女はカードを持って生きている

初めてノートを書く。毎日色々なことをぼんやり考えて生きているので、それを書き留めて生きたい。


わたしは35歳の女だ。セミロングの茶髪で困り眉メイクをしているが、強く生きていきたいと思っている。

わたしは、女というのはみんないくつかのカードを持っていて、そのカードで戦いながら日々生きていると思っている。
15歳、中学卒業と同時に「若い女」という最強のカードが配られる。
この最強のカードは20年近く有効で、他のどんなカードと掛け合わせても強い威力を発揮するし、他の魅力的なカードを引き寄せることもできる。

わたしの場合は、「若い女」に加えて「大きいおっぱい」と「そこそこの顔」というカードを貰った。
そこそこの顔なんてのは単体だとなんの効力も無いが、この2つは「若い女」と掛け合わせたことで最強のカードになる。だからわたしが若いとき、世界は多分わたしに優しかった。

わたしは35歳、そろそろ最強カードは返納の時期だ。このカードはまた次の世代に引き継がれるだろう。
そしてわたしのおっぱいカードと、そこそこの顔カードは、威力を失う。

代わりになんのカードを得られただろう。
わたしは28のときに「人妻」のカードを得たことで、精神と生活の安定を得た。
しかし夫が転勤族だったので、30歳の時にわたしは「正社員」のカードを失った。
これは人によって捉え方が変わるだろう。「正社員」カードは返納して終わりではなく、引き換えに「専業主婦」のカードを受け取ったのだから。

でもわたしの場合はこれで自分の精神を病んだ。安定した収入が無く、社会に居場所がない、という事実は、わたしのメンタルを不安定にした。「専業主婦」カードは、裏返すと「無職」と書いてあって、わたしはずっと裏側にしてこのカードを眺めていた。あの「正社員」カードはわたしにとっては絶対に失ってはいけないカードだったんだと、後から気付いた。

転勤族の妻である限り正社員になるのは困難なので、30歳から35歳まで、わたしは正社員カードの代わりになるカードを探し続けてきた。

絵を学んだり、ジムに通ったり、習い事をしたり、パートを探したりした。そして今は、これだけでは足らないけど、人間関係の良いパートの職場で、趣味を作って旅行に出かけて公私を充実させて、なんとか立ち直っている。でもいまの生活まるまる引き換えに、「正社員」カードを返してあげるよと言われたら、わたしはどちらを選ぶだろう。

30歳を過ぎた頃、わたしが得た大きなカードは「飲んべえ」だ。
色々なお酒の美味しさを知って、お酒が大好きになり、宅飲みをし、酒場に通うようになった。
これはわたしにとって有効なカードだった。このカードを持ってさえいれば、その日に起きた嫌な事は全て、夜のビールを美味しくする前菜に変えることができる。

このカードは一時期、わたしにとって一番の、大切なカードになっていた。

(もちろんこのカードもきっと、「若い女」カードと掛け合わせればすごい効果を発揮するのだ。)

このカードに頼り過ぎてわたしの体型は崩れ、血液検査の数値は悪くなった。
お酒は世界を広げてくれたし、お酒によって繋がるご縁もあった。このカードは生涯手放さずにおきたいと思うが、きっといつか使えなくなる日は来るだろう。

それから、おそらくわたしにはどうしても手に入れられない最強のカードがある。

それは「母」というカードだ。

運悪く、わたしはこのカードは得られないらしい。そもそもそんなに欲していなかったので別に良いといえば良いのだが、このカードは強いのだ。「人妻」カードよりも強く、「正社員」カードと互角に戦え、そして人妻カードを持っていればたいていの人が持てる標準装備カードだ。
これを装備できないわたしは、このカードの代わりになる強いカードを、これから必死で探さなくてはならないのだ。

そうそう、きらきらふわふわして透き通った羽のような「若い女」のカードが、少しずつ手から離れていくと同時に、今わたしは力強い、美しくは無いけどとても力強いカードを掴みかけている。

「おばさん」というカードだ。

このカードは綺麗ではないし、色々なカードの力をなんなら弱くしてしまうカードだけど、とてもいい点がある。

マッサージ効果だ。

このカードが手に触れるようになってから、なんだか肩凝りが取れたような、気を張っていたのがすこし和らいだような、不思議なリラックス効果が得られている。

打たれ強く、がめつく、自己主張が強く、傍に人無きが如し。それでいて謎の協調性や親切心はある。そんな「おばさん」カードは、「若い女」カードで戦っていた時とは違った謎のリラックス感をわたしに与えてくれるようになった。

ひとつだけ具体的な話をすると、わたしはこの夏、大人になってから初めてノースリーブ を着て外出するようになった。

わたしは中学校の時に剣道をやっていたためか、二の腕が猛烈に太い。そのため、私服を着るようになってからずっと、いかに二の腕を隠すか、細く見せるかばかり考えて服を選んでいた。ひらひらしたラッフルスリーブのカットソーばかり買い集めていた。

しかし、この夏わたしはついに気がついてしまった。「わたしの腕が太いことで、誰にも迷惑はかけて無くない?」ということに。そしてわたしは大根のような二の腕を、GUで990円で買ったノースリーブニットから惜しげも無くさらけ出すようになった。

するとどうだろう。ものすごく涼しいのだ。肩から先に布がないってこんなに体感温度が違うんだ!という感動。二の腕にブツブツがあろうが、わきからミュゼの光線に耐えた産毛が生えていようが、別に良くない?だって、若い女ではないわたしを、他人はそんなに見ない。こうして、「おばさん」カードによって、この夏わたしは快適だった。


大丈夫、新しい強いこのカードはこの先のわたしをきっと助けてくれる。

あとは何があるだろう。若さのカードが完全にわたしの手を離れるまでに、あといくつのカードを手に入れることが出来るのだろう。
そのカードを使って、どう戦っていけるのだろう。
毎日必死にもやもやした中から手を伸ばし、なにかのカードを掴みかけて、おもてを向ける。そこに書いてある字をなんとか読もうとする。つかめるか手放すか、掴んだあとはいつまで掴んでいられるか、どうやって使うか考える。
それは道に落ちていることもあるかもしれないし、人から教えてもらったり、わたしが持っていないカードを人が持っていて、分けてもらえることもある。

これをひとは、マウンティングと呼ぶのだろうか。

でも他人と自分を比較して、他人に勝ちたいのとは違う気がする。わたしは強いカードをたくさん集めて、これで他人を蹴落としたいのではなく、たくさんのカードで自分の納得いく人生を送りたいのだ。

そしていつか死ぬときに、「わたしの人生はー!幸せでー!楽しいものでしたー!」と言って死にたいのだ。

そのために、わたしは毎日自分と戦って、自分を強くして生きていくんだと思っている。


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