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あの日、自ら舞台に上がって感じたこと。

 九月の中旬に大阪・新世界で行われたセルフ祭に参加してきた。
 セルフ祭は「己を祭れ」が合言葉の奇祭で、出店も出し物もちょっと普通の祭りでは見られないような、強烈な個性を放っていることが特徴だ。

 時間がないので詳細は後日書き記すとして、ここれある印象的な体験をしたので、今日はそれについて書きたいと思う。

 あの日、会場である商店街には誰でも一発芸を披露することができる舞台が用意されていた。

 自分で芸を考えることが苦手な人のためになのかはわからないけど、参加者が気軽に舞台に上がれるような仕掛けもあって、たとえばボールを受け取るふりをして「ストラーイク」と叫ぶコーナーや、延々とドラえもんの物真似をするコーナーが設けられていた。

 参加者の中からランダムに選ばれた人が舞台上に連れて行かれる。
 一発芸に慣れている人ばかりではないから、無理におもしろいことをして滑る人や恥ずかしがりながらぜんぜん似ていない物真似を披露する人など、ひどいクオリティだった。

 最初は、やや退屈に感じながら眺めていたのだけれど、そのうちに、人が素の状態で自己表現を行う姿がおもしろくなってきた。
 同時に、その場に集まっている人たちからも、舞台の上に立つ人たちを温かく見守るような空気を感じた。

 いつか演劇の本で読んだ『舞台上に猫が紛れ込むと、みんな劇よりも猫の方に夢中になる』という話を思い出す。
 予想外の動きを取るものはそれだけでおもしろい。自然体で生きている人が魅力的に映るのは、常に予想外の展開を見せてくれるからだと思う。

「当てられたらどうやって逃げようか」と考えながら見ていたのだけど、滑ってもぐだぐだしても大丈夫な人たちを見ているうちに、自分も何かしたくなってきた。
 一緒に見ていた友だちに「今日中にお互いひとつ一発芸を披露しよう」と誘われたこともあって、私の中に『一回は舞台に上がる』という目標ができた。
 それなりの人数(十人以上はいただろうか)が席についている舞台に上がるなんて、上がり症の私には気が遠くなるようなことだった。
 だけど、「何をしても大丈夫」という安心感に包まれた舞台に立てるチャンスは今しかないという思いもあって、『巨大なサンマの人形を持ち上げて「うおー」と叫ぶ』という謎のコーナーで自ら立候補して舞台に上った。

 誘導されてマイクの前に立つと、客席の方から「可愛い」という声が聞こえたきた。その日、私はピンク色のウィッグにアリスのコスプレという出で立ちだった。
 嬉しく思う反面、恥ずかしくなって頬が熱くなる。それなりに話すことをシュミレーションしていたのに、頭の中が真っ白に飛んでしまった。

 司会のお兄さんがあれこれ話しかけてくれるけど、耳に入ってこない。
 ただ、「みんな、恋してるかーい?」と呼びかけることだけは心に決めていたので、タイミングが来たところで精一杯叫んだ。
 静まり返る場内。気にせずに一人二役で「いえーい」と応じる。
 その後のことを考えていなかったので、この空気をどうしてくれようかと思っていたら、横からお兄さんが「お姉さんは恋してるの?」と助け舟を出してくれた。
 反射的に頷く。「まだ恋と呼べるところまで育っていないし、この先どうなるかもわからない」と頑なに認めないようにしていたのに、なぜか身体が勝手に反応してしまった。

 ここからがひどかった。
 何を血迷ったのか、お兄さんが「じゃあ、その人の名前を叫びながらサンマを持ち上げよう。うん、いいね。みんな次から好きな人の名前を叫ぶコーナーにしよう」と言い始めた。
 会場内にはその人のことを知っている人間が一名。言えるわけがない。
 お兄さんに向かって小声で「無理。知ってる人がいる」と耳打ちすると、そのセリフをそのままマイクで言われてしまう。
「じゃあ、二文字だけでいいよ」
「名前、二文字だもん」
 耐えきれなくなって座り込んでしまった。床の上にお尻をついて嫌々を続ける。もう、客からの視線なぞ構っていられない。
「よし、逆から言おう」
 いくら抵抗しても次の案を出してくるので、これは逃げきれないと勘弁して、ヤケクソ気味にその名を叫んだ。
 客席に座っている友だちと目が合う。驚いているのか引いているのかよくわからないけれど、目を見開いているように見えた。
 ていうか、逆にしたところでバレバレじゃない。
 気づいたところで後の祭りだ。もういいや、と思って舞台を降りた。

 友だちの隣に戻って「頑張った。すごく頑張った」とひとりごとのようにつぶやく。
「うん、想像していた以上だった」

 自分が舞台の上に立つなんてあり得ないことだと思っていたけれど、実際に経験してみたら大したことじゃなかった。
 頭が真っ白に飛ぶことも、グダグダすることも、客席からの反応がイマイチなことも(そもそも反応を気にかけている余裕がない)、想像していたよりも怖いことではなくて、むしろ、何でもないことだった。

 失敗に対する恐怖は人の行動力を鈍化させる。
 不安や恐怖に打ち勝つには、それを実際に経験してしまうことが一番だ。
 今回の舞台みたいに安心して恥をさらせる場所って貴重だなと思った。

 どこかのタイミングでそういうイベントをやってみたいな。
 オンラインでもオフラインでも。

※写真(一部):平田朋義さん

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