見出し画像

日記#68「三日坊主のサッカーチーム」211220

・3日ほど日記を空けた。書けないほど忙しかったというわけではないのだが、なんとなく日記をつける気にはなれず、まあ2、3日休んでも構わないだろうという積極的なサボりを行なったのだ。

・毎日何かを続けるということはものすごいことだと改めて感じる。黙っていても6時に目覚めるだとか寝る前にシャワーを浴びるといった習慣や、なにげなく歌やビートボックスを口で刻んでしまう、楽器を触ってしまうという癖づけ、1日1本映画を見る、動画を投稿する、筋トレといった目標達成もそうだ。身体がついついそれを選択してしまうといった狂気的な行いでない限り、行為には確実に「よし、やるぞ!」という気概が必要である。この「やるぞ」を面倒くさがらずに続けられる、いわば胆力は尊敬してしまう。

・というのも、人が「つい」行なってしまうことの種類はそれほど多くはないと感じるからだ。曲を作る、楽器を触る、歌を練習する、耳を鍛える、アルバム1枚聴く、パフォーマンスの動画を撮るetc...音楽活動の中ですらほんの一部だがこのように多岐に渡る事柄があり、これらは全て異なるベクトルを向いている(含んでいる成分にはそれぞれ共通項は多々あるが)。これら全てを「つい」選択できる人は稀……というかいないと思う。音楽に関わることの中でも「つい」行なってしまうことと意識的に行為する事柄は分かち難く存在する。

・故に、例えば毎日筋トレと作曲と植物の世話と部屋の掃除と映画鑑賞と日記をつけることを行なっている人がいたとして、そのどれかは絶対に意識的に行為する事柄になると思う。それを毎日続けるということは、自分の奮い立たせ、その瞬間を逃さず、億劫だとしてもやり切る根気・根性を通す胆力は尊敬に値する。

・僕はいわゆる三日坊主かつ飽き性のため、次々に色々なことをやっては色々手放してしまう。その中で最後まで残ったことをやり続ければいいのだと感じるが、それでも胆力がないなあ〜とたまに自分の胆力のなさに呆れてしまうものだ。

・とはいえ、自分を擁護するわけではないが、意志が弱いわけではないのだとは感じる。意識的に行為する事柄を直感・欲求的な意思に反していると考えるならば、それは意志が弱いわけではなく、むしろ意志の強さゆえに反するものを選択できないことになるからだ。意思外のものを放出しようとする力ともいえよう。

・まあこうして書いたところで三日坊主であることには変わらないのだが……この日記もまだ#68とはいえよく続いてるな。三日坊主13人分じゃないか。三日坊主のサッカーチームと監督とマネージャーが生まれてしまった。地区予選すら突破できなさそうだな。


・今朝観た「岬の兄弟」という映画がまあ強烈だった。朝に観るものではない、が夜に観ても精神が持っていかれそうな映画だった。いつ観ればいいんだ。

・足を患った中年の兄・良夫と自閉症の妹・真理子の2人の「生活」を描いた作品だった。この一行の説明では作品を表すのにまったくもって不十分ではあるのだが、物語としてではなく、ただただそこに在る現実という見方にするならば、やはり「生活」を描いた作品と言えるのではないか。

・Amazon Primeのレビューには生活保護や障碍者手当などの制度を行使することについて触れる意見が多々あった。仮にこの映画の主役である兄妹がこの制度を利用としたとして、確かに貧しく悲惨な生活や変わるのだろう。あらすじ程度の情報なので書くけども、良夫も自閉症の妹に売春行為をさせることもなかっただろう。しかしそれでこの兄妹の間に横たわる魂的な繋がりに何か変化はあるのだろうか。良夫は真理子のこの映画で語られる以上のことを知ることはできたのだろうか。そもそも良夫にとって、真理子にとっての幸せとは何なのか。それを掴む方法は映画の中の方法か、生活保護か、それとももっと残酷で冷徹な方法なのか。

・とはいえ仮に僕が同じ立場だったり、こうした状況の人から相談を受けたとしたら、第一の選択肢は「生活保護」になるのだけども。それはそうなのだけども。けども、僕らが画面の外側からジャッジする「正解」であるだけで、もしかしたら2人には、特に真理子には自閉症ではない僕(ら)には察せられようもない幸せが、もしかしたら存在していたのかもしれない、と感じた。

・中盤、真理子が水中に潜るシーンが印象的だった。水中で鳴っているボーーっといった音にならないあの音。あの音だけが、僕(ら)と真理子が唯一同じように知覚できるものだったのではないかと思った。感知の方法も、額面通りに捉えざるを得ない音としても。唯一真理子のことを、真理子の世界を理解し得る場面だったのではないだろうか。


・M-1、今年は特殊でしたね。ファイナリストでは個人的に真空ジェシカが最高でした。

・Twitterでは「採点を発表します。全員100点!」みたいな意見が結構目立った。そうして全員にリスペクトを送る姿勢は大事だ。それに敗者復活戦も含めて本当に参加している人々全員素晴らしい。なんだけども、賞レースの命懸けの血みどろの戦いの中を見ていると、こうした意見に対して「小うるせえ〜〜」と感じてしまう自分もいる。

・なんだろう、姿勢なだけなんだよな。あくまで姿勢としての評価。この場に立っているだけで100点ですよ、もしくは私はこうした視点で見てますよ、というあくまでも姿勢なんだよな。そんなわけないだろ。自分の中でこっちのが面白かった、このコンビはあんまり笑えなかったという差は確実に存在するだろう。それを無視して全員100点と述べるのは、それはまた愛とは少し違う気がするんだよな。もちろん全員100点ツイートをしている人がそんな自己愛的な意味合いでツイートしているわけではないんだろうけども

・だから「全員100点」という意見が挙げられること自体は全然いいんだけど、そうした意見が大多数を占められて「優しさ」だけが大会を包み込む空気になるのはやっぱり違う気がするんだよな。「俺たちが一番面白い!」というセリフが公式のナレーションで流れるわけだし、その気持ちを視聴者も持つ泥まみれの空気のがより気持ちよく笑える、そんな気がする。

・めちゃめちゃ偏った意見であることは僕が一番よくわかっているさ……。

・そしてぼくが心の底から愛してやまないアルコ&ピース。敗者復活戦お疲れ様でした。詳しく書くと長くなりすぎるので全て割愛します。テレビ千鳥生放送で報われていたのが本当に感動を禁じ得ませんね。現在のM-1ファン層は恐らくそんなにアルピーのことを知らないと思うんだけど、にも関わらずあそこまでアルピーを労ってくれたのは本当に嬉しい。プロデューサー加地さんというのがまたね。


・日記を3日空けると、驚くほど早くキーボードを叩ける自分に驚いている。普段1000文字ほどで息切れしていたのだが、書くトピックスが多かったことを差し置いてももう2800字に達している。筋肉も鍛えたあとは休ませることで発達していくものだが、書き筋も休んだあと超回復したというのか?

・なんにせよ、3日空けたことで日記続けられるのか自分でも不安だったが、またしばらくは続けられそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?