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読書メモ:ツツジ王国に君臨する美女「プリンセス・クルメ」あるいは「Wilson 50」

<本書は、1914年にWilsonが見た「100年前の東京と自然」について、植物を中心として、100年前の写真と現在の写真を比較しながら、その様子を示し、Wilsonが残した写真の意義をも示すものである。>

1920年(大正9年)

ウイルソン(Ernest Henry Wilson)は、アメリカBostonのアーノルド樹木園(The Arnold Arboretum of Harvard University;1872年設立)で、日本で購入した120鉢に迫るツツジの鉢から、厳選して50鉢(Wilson 50)を展示した。展示する際に、クルメツツジを、装飾的な前口上を添えて、「プリンセス・クルメ」として紹介した。

Wilson(1876-1930年、イギリス)はプラントハンターとも称される異色の植物学者である。16歳の時には、イギリスのバーミンガム植物園で働き、1897年には王立植物園(キューガーデン)で働いている。

Wilsonは、植物を探索する過程で、日本にも、2度ほど(1914-1915年;屋久島など、1917-1919年;久留米など)来ている。Wilsonは日本のサクラやツツジにも関心を注いでいる。

サクラについては、『日本のサクラ』The Cherries of Japanを表し、ソメイヨシノの雑種説を唱えている。遺伝子研究の結果、その説は正しいことが分かっている。

ツツジについては、『アザレアの研究論文』A monograph of azaleas: rhododendron subgenus Anthodendron(1921)を出版し、Havard UniversityのProfessorのタイトルを授与されている。*Internet Archiveインターネットアーカイブがある(下記)。

*他に、Ernest Henry Wilsonには、1927年、Plant Hunting (Volume I, II) もある。

Wilsonのツツジ行脚は興味深い。

1914年当時、埼玉県北足立郡戸塚村(現:埼玉県川口市)に赴き、大石進(当時のツツジ研究家)を訪問している。庭に咲いていたクルメツツジに目を奪われ、写真に収めている。(60頁)Wilsonが「プリンセス」として銘打ったツツジはここのものである可能性が高い。ちょうど開花時期に行っており、鉢植えのツツジが枝いっぱいに咲いていたものと思われる(多花が特徴)。

同時期に、群馬県館林のつつじが岡公園にも赴き、「日の出霧島」の写真を収めている。このツツジは「ベニキリシマ」の可能性を指摘している。(71頁)この公園には歴史的経緯があり、江戸時代の古い品種も植栽されている。

川口の鳩ケ谷、戸塚、安行はいずれも当時植木の産地として知られている。鳩ケ谷では、「キリシマツツジ」の苗を九州から取り寄せ、苗を育てながら栽培品種を生み出していた。Wilsonは、クルメツツジだけではなく、キリシマツツジも見ていたと思われる。

1918年に(5月3日)は、2度目の来日を果たし、福岡県久留米市の「赤司廣楽園」まで出向き、クルメツツジを見ている。クルメツツジの元になったミヤマキリシマを霧島山(南九州)で実視している。

Wilsonは赤司喜次郎から120鉢に迫るクルメツツジの盆栽を購入している。この中から50鉢を厳選して、「Wilson 50」とし、アーノルド樹木園で展示した。大いに、喝采を受けたことは、言うまでもない。


・古井智子(2019年)『100年前の東京と自然』八坂書房。
・古居智子(2016年)『ウィルソンが見た鹿児島(Wilson's Kagoshima : プラント・ハンターの足跡を追って)』、南方新社。

参考
*大石進(確認中)『躑躅栽培の略史』日本園芸雑誌、28、pp. 32−36。(※マイクロフィッシュかも。)
*大石進(1906年:明治39年)『久留米特産霧島躑躅栽培全書』有隣堂。
*赤司喜次郎(1919年)『久留米躑躅誌』赤司廣樂園(福岡)、pp. 1−13。
*久留米つつじ誌編集専門委員会編・世界つつじまつり′89くるめ実行委員会(1989)『久留米のつつじ : 久留米市制100周年記念』葦書房。