瞬時に過ぎていく日常において、自分をリセットする時間やタイミングはあるだろうか?

日本では、過労やストレスによる慢性的な体調不良や精神疾患、それに伴う事件や事故などが社会問題化している。

働き方改革などという言葉がこの数年で急に現れたが、強制的に残業や会社で働ける時間を短縮させることが改革だということだろうか。十数年前までは、積極的に残業する人(会社にいる時間が長い人)、業務後の飲み会に積極的な人、休日返上で仕事する人などが評価されたのに。あれは幻だったのだろうか。

20代の頃、”結果は出しているけど飲み会に積極的ではない”という理由で評価を低くされたこと。妊娠したことを上司に報告した時に”タイミング、ちゃんと考えたの?”と露骨に嫌な顔をされたこと。所詮、評価の対象なんて、ほんとあってないようものなのだ。そして、その評価軸は時代によっても人によっても環境によっても変化する。だから、評価は自分軸で考えればいいと私は思っている。

何かのきっかけで世の中の評価対象軸が変わること。またこの急な右へ習えで、残業代が減って家庭のバランスが崩壊し混乱している人もたくさんいる。時間を持て余すブラリーマンと呼ばれる人が増え、それに伴ってワンオペ育児に追い詰められている女性たちも増えた。

働き方も個人の生き方だ。がむしゃらに仕事に向き合いたい人はそうすればいいし、できるだけ仕事以外のことを優先させたい人はなるだけ早く帰ればいい。個人のペースを優先させてあげればいいのに。グローバルにもワークスタイルの多様化が進む一方で、その選択肢がどんどん狭くなっていく人もいるのが現実なのだ。

などと、思ったりする筆者だが、自分は海外移住してすぐに某日系百貨店でマーケティングマネージャーとして働き始めた。海外の支社という場所は、小規模なスタートアップカンパニーだ。社員とタスクのバランスが取れておらず、目につくことならなんでもやることになる。ましてや、労働基準は国によって違うだろうから、キャパを超えて完全にオーバーワークしている場合が多い。

そんな環境で予想以上のハードワークだったこともあり、当時、小学校低学年の息子をきちんとケアできず、息子を引きこもらせてしまった黒歴史をもつ。母として、海外生活に慣れない息子をサポートすることは当たり前の任務だ。それを完全に他人任せにしていた。

「私が働き続けるのは、息子をはじめ家族の将来のため。そして自分にも人生がありチャレンジしてみたい仕事がたくさんある。何が起こるかわからない時代。女性にも経済力がないと夫が倒れた時など、ここぞという時に家族を守れない。」

これが、私が仕事をする上での理論武装であった。しかし、そんな理屈を覆すように子供の心は正直で、おしゃべりで明るい息子がどんどんネットや漫画の世界へ奥深く入っていった。母親がいつも夜遅くまで仕事でいない、父親は日本で働いていて常に不在、いるのは言葉が通じないフィリピン人のシッターさんだけ。確かにこもるだろう。グレて当然だろう。休日でも外出を嫌がり、分かりやすく変わっていく息子の様子を目の当たりにして、私はただただ焦り、これは完全に自分のせいだ、どうにかしなくては、と追い詰められた。

家族のため”仕事を頑張る母の背中を子供は見ているから”などと日本にいる時にはあらゆる人に言われた。しかし、ここは日本ではない。自分の都合のいいように考え、自らの承認欲求や仕事上でのキャリアを優先させていたことに気がつき、ある良いタイミングでワークスタイルを思い切ってリセットした。

まず、日本在住時から大好きだった百貨店でのマネージャー業務に終止符を打ち、夫も日本からマレーシアへ移住してきた。そして、毎日の息子の送り迎え(マレーシアではスクールバスか親の送迎が基本)、習い事先への送迎、食材の買い出し等は夫婦で分担。夫は現地の大学院に通い始めたので、”動ける方が動く”というシンプルなやり方だ。

”授業が終わる時間に、息子の学校へ迎えにいく”

こんなシンプルなことを、私は全くしたことがなかった。日本の保育園や小学校の学童保育でも閉館するギリギリの時間までみっちりお世話になっていた。マレーシアに来てからも、仕事を終え渋滞する車の中からラインで謝りのメッセージを送りながらベビーシッターさんに自宅待機してもらっていた。いつも、また間に合わない、急がないとまた迷惑をかけてしまう。そんな数秒ごとに少しずつ首を締め付けられるような圧迫感が常に消えなかった。あの息苦しさは何だったのだろうか。

昼間の学校へいくと、息子が数人の友達と汗だくでボールを蹴り合っている。気付かれないように、少し遠くから見ていると、ケラケラ笑いながら嬉しそうに駆け回り、水筒の水を浴びるような勢いで飲んでいる。かと思えば、一斉に皆遊具の方へ駆け出し、いなくなった。

あんなに友達がいるんだ、しかもほぼみんな肌の色も髪の色も違う。雑な英語でもコミュニケーションが何とか取れているんだな。そんな様子を見たとき、何かずっと喉につっかえていた何ものかがポンっと取れた気がした。

全身汗だくになって顔を真っ赤にした息子がこちらへ走って来た。そして息つく間も無く今日あった出来事を一気に話し出した。そうか、この瞬間じゃないと話せないことがあるんだ。私が夜帰って来たからではもう遅い。彼の中ではもう過去のことになってしまっているんだ。


自分のライフスタイルを思い切って変えることはリスクを伴い、正直怖い。しかし、変えてみれば、意外と自分の視野が狭かったことに気づく。そして、今まで手に入れることができなかった貴重な時間や瞬間が得られる。自分に空きスペースがないと、新しいチャンスがふいに来てもこれ以上迎え入れることはできない。

いつ、何を捨てて、その代わりに次は何を手にするか。

私は、一旦”会社員であること”を捨てた。そして家族や息子との時間、自分の異文化での環境を楽しむ時間を手に入れた。そして、いつも自分や家族の好きな場所や国で働けるように、リモートワークを軸に仕事を再開した。


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