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ごくうが行く:強めに撫でる婦人

ごくうはいつも寄っていた新団地への坂に上がって行かなくなった。日没が早くなり、坂が暗くなる。その上、夏に木々の枝葉が盛りとなり、うっとうしい。坂に登らず、お大師堂への道を選んでしまう。

日没が早くなっているので、少し時間をずらして散歩に早く出かければいいのだが、夏に伸びきった草をむしり取る時間が欲しい。そのため、まだ夏の時間モードで散歩する。お大師堂に着く頃には薄暗くなっている。妻も一緒に散歩しているので、なお遅くなった。すでに街頭が点っている。

お大師堂を過ぎると、前から見たことのあるご婦人が一人で散歩し、近づいてくる。昨年の3月に愛犬を亡くしていた。2度程出会ったことがあり、最初からごくうを見初めたのか、愛おしげに撫でていた。1回目も「3月に犬が死んだんですよ。」そう言いながらごくうを撫でていた。2回目もごくうを見つけると、寄ってきた。嬉しそうに、懐かしそうに撫でていた。

それからしばらく同期しないのか、出会っていなかった。しかし、今夕はごくうの散歩が遅くなり、ご婦人と出会った。ご婦人はごくうを見つけると、しゃがみ込み、ごくうを撫でる。最近、ごくうは人に寄っていこうとはしない。鼻泣きも滅多にしない。そのままの位置で撫でられている。

(少し近寄れば良いのに)

そう思うが、ご婦人は撫でる方が先なのか、そのままの姿勢でごくうを撫でる。幾分強く撫でている。ごくうも歩いて寄ろうとはしない。ご婦人は「かわいいわね」を繰り返しながら、ごくうを強めに撫でる。実際の犬の感触を確かめるように撫でている。愛犬を撫でていた感触を思い出したいのか、強めに撫でる。幾分無理な姿勢で。

ごくうは撫でられながら、身体が自然に寄って行くのか、ご婦人は撫でやすくなり、「いいわね、散歩できて。」を繰り返しながら、ごくうを強めに撫でている。ごくうはもうすっかり撫でられているのを折り込んでいる。

やがて、ご婦人は「ありがとう」の挨拶を残して去って行った。ごくうは何事もなかったかのように散歩していく。妻は少し感じたのか、「犬を飼っていたのかしら」と呟く。「そうだね」

黙々とごくうは散歩していく。もう夏が過ぎていた。抱っこもないまま家に帰った。