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KYOTOGRAPHIE 1回目

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」が始まっている。表紙の画像は二条城二の丸御殿台所に展示されているBMWアート・カーby アンディ・ウォーホル。なお、KYOTOGRAPHIEではほとんどの会場において、写真撮影は規則を守ればOKだが、普段から撮り慣れていないのでどう撮影していいのか迷ってしまい、結局撮影できていない。

以下、これまでに訪れた会場を簡単に。

【虎屋京都ギャラリー】

羊羹で有名な虎屋の京都一条店に併設されたギャラリー。フランス国立ギメ東洋美術館の写真コレクションが展示されている。被写体になった人たちに、写真を撮られているという感覚はあったのだろうか。自分の姿が映った写真が今はフランスで保管され、日本にお里帰りしているとは、きっと思っていなかっただろう。


【二条城二の丸御殿台所】 

アーノルド・ニューマンの作品。肖像写真が中心。説明文によると、彼は被写体のいる場所へ、画家ならアトリエへ、作家なら書斎へ出かけていったとのこと。「そんなの当たり前じゃないの?」と思ったが、当時は肖像写真といえばスタジオで撮影するのが当たり前だったらしい。もしかすると、身近にある「当たり前」も、実は先人がそれまでの常識を疑って時代を切り開いた結果かもしれない。


【堀川御池ギャラリー】

山城知佳子さんは沖縄の人。作品も、ストレートに沖縄の問題を主張するのではないが、じわじわと迫ってくる感じがする。映像作品「土の人」は、横たわっている人たちが生きているのかどうか微妙な感じで映し出される。あの世とこの世を行ったり来たりしているように見える。爆撃の火は、花火のようにも見える。百合の花は美しいが、亡くなった人々に対する鎮魂のようにも見える。


【ギャラリー素形】

然花抄院というお菓子屋さんに併設されたギャラリーで、ホームページによると築三百年らしいが、それ以上の由来についてはほとんど情報がない。

現代の写真家ジャダ・リパの作品と、横浜に住んだことのある報道写真家フェリーチェ・ベアトの昔の作品。ベアトの作品の人物たちは一見当時の標準のように見えるが、現代のジャダ・リパの作品と並べることによって価値観が揺らいでくる。昔の作品を見ると、ついつい「このときはこういう時代だったのだ」と思ってしまうが、そうとは限らない。当時はめずらしいことだったからこそシャッターを押したのかもしれない。

さて、100年後に、ジャダ・リパの作品と並ぶものは何だろうか。


KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

http://www.kyotographie.jp/

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