住友春翠と菓子

住友春翠は、大正8年12月に茶会を催している。12代住友吉左衛門友親の追善茶会である。友親は春翠の奥様の父親だが、おそらく春翠とは面識がない。春翠が住友家に入ったのは、友親とそのご子息友忠が相次いで亡くなっって跡継ぎに困っていたためなのだから。

さて、茶会には菓子が付きもの。この茶会で出されたお菓子は「銘初霜主好鶴屋八幡製」、干菓子は「紅白長生殿、京都虎屋製」だったことが、高橋箒庵の茶会記に記されている。

「初霜」というのは、茶道を嗜んでいる人ならおなじみの季節の生菓子だろう。同じご銘でもお菓子屋さんによって個性がある。鶴屋八幡のお店は今でもあるが、もし「初霜」をお願いしたら、春翠と同じものがいただけるのだろうか。当たり前だが高橋箒庵の茶会記には画像がないから、想像するしかない。想像するのは自由だ。

「紅白長生殿」と言われてまず思い浮かべるのは、金沢の森八の長生殿である。長生殿は普通名詞なのだろうか。しかし、森八のホームページには

藩主より江戸表に召された3代目八左衛門は、藩主利常の創意により小掘遠州の筆になる「長生殿」の三字を原型とした、名菓「長生殿」を世に生み出しました。

と書かれてある。京都虎屋も現在まで延々と営業されているが、ホームページには「長生殿」の文字は見当たらない。

住友春翠と同じお道具でお茶会を行うのは無理なので、せめて同じお菓子でと思っているのだが、なかなかハードルは高い。


#お菓子 #住友春翠

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