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理系か、文系か、はたまた

画像:『毎日新聞』2024/2/18・西部朝刊から。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2月17日に国産新型ロケット「H3」の2号機を打ち上げた。その様子を見守る「宙女」(そらじょ)が喜び、感激する。

「リケジョ」が使われたのは、2013年10月27日。その後、機械工学系は「メカジョ」、電気工学系は「エレジョ」など、女性の社会進出とともに、期待が高まった。

もともと「理系」と「文系」のカテゴリー分けが行われ、認識も浸透度が高かった。やがて、学際領域も広がり、女性も進出していった。理系の分野で業績を上げる女性が出てくると、「リケジョ」ともてはやされた。

今や、学際領域も飲み込まれ、科学は多様化し、深度が深くなっている。研究対象も、観察対象も、名付けるほど単純ではない。方法論も旧来の焼き直しが陳腐化し、そこを掘り下げても、掘り広げても、内容は陳腐なもの、あるいはステレオタイプしか見えてこない。少なくとも、払拭しなければ、先入主の霧を晴らすことはできないだろう。

人類が引き起こした問題(生存・生息・生活環境への脅威/地球規模の課題)でさえ、細切れが象徴的になっている。

この問題について、教育課程において、その反映が考えられている。学際的とは違い、認識の枠が広がりそうだ。とりあえず、文理融合型も一つの道だろう。東京大学が2027年秋に5年制新課程に相当する教育課程を創設する、という。