」
 差し出された名刺には、××商事という社名と男の名前とが印刷されていた。肩書は営業社員だ。
「それで何の用だ。言っておくが、訪問販売はお断りだからな」
 男は威嚇の意味を込めて舌打ちをした。
「まあまあ、そうおっしゃらずに」営業マンは男の機嫌など気にも留めない様子で、勝手に説明を始める。「当社は独自に開発したデータベースに基づき、訪問先を厳選しております。ご紹介するサービスとお客様とのマッチング率は九十九パーセント以上と……」
「ええい、うるさいっ! 興味がないと言ってるだろう。いいからもう帰ってくれ」
 男がいっそう声を荒げて扉を閉めようとした、そのとき――。

「お客様、最近なにか大切な物をお落としになりませんでしたか?」
 先ほどまでにこやかだった営業マンが、急に真顔になって訊ねてきた。扉を閉めかけていた男は、思わず動きを止めた。
「落としたとしたら、なんなんだ?」
「それを簡単に取り戻す方法がございます」
「……いいだろう、詳しく聞かせてくれ」
 胡散臭いとは思いつつ、男はとりあえず営業マンを家に上げることにした。

 営業マンがスーツケースから取り出したのは、単行本サイズのタブレット端末だった。
「当社は落とし物回収サービスを提供しております。こちらの機械でお客様をモニタリングさせていただき、その情報を基に落とし物を特定、独自データベースにアクセスして目標物の位置情報を取得、専門の作業員に回収させたのち、お客様の元へ配送を行うといった流れになります」
「どうもいろいろ腑に落ちないな。どうやって落とし物を特定するんだ?」
「口頭で説明してもわかりにくいと思いますので、とりあえず一度お使いになってみませんか? ただいま無料お試しサービスを実施しておりますので、二週間以内に解約していただければ、料金は一切発生いたしません」

 男は躊躇ったものの、それで百万円が戻ってくるなら、多少面倒なことに巻き込まれてもかまわないという覚悟で承諾した。
「では、まずこちらの画面に手のひらを当てて下さい。はい、認証完了です。ただいまよりモニタリングが開始されました。あとは落とし物が届くのを待つだけです」
「これは、モニタリング開始前に落とした物まで把握してくれるのか?」
「はい、記憶にアクセスしているので問題ございません」
「なるほど。しかし、あえて捨てたものが戻ってくるなんてことはないだろうな?」
「稀に誤作動を起こしてそういった事態を招く可能性がございます。その場合、お手数ですが、一度電話にてご連絡下さい。こちらでエラー処理をさせていただきます」
「受け取る前に中身を確認できないのか?」
「トラブルを避けるため、ご本人にお受け取りいただくまで、中身はお伝えできない規則になっております」
 男はやや不安になったが、特別戻ってきて困るものも思い浮かばなかったので、その部分には目を瞑ることにした。不都合が生じたら、金を取り戻した時点で解約してしまえばいいだけのことだ。

 営業マンが立ち去ると、男はそわそわしながら配達員がやって来るのを待った。営業マンの話では、状況次第では数カ月以上もかかるということだったが、男は運がよかったらしい、数時間後には配達員が訪ねてきた。
「落とし物回収サービスの者です。お客様の落とし物の回収が完了したので、お届けに参りました。こちらに母印をお願い致します」
 右手親指の印影と引き換えに、男は手のひらサイズの箱を受け取った。配達員を帰してから開封してみると、中には本当に札束が入っていた。

 あまりに出来すぎた展開に、男は一瞬、不気味さを覚えた。それから次に、これは本当に自分が落とした金なのだろうかと疑った。
 しかし、ひとたびそうした感情が去ると、握り締めた札束の厚みにも実感が湧いてきて、心から喜びがあふれてきた。これで、一度は消えかかった夢の生活を続行することができる。
 実際、男はその日から飲み屋に入り浸るようになった。

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