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敦賀を歩く

先日、思い立って敦賀に行ってきた。

目的は「敦賀ムゼウム」という博物館で、それさえ見られたら個人的には充分だと思っていたが、なかなか楽しい町だった。でも、観光という意味ではちょっと大変だろうな、とも思った。

まず、駅前に銅像が立っているのだが、知らない者には「誰?」という感じだ。彼は「都怒我阿羅斯等」(つぬがあらしと)というお名前で、敦賀の語源になった方だそうだ。「ツヌガくん」というゆるキャラになっているぐらいだから、地元ではそれなりに有名なのかもしれない。

この銅像に限らず、敦賀を歩くのは、他の観光地を歩くより頭を使う気がする。「きれい」「すごい」で済ませられないのである。

○気比神宮に行けば、松尾芭蕉の銅像がある。これは、芭蕉が『奥の細道』の旅で敦賀を訪れて俳句を詠んでいるからだ。

○敦賀鉄道博物館は、旧敦賀港駅舎が再現されたもの。敦賀には昔、欧亜国際連絡列車が走っており、敦賀とウラジオストクを結ぶ航路があり、シベリア鉄道でパリやロンドンに行くことができた。松岡洋右が国際連盟に行くときもこのルートを使った。

○敦賀は1940年にユダヤ人の難民を受け入れている。杉原千畝の「命のビザ」で救われた人たちで、敦賀の人たちは難民にリンゴを分けたり銭湯を無料開放したりした。実は1920年にもポーランド孤児を受け入れている。

○1865年には、水戸の天狗党が敦賀で降伏し、鰊蔵に閉じ込められた末に353名が処刑された。


松尾芭蕉はともかく、他はなかなか普通の地方都市(というのもおかしな言い方だが)にはない話であり、さっさと通り過ぎるには惜しい物語だ。当時敦賀に住んでいた人たちは、何を見て何を思っていたのだろう。

でも、敦賀まで来て、おいしいお魚を食べて帰ってしまう人がほとんどなんだろうな、とも思う。



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