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あのころも樋口楓がいた


大学生活が終わった。新社会人になった。
大学生活はあっという間だった。 

中学生活や、高校生活よりも一年多かったはずなのに、とっても短かったのはどうしてだろうか。最後の一年間がコロナで消失同然となったのはあるだろう。でも、それにしたってあっという間に過ぎて行った。

樋口楓と私の出会い

私が樋口楓と遭遇したのは、2018年の3月だった。
当時、ヴァイオレット・エヴァーガーデンや幼女戦記、コードギアスにはまっていた私は、最初はそこまでバーチャルYouTuberに傾倒するつもりはなかった。楽しみ方も、ニコニコ動画で切り抜きを見つつ、たまに生配信を覗きに行く程度のものだった。コメントもしなかった。

でも、いつの間にかのめりこんでいた。
いつしか、樋口楓という彗星の引力に囚われてしまっていた

大学三年間を樋口楓と過ごした

樋口楓と出会ったのは、大学2年生になる直前の3月だった。
当時、私は大学に友人はいるけれど、そこまで深い関係ではなく、なんとなく灰色の学生生活を送るような気がしていた。

大学2年生になってから私はサークルに入り、充実した学生生活を送っていく。

サークルで最高の仲間たちと出会い、充実した大学生活を送っていた。
今でこそSSを書くなどの創作活動をしているが、当初は全くそんな創作活動をバーチャルYouTuber界隈でするつもりはなくて、本当にライトな応援の仕方をするつもりだった。

バーチャルYouTuber用のアカウント(鍵垢)も作ったけど、そこまで熱心に配信を追っていたわけでもない。リアタイもほとんどしなかった。
何しろ、6月の楓と美兎コラボや、8月の楓と美兎コラボも見なかった。未だにアーカイブすら見ていない。

でも、そんな軽いノリの推し方をしていても、常に生活の影に樋口楓がいた。

私の生活の影に、樋口楓がいた。そして、今も。

あの頃も樋口楓がいた

思い返せば、大学時代の色々な思い出の節々に樋口楓という存在が浮かんでくる。

恋してた相手をデートに誘ったときも樋口楓という人間の人のたらし方を頭の片隅で思い浮かべなかったといえば嘘になるし、大学生活最良の思い出となったサークルの夏合宿の旅館では樋口楓の「ただ君に晴れ」のプレミアム公開を見ていたし、サークルの飲み会中に樋口楓の配信開始通知を確認したり、それに何より、大学時代を通して尖り続けた私のファッションは、間違いなく樋口楓に影響されたものだ。

ジリジリとした日差しの渋谷を歩いたときは、街中に樋口楓の陽炎を見たし、表参道に行けば樋口楓が訪れたということがキッカケで訪問したカフェキツネに立ち寄るようになった。

私の大学生活は間違いなく樋口楓の引力の影響下にあった。

私の中の樋口楓という存在

そうして歩んできた大学生活。四年間のうちの、三年間を私は樋口楓と共に歩んできた。いや、勝手に歩んできた気持ちでいる。

大学時代に感じた喜怒哀楽の傍には樋口楓がいるし、大学時代に得られた人生にとって数ある最良の思い出の多くには樋口楓が寄り添っている。

私の中において、樋口楓とは「推し」の枠を超えて、両親や兄弟姉妹、友人のように、当たり前のようにいる存在となっていた。

「当たり前の反対はありがとう」というのは、樋口楓の座右の銘であるが、私は樋口楓が当たり前に私の大学生活三年間に存在してくれていたことに感謝を告げたい。これまでも、これからも活動してくれてありがとう。

これからも樋口楓がいる

大学三年間を樋口楓と共に過ごした気になっているわけだが、きっと私はこれからも樋口楓と共に過ごしていくような気になるんだろう。

辛いときも、楽しいときも、きっと樋口楓はずっとそこにいてくれる。

きっと、樋口楓の声に紐づけられて、これからも先もずっと、人生の最良の思い出や、あるいは人生の最悪の思い出を思い浮かべるようになる。

樋口楓はすっかり私にとって人生の一部となってしまった。

もちろん、家族のように近しい存在としての人生の一部ではない。
樋口楓は近いけれど遠い存在だ。

どうか、これからも樋口楓が私の人生の一部であり続けますように。

これから先も、樋口楓の言葉が私の中の喜怒哀楽様々な感情を全て優しく包み込んで、大切な思い出に変えてくれますように。

あなたが私の人生の数ある彩に、楓色を加えてくれたように、あなたの人生がこれからもずっとファンたちの声援で彩られますように。




令和3年4月4日 大覺寺 躑躅

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