あふれていないのに与えようとするから__愛情泥棒みたいなことが起こるんだと思った_

まず自分から与えようとすることで 無理をしてしまっている人たちへ

愛に飢えた状態で与えようとしても枯渇死するだけ

今、声を大きくして叫びたい。
自分が満たされていない状態で与えるなんて、無理!!!!
それに悦びを感じる稀有な人はいいけど、それ以外の人は見返りが欲しくなって当然だし、そこを無視して与え続けているとフツーに枯渇死するよ、枯渇死!(これが言いたかっただけ)

実際わたしは自分の気持ちを無視して雑に与え続けた結果、本当に与えたいという気持ちがどういうものなのかわからなくなってしまったことがある。
(※今回は「与えること」に絞って書いてるだけで、一方的に与え続けてきたわけではありません。そんな聖人君子じゃないぞ!)

満たされてあふれる体験から気づいたこと

「こらあかん!」ということで、しばらく人に与えることを意識的にやめてみた。相手から愛をもらってどうしても与えたくなった時もあったけど、そわそわしながらも心を鬼にした。

その時期に会った人の中には、「こいつもらう一方で何も返さないな」と思った人もいるかもしれない。申し訳ない。
でも、その時のわたしにはどうしても必要な時間だった。

そうこうするうちに、「どうしてもこの人に愛を返したい」と感じる瞬間が出てきた。だけど相変わらず『満たされてあふれる感覚』はよくわからないままだった。

そして、わたしにとって大きなターニングポイントが訪れる。
それは夫のきたきたとセックスしている時のことだった。
そこに至る方法については、追々なんらかの形で伝えていくけど、セックスの最中、連続オーガズム(※1)が長くなってくると、 頭のてっぺんからつま先まで心地よさに満たされて、「もう何もいらない!」という気持ちになる。
(※1 子宮から頭のてっぺんまで一気にエネルギーが突き抜ける感覚が持続すること。身体が勝手に反応して暴れたり叫んだりする)

その感覚に入ると、相手への愛があふれて意識しなくても勝手に愛を表現してしまうし、何なら二人の間だけで収まりきらなくなって周りにまであふれ出してしまう。

その体験をしてはじめて、『無理やり周りに与えることと、満たされてあふれ出したものを周りにお裾分けすることとはまったく別物である』ということが腑に落ちた。

あふれていない人があふれている人の真似をするのは危険

世の中には、愛を上手に循環して生きている人と、自分がカスッカスになるまで与えて枯れ果ててしまう人がいる。(それ以外もいるけど、めんどくさいから割愛)
「愛情泥棒」なんていう言葉があるけど、あれは、あふれていない人が無理に与えようとした結果として起こるんじゃないだろうか。

実際にあふれる体験をしてみて感じたけど、あふれたものをいくら周りに分け与えても、与えた本人が枯渇することはない。
返ってきたらその分だけ増幅するけど、もし返ってこなくてももともと余っていたものだから困らない。

でも、それをあふれていない人が真似するのは危険だ。
運よく愛が返ってきて満たされたらいいけど、相手も飢えている人だったら返ってこない可能性がある。
もともとお腹ぺこぺこなのに無理して与えたわけだから、返ってこなかったらお腹ぺっこんぺっこん(お腹ぺこぺこの最上級)になってしまうかもしれない。
あふれていない状態で人に愛を与えることはそれくらい危険なことだと自覚しよう。

人に与えようとするのは、周りに満たしてもらってあふれてからでいい

もし、今、過去の自分と出会ったら、

「愛が足りていないあなたが、満たされてあふれている人と同じように与えようとしなくていいんだよ」

と言ってあげたい。

きっと、愛されたくて無理をしてしまうんだろうけど、そんなことをしなくても『満たされてあふれてしまった人』は愛してくれる。

無理をしなくても、どうせ満たされたら勝手にあふれ出すんだから、自分を信じて、まずは周りのあふれている人から満たしてもらおう。
そうやって満たされてあふれてきたら、今度は自分が周りに与える人になればいいんだから。

「そんなことを言われても周りに満たしてくれる人がいない」という人もいるだろう。その場合の処方箋もどこかで書けたらと思う。

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