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父の好きな「かんべの栗饅頭」

画像:かんべの栗饅頭 http://gohanusa.jugem.jp/?eid=492 から。

父は下戸というか、お酒を飲まない。後で、分かったことだが、アルコールを分解する酵素を持っていなかったようだ。お酒が飲めない父は、いつのころか、コーヒーを仕事の合間に飲んでいた。

ケーキも嫌いだと思わなかったが、当時はケーキがまだ走りだった。(後に、ケーキは入ってきた。ケーキ屋さんがお得意様になったので。)

当時、和菓子を買うのも十分な経済力はなかった。家も借家で、子供の教育にも力を注ごうとしていた。日本経済の成長に伴い、業態を変えて商売(内装業・インテリア)を始めた。当時、新しい住宅が建てられていった。新しい住宅は洋風化し、部屋にはカーテンが吊るされ、絨毯が敷かれることがあった。後にカーペットを敷く家も出てくる。

それなりの生活もできるようになっていった。軽トラックも買うことができ、遠くまで注文に応じることができるようになった。しかし、草創期には注文が入ってきても値切られることが多く、思うほど利益は出ていなかった。

それでも、父のシャツのポケットにはお釣りを用意する紙幣の厚みが増していった。母がマログラッセに憧れていたことを知っていたので、自分の好みと合わせて、どこで買ったのか、栗饅頭(くりまんという)を買って帰った。

母も嫌いではなかったらしく、お茶を用意して、仕事の合間に味わっていた。

仕事を合間に手伝っていた。ある日、軽トラックにのせられて仕事に出かけた。仕事を終え、帰りの道筋に栗饅頭を売っている菓子屋さん「かんべ本店」があった。父はそこに寄って栗饅頭を買ってきた。

「ここで、買っていたんだ。」

父が栗饅頭を買って軽トラックに乗り込んできた。栗饅頭のほのかな香りが車内に漂う。

家に持ち帰り、家族で栗饅頭を食べた。しかし、記憶にある栗饅頭は、おぼろげだが、3度ばかりしかない。時折、父は思いついたように栗饅頭を買ってきていたらしい。母はお茶の時間に父に用意していたのだろう。お茶の記憶はあまりないので、コーヒーを淹れていたのだろう。

後に、母の語り草になった。

「お父さんは栗饅頭が好きだったんじゃけエ。」

苦しい商売からテイクオフした頃の父の姿が思い出される。