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私が私のために祈ること 回復のはなし

「なんでもっと自分のための祈りみたいにできないの」

私は、ある映画監督に言われた。新宿三丁目から新宿駅のほうに向かう道の途中だった。その瞬間、丁度、私の左にはラーメン屋があった。

私は自分のために祈れない。

だって「相手のために」「相手に尽くせ」と言われるでしょ。それが良い俳優の条件みたいに言われるでしょ。「自分のため」なんて言ったら、自意識と言われるでしょ。

小学生のとき、授業参観で班対抗戦があった。サンズイの付く漢字、ウカンムリの付く漢字、お題になった部首の漢字をたくさん書けた班の勝ち。私は勝ちたかった。私は見た目がぼーっとしているから、こういうときに勝たないとバカにされてしまうのだ。そして、私は漢字が得意だ。

他の班が書いた漢字はもう書けないので、スピード勝負でもある。最初が肝心なのだ。なのに、漢字の書けない田儀君が「一番をやりたい」と言った。私はそれでは勝てないと思った。一番がもたもたしたら、負けるしかないのだ。田儀君は負けたいのだろうか。ふしぎだった。私は、「私か、勝俣君が一番がいいんじゃないか」と提案した。

家に帰ったら、ママに一番に「あなたが恥ずかしい」「恥ずかしかった」と言われた。「なんで田儀君が一番をやりたいと言っているのに、やらせてあげないのか。恥ずかしかった」と言われた。「田儀君の悲しそうな顔を見たのか」と言われた。

私は、私が勝ちたいと思ってはだめなんだ、私の想いは他の人の想いよりも後回しにするべきなのだ、と思った。自分の想いや都合は、大切ではない。誰かが大事なのだ。私の悲しい顔になんか、誰も気づかなくても。


「あなたは、もっと自分のために祈っていい」

だから、驚いた。私のために祈っていいんだ。他人のことよりも先に。

「自分への祈り」

私は演じることが好きだ。私は、私の好きなことを自分への祈りにしていいんだ。


私はいま、フラを習っている。フラは「私はフラダンサーよー、みんなを幸せにするわよー」という気持ちで踊れるおどりだ。

時どき、先生は「もらうことを大事に」と言う。フラは腕の動きに意味があるのだけど、「もらう」と「あげる」は同じ動きだ。そのときの自分の状態や気持ちでどちらにするか選んで良いとのこと。手を差し伸べて「あ、今日は、もらう、だ」と思ったら「もらう」にして良い。

フラは歌もうたう。歌うこともフラだ。

フラの歌も「自分に帰ってくるように歌うように」と指導される。

もらっていいんだ。

大地も元気をくれる。ステップを踏むたびに、大地からもらうように踊る。

踊っているときは呼吸することが大切なのだけど、私はすぐに息が止まってしまう。だから意識してはいる。けれど、

先生には「吐くだけじゃなくて、吸って!」と言われる。

これも、「もらう」だ。


私はもっともらっていい。
そして、踊ることで「もらう」技術を学んでいる。

私に欠けていたところに、何かが巡っていく。

それは、祈りかもしれない。

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よい一日を
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つやぽす

文章を書く人/流しで占う人(ゴールデン街で占いたい)/フリーのセールスコピーライター(メイン収入源)/俳優/臨床心理士/公認心理師/今も首都圏で心理臨床している(収入源)/フリーランスや経営者の方のカウンセリングも(孤独について)/Gorron Project 会員no.1

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