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木の価値について考えてみる

4期生の大賀です。

先日、津和野小学校の5年生といっしょに間伐体験を行いました。

みんなで間伐をやってみよう!ということで、4グループに分かれてノコギリで「受け口・追い口」をつくって、ロープで引っ張って倒しました。

面白がって切り進めていく子もいれば、飽きて遊びたす子もいましたが、無事に1本の杉の木を切り倒すことができました。

木には価値がある

ところで、今は6月なので木がたくさん水を吸い上げている時季です。僕が指導していたグループの子供たちはみんな、濡れた木の切り口をみて「きれい!」「ほしい!」と喜んで触っていました。

ノコギリだとチェーンソーよりも目の細かいきれいな木口に切れるのにくわえ、水でツヤがかった表面はたしかにとてもきれいでした。

僕としては、小学生の素直なリアクションを見るのが単純に面白かったんですが、日常的に木を切っている僕らには木は「見慣れたモノ」です。

けれど初めて見る子どもたちにとっては「きれいで価値あるモノ」という感じでしょうか。

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例えば昨年度の現場で、2tトラックに丸太を積んで近隣の原木市場に持っていくと、だいたい2〜3万円になりました(針葉樹の場合。いろんな条件があるので目安)。

山から切って運び出す労力や、木が育った年数なんかを想像すると安いなーと思います。

市場での価格(主に建築材料や燃料としての交換価値)だけで木を見ると、1本1本の木が価値の低いものに思えてきてしまいます。

木の使用価値

けれど、先ほどの小学生の間伐体験では、そのときの1本の木はとても価値のあるものだと子どもたちは感じているはずです(たぶん)。

もっといえば、ものすごく単純に、木は木陰をつくってくれます。風がふけばサワサワと心地いい音を奏でてくれます。

それらは場合によってはとても価値のあるもので、木が持っている使用価値の1つだと思います(使用価値とは、そのモノが持っている、いろんなニーズを満たすための有用性のこと)。

直近で僕が発見したのはツリークライミング講習に参加したとき。

木登りがこんなに楽しかったのかと思うのと同時に、木にはこういう使用価値もあるんだなーと。

山に入って木に囲まれていると、なんか可能性にあふれていると感じるのは、おそらく使用価値がたくさんあるからだろうな、と最近になって思いました。


続編記事:木の価値について考えてみる(その2)


書いた人:大賀

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