フィールドワークとは何か?

今日の午前中は「フィールドワークとは何か」という議論に終始した。個人的にとてもよい機会となったので、簡潔に本日の学びを以下に簡潔に記しておきたい。

1.フィールド(ワーク)とは何か?

フィールドという語は盆地のような地理的空間を指すこともあれば、「研究対象とその周辺環境」みたいな曖昧な意味で使われることも多い。学術領域や専門領域のことも指すし、やや特殊な例を挙げれば磁場(magnetic field)を意味することもある。フィールドという語は自明のようでとても広い意味を持つ語である。フィールドワークという語を使うとき、僕たちは無意識にどこかに出向かうことを意識すると思うが、実はこの曖昧なフィールドという語に具体的な輪郭を与える行為こそがフィールドワークなのである。

2.捉えきれない全体性との対話

一般的な認識のフィールドワークを一言で述べるならば、それは「捉えきれない全体性との対話」と言えると僕は考える。物理空間には想像できないほど多くの要素が入り乱れている。僕たちは基本的にその複雑さを解体し「捉えきれる要素」へと変換し、分析等を通してそれを再統合することによってなにかを理解している。近代的科学が細分化と専門家を通して発展してきたことをイメージすればわかりやすいだろう。しかしその細分化のプロセスは同時に世界の複雑さを過小評価してきたとも言える。つまり、一般的な意味でのフィールドワークとは、机の上で理解できる様々な要素を今一度複雑な世界へと投げかえし、想定していた出会いや偶然の出会いを通して、捉えきれない全体性の再発見/再構築を目的とした活動と言うことができそうだ。

3.アウトプットとしてのフィールドワーク

フィールドワークと言うとインプットに近いイメージがあると思うが、実はアウトプット的な側面が強い。すでに確認したがフィールドという語は曖昧で広い意味を持つ。うまいこと限定しないと、例えば、「海辺の都市の食文化について」という研究の対象としてのフィールドが「宇宙」になるといった馬鹿げたことが起きうる。しかし、これは果たして馬鹿げた例なのだろうか?多くの人にとってこの例はあまりにもバカバカしく見えるだろうが、それは自明ではない。海辺の都市は間違いなくこの宇宙に含まれているのもまた事実だ。では地球に限定してみようか。まだ大きいか。日本に限定するか?東北か?宮城県か?気仙沼市か?いやしかし研究テーマが「海辺の都市」ならば今度は狭すぎるのではないか?極端な例だったかもしれないが、実は「海辺の都市」と「宇宙」の綱引きは異なるスケールで様々なところに潜んでいる。フィールドワークとは、この綱引きの幅を限定する行為である。
いきなり「フィールドワーク」に出かけることは、大抵の場合愚策である。それは研究と呼ぶにはあまりにも多くのものを見逃す危険性があり、ただの旅行である。ゆえに僕たちは計画を練る。文献を漁り画像を検索をし、現地の人に連絡してみたりする。「捉えきれる要素」を集める過程を経てようやく実際に赴く場所を限定することができる。しかしフィールドワークはこれらの要素を再収集することではない。英語では再び(re)集める(collect)と書いて思い出す(recollect)ことを意味するが、フィールドワークは事前に学んだことを復習する機会ではないのだ。想定した出会いと同時に想定していなかった出会いがあり、後者によって前者を統合するのがフィールドワークである。ゆえに、フィールドワークとは「捉えきれない全体性」に輪郭を与える行為=アウトプットなのである。

とりあえず重要なところだけは忘れないうちに書いた。お腹が空いたのでここまでとする。

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