見出し画像

人生に乾杯 12(医療業界のタメ口)

先日、医師と思われる方の書き込みをTwitterに見つけた。「患者さんにタメ口をきいてはいけない」とある。筆者はその意図をこう説明する。「患者さんが何歳でもどんな性別、背景でもだ。唯一許されるのは、長い長い時間をかけ信頼関係が出来た患者さんに、親しみを込めて使うときだけ。なぜあなたは指導医の私には敬語を使い、患者さんにはタメ語なのか。それを考えよ」。僕は、Twitterは看護師向けの言葉だと想像した。

シンガポールで入院していた時には、医師や看護師などが話す言葉全てが英語だった上、英語の微妙な敬語表現を理解できなかったこともあり、上下関係を確定する表現には気付かなかった。だが一方、シンガポールでの入院開始時のアンケートには「ロビーでは何語を聞きたいか」(「話したいか」ではない)という質問項目があり、英語以外にも「中国語」「ヒンドゥー語」などもあった。さすがに多言語国家。シンガポールのプライベート病院が丁寧だし、自分が敬意を払われていると感じた点だ。

これに対し、7月に帰国して成田の病院に入院して初めて感じたのが、看護師が自分に話しかけるタメ口への違和感だった。相手がどう話すかは相手の勝手だし、何より「違和感」はウチなる複雑な心境が多すぎて自分が元記者である以上解きほぐすべき言葉なのだが、それを聞いた時に自分がどう反応したらいいのか分からない、という印象だった。同時に、その看護師が医師には敬語で話しているのを聞いて不思議な気持ちもしていた。シンガポール医療スタッフの英語に慣れていたのかも知れない、などとも思った。日本の看護師の中には敬語を使い続ける人もいるが、その相当数は(少数派ながら)中国人などの外国人、あるいは日本人でも所謂「極めて折り目正しい」人々だった。

僕自身は医療業界のタメ口を考え尽くした訳ではない。新型コロナの蔓延から医療機関の危機的状況が明らかになり、世界的には「フロントライン従事者に敬意を払おう」というのが風潮になる中、日本のタメ口文化(看護師→入院・通院者)は、こちらが敬意を払うにも心のありようとしては払いにくい、そう感じるのである。

(写真は2019年11月9日、シンガポールで子どもたちが通った学校で。中央の青い水着は娘。当時は水泳部に7年間在籍した。続く。)