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僕たちと「ROCK IN JAPAN FES.」、栄光の20年史を振り返る (前編)

今年、いよいよ20回目の開催を迎える「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」。毎年8月、ひたちなかの地で紡がれ続けてきた同フェスの歴史は、そのまま、この国のポップ・ミュージックの歴史であると言っても過言ではないだろう。

今回は、20年間にわたる「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の変遷を、2回に分けて振り返っていきたい。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000】

記念すべき第1回目の幕開け。2日間開催、1ステージ制。ロッキング・オンの呼びかけにより、邦楽ロックシーンを代表する16組のアーティストが集結した。

初日に登場したのは、くるり、エレファントカシマシ、ヘッドライナーを務めたDragon Ashといった、今もなお、現役としてロックシーンを揺がし続けるバンドたちだった。

そして、台風の接近により、激しい雨が吹き荒れる中での開催となった2日目。苦渋の決断として、THE YELLOW MONKEYのステージを最後に、途中終了となってしまう。

そう、今や日本最大級のロックフェスとなった「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の歴史は、この壮絶な悲しみから幕を開けたのだ。 


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001】

伝説の初回から1年、リベンジは果たされた。

前年の2日間開催から3日間開催へ。新たにLAKE STAGEが設立され、2ステージ制へと移行。第1回目の開催を通して、成功への確信を掴んだロッキング・オンは、一気に同フェスの拡大を進めた。

そしてこの年、Mr.Childrenが初出演を果たす。3万人を超える参加者が集った超満員のGRASS STAGEに、”Tomorrow Never Knows”、”終わりなき旅”といった輝かしいアンセムが鳴りわたる。あらゆる参加者たちの期待と熱狂を、一つに包み込み、そして等しく讃え上げる。まさに「フェスの魔法」だ。ひたちなかの地にかけられたその魔法は、あの日から今日に至るまで解けてはいない。

最終日のトリのステージでは、中村一義が、昨年の無念を無事に晴らした。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002】

3回目の開催、前年と同じく計3日間、2ステージ制ながらも、なんと参加者は約27,000名増加。トータル約114,000名が参加した同フェスは、既にこの時点で国民的イベントと化していたのだ。

各日のトリを務めたのは、RIP SLYME、Dragon Ash、そして桑田佳祐。”波乗りジョニー”、”マンピーのG★SPOT”をはじめ、次から次へと放たれるソロ曲、サザン曲。彼こそまさに、ポップ・ミュージックの奇跡の体現者である。

桑田佳祐と「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の相思相愛の物語は、この年から始まったのだ。

また、桑田佳祐の裏という大役を務めたのは、NUMBER GIRLであったことも、とても感慨深い。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003】

この年、異例の試みとして用意された「シークレット・アクト」のスロット。その開演時間、ステージに設置された巨大スクリーンに映し出されたのは、HYDEの名であった。

1曲目に披露されたのは、彼のソロ・シングル”THE OTHER SIDE”。そう、邦楽ロックシーンとは異なるフィールドを生きるHYDEのステージは、このフェスが「メディア」としての機能を発揮し得ることを証明した。賛否両論を巻き起こしたのは間違いないが、あの日、彼の真価を初めて目撃したロックファンは多かっただろう。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2004】

初回の開催以来、総動員数は右肩上がりが続き、この年は13万人を突破。出演者は、ロックバンドが中心であることに変わりはないが、この年から、一青窈、森山直太朗といったJ-POPシーンを彩るアーティストのブッキングにも注目が集まるようになる。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005】

この年、3つ目のステージとしてSOUND OF FORESTが新設。ネクストブレイクを予感させる若手アーティストの出演の機会が増え、このフェスはより「メディア」としての特色を強めていく。

そしてこの年の台風の目となったのは、2度目の出演となったMr.Children、そして初出演となった坂本龍一、サザンオールスターズだ。

邦楽ロック雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」を通して育まれてきた、時代を担うアーティストたちとロッキング・オンの絆が、この年、ひたちなかの地で最も美しい形で結実した。

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」のフェスとしてのブランドは、この年で、完全に確固たるものになったと言えるだろう。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006】

4つ目のステージとして新設されたWING TENT。この年、同ステージに登場したのは、RADWIMPS、NICO Touches the Walls、Base Ball Bear、チャットモンチーといった、まさにブレイク寸前の若手アーティストたち。

その後、彼らが瞬く間にLAKE STAGE、GRASS STAGEへと駆け上がっていったことが象徴的なように、この年から「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」は、アーティストの成長物語を可視化する装置としての機能を担うようになった。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2007】

この年にトリを務めたのは、皆勤賞が続くDragon Ash、そして、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDENだ。同じくGRASS STAGEのスロットを堂々と担ったASIAN KUNG-FU GENERATION、マキシマム ザ ホルモンらをはじめ、この年から、ゼロ年代後半〜テン年代にかけてロックシーンを席巻するアーティストたちが、完全開花を果たす。

DJ OZMA、絢香といった、当時のJ-POPシーンの最前線を行くアーティストたちがブッキングされていることにも注目だ。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008】

総動員数は、ついに15万人を突破。この年、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」は、名実ともに完全なる国民的イベントとなった。

各日のトリを務めたのは、ストレイテナー、BRAHMAN、そして、翌月の活動休止を発表していたELLEGARDENだ。そう、フェスの物語は、バンドの物語とリンクしながら、切実なドラマを紡ぎ続けてきたのだ。


【ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009】

PARK STAGEとSEASIDE STAGE。新たに2つのステージが新設されたことにより、総出演アーティストは144組となる。「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」が、日本の音楽シーンの縮図として捉えられるようになったのは、この年からかもしれない。

生けるロック・レジェンド、矢沢永吉が、フェス10周年のこのタイミングで2度目の出演を果たし、あまりにも華々しいトップバッターを務めた。

そして、よくタイムテーブルを振り返ると、当時、国民的アーティストとして絶大な支持を誇っていたYUIは、本来の適正キャパシティであるGRASS STAGEではなく、強い意志を持ってSOUND OF FORESTを選んでいたことが読み取れる。



(後編)はこちら



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