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「神社」を発信ツールに!そして、評価と関わりのない世界へ

2018年をふり返って

 2018年は私にとって大変動期で、毎月のように自分を更新し続けていた気がする。新しい人や土地との出会いも多く、生きているという実感が強く持てた年だった。

 その一方で、勇気を必要とされる場面や、心を揺さぶられる場面も多く経験したように思う。『快適な環境を確保するために思っていることを口に出す』とか、『直接の繋がりがない人の家に泊めてもらう』とか、きっと他人から見れば些細なことなのだろうけど、そういうことから逃げ続けてきた私にとっては、ある程度気を張っておかなくては乗り越えられないことばかりだった。

 それもあってか、途中、何度も息切れしてしまったけれど、「もっと外の世界に出て、私の興味を惹きつけてくれる人たちと思いきり遊びたい」という望みは叶ったし、心地よい人との繋がり方もわかってきたから、『自分の世界を広げていく』という部分ではあまり悩まなくなったし、むしろ今は希望に満ちている。

創作のことで悶々としながら迎えた年の瀬

 ただ、創作の方は相変わらずしっくり来ていなくて、年の瀬になっても「これ」と確信が持てるような自分のスタイルが定まらないままだった。
 とにかく書き続けようと量産していた時もあったけど、続けるうちに違和感が膨らんで、秋以降、明らかに生産性が下がった。
 意図的に遊び回っていたので、創作の時間が少なくなったのは確かだ。だけど問題はそこではなくて、外界から刺激を受けて表現欲が湧き起こっても、それを上手く外に出せなくなってしまったことにあった。
 これまでのやり方で表現しようとしても言葉がまとまらず、手をつけても形にならないので気持ち悪い。気持ち悪いから余計に表現することが苦痛になって、だけど日々表現したいことは溜まり続けるから、今にも爆発しそうだった。

 そんな状態で迎えた十二月の中旬。一緒に東北を旅しようと話していたこともあって、パートナーの北祐介くんが運営しているオープンソースハウス・Grand mole和光に遊びに行った。
 こんぺいとう大使のみゆきちちゃんが一日店長を勤めるエデンバーに遊びに行ったり、人を集めて忘年会を開いたりした他、前から気になっていたアヤノヤの忘年会に参加したり、念願のダブルデートをしたりと、充実した毎日を過ごしていた。
 けれど、どんなに目の前が楽しくても、ふとした拍子に意識が創作の方に向かうと、どうしても心に影が差してしまう。

 ここ数カ月、家にひとりでいる時の無気力がひどくて、まともに何かを作ることができなかった。生月合宿企画や性愛コミュニティなど、「遊び」を生み出すエネルギーは強かったけど、個としての創造はまったくと言っていいくらい進んでいなかった。
 したくないならしなくていいや、と割り切ってみても、表現欲はくすぶり続けているので釈然としない。

 あれこれ思い悩んだ末に、『今の自分に合った表現スタイルを見つけない限り、この状態から抜け出すことはできない』という考えに落ち着いた。
 それもあって、旅の間中、「新年を迎えるまでに自分の表現スタイルを定めてしまいたい」という焦りを抱えていた。
 年越しという大きな区切りに乗っかって、一気に流れを変えてしまいたかったのだ。

「神社」を発信ツールに?

 東北での二泊三日を終えて、彼と二人、帰りの電車に乗り込んだ。青春18きっぷを使って移動しているので、和光市まで約十時間ほどかかる。
 長い時間を使って何をしようかと話している時に、ふと、彼に創作に関する部分の整理を手伝ってもらいたくなったのでお願いしてみることにした。
 岩手の花巻にある海の家『カレーだJ』で身近なクリエイティブに触れた直後だったこともあって、今なら今後の人生に影響する何か大きな気づきが得られるのではないかという予感があった。

 こうして彼のセッションが始まった。
 質問されるまま答えるうちに、小さめのスケッチブックが私の要素で埋まっていく。
 進めるうちに、「発信ツール」と「大きなテーマ」の二つの軸が決まれば、後はスムーズに生み出していけるという確信が湧いてきた。
 それを彼に伝えると、私から引き出した要素を俯瞰して少し考えた後、ひらめいたように目を輝かせた。
「発信ツールは神社だ」
 意味がわからなくて固まる。
 この人は大真面目な顔でいったい何を言い出すのだろう。
 少し前に『水流苑神社』と名乗って遊びでお賽銭polcaを立てたことがあったから、神社というキーワード自体は突拍子がないこともなかったが、それを使って表現しろと言われても、何をどうすればいいのかわからない。
「どういうこと?」
「えっとね、」

 曰く、神社というシステムに当てはめて創作活動をやっていけばいいという話だった。
 二人とも神社や神道に詳しいわけではないので、ここから先はその時に持っていた知識とイメージで展開させていった内容になるけれど、たとえば、神器ははじめから神器として存在していたわけではなくて、誰かがそれに意味を持たせた結果、神器となった。もし、人間が意味を与えなければ、ただのよくわからない形をした物体だったかもしれない。
 そんな感じで、意味のないものに自分で意味をつけてしまうのもありだし、こちらが意味をつけなくても、「神社」という枠組みがあれば受け取る側の人間が勝手に価値をつけてくれる。
 私がやりたいことにはそのシステムが合っているのではないかという話だった。

 深い意味の込められた作品は好きだけど、自分で作ろうとしたら難しくて苦しくなる。反対に、意味のわからないものを作っている時は、外側の評価や価値観から解放されて夢中でその世界に入り込める。
 だけど、それを人に見せると意味を求められることが多く、「意味のないものを作っていてはダメなのではないか」という迷いが生じてしまう。
 そうした葛藤を抱えていた私は、彼の話を聞いて一気に未来が開けた気がした。

私にとって「余白」とは

 同時に、大筋のテーマを「余白」にしたらどうかという助言をいただいた。
「余白」は私という人間を表す要素の中でも特に重要なもので、今年の夏頃から自分のことを『この世界の余白』と定義づけてきた。
 私にとって「余白」とは、『それ自体は無だけれど、そこに存在することに重要な意味を持つ』『本人の意図しないところで価値を発揮することがある』といった意味を持っている。
 これまでの自分をふり返った時に、「私は余白的な立ち位置にあるのではないか」と気づいたことが、「余白」を人生のテーマに置くきっかけになった。

 人生のテーマにはしてきたけれど、「余白」を創作のテーマにしたことはなかった。
「意味のないものも、ある種の『余白』だと思うんです」
 彼のそのひとことに、私の中の何かが反応する。
 そうか、単に「意味のないもの」として捉えると無駄なものに思えてしまうけれど、余白として捉えたら自分でそこに価値を見出せる。
 自分で価値を感じることさえできたら、外側の反応がどうあっても、信念を持って続けていける気がした。 
 きっと、自分が生み出したものに対して「こんなものを作っても何の役にも立たない」と思い込むことが、無気力の原因のひとつだったのだろう。
 彼と話したことで、久しぶりに心が青空を取り戻した。

評価と関わりのない世界へ

 小説を書き続ける中で、外側からの評価を意識する息苦しさや、それに縛られて本来の自由さを失っている自分に苦しむことが多かった。
 自分が楽しむために書き始めたはずなのに、商業出版を目指してコンテストに応募し続けるうちに、いつのまにか誰かに評価されるために書くようになっていた。
 それに気づいたあたりから、「評価と関わりのない世界に行きたい」と願うようになった。

 評価のない世界に行くためにはどうすればいいのか。私が導き出した答えは『競争相手のいない独自の表現形態を生み出すこと』だった。
 そこまではよかったのだけど、その独自の表現形態がなかなか完成しない。あらゆるところから材料を持ってきて試作品を作り続けたけれど、どれも上手くいかなかった。

 彼のセッションで手に入れた『「神社」という表現ツール×「余白」という大筋のテーマ』という二つの神器は、私が何年もかけて探し求めてきた独自の表現形態なのではないかと思う。
 今、やっと、自由に創造性を発揮できる場所に立てた気がする。


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