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10年間、『コード・ブルー』が紡ぎ続けた「希望」について。

【『劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』/西浦正記監督】

2008年から放送が始まったドラマ『コード・ブルー』は、それまでの医療ドラマに対する痛烈な「批評」であった。

決して万能ではない等身大の医者の人間性、そして、どれだけ最善を尽くしても救えない命があるという残酷な医療の現場から、このドラマの製作陣は決して目を逸らすことはしなかった。シリーズの企画段階から携わる増本淳は、かつて『白い巨塔』『救命病棟24時』といった数々の医療ドラマをヒットに導いてきたプロデューサーである。しかし彼の中には、医療をファンタジックに、医者を完全無欠のヒーローとして描いてきたことに対する葛藤があり、『コード・ブルー』の製作は、そうした自戒の表れでもあったという。

だからこそ、だろうか。やはり『コード・ブルー』の内容は衝撃的なものであった。人命を優先するためとはいえ、未来ある少年の腕を切断するというショッキングな展開、そして、その自らのキャリアアップに繋がる施術経験を「おもしろかった」と呟く独善的な医者のキャラクターに対して、シーズン1の放送時には視聴者からの苦情が殺到する。

しかし、そうした一面を含めた医療現場のリアルな実情を描いてきたこのシリーズは、医療関係者から強い共感と支持を得て、結果的には、足かけ10年にもわたる物語を紡いできた。医療は不完全であり、医者は幾度となく挫折しながら悩み苦しむ一人の未熟な人間である。『コード・ブルー』の製作陣は、最後まで、その圧倒的なリアルと向き合い続けてきた。逆説的ではあるが、だからこそこのドラマは、「目の前の命を救いたい」という全ての医療関係者が抱く嘘偽りのない想いを、まっすぐに伝え続けることができたのだろう。


まさに私たちが生きるこの現実がそうであるように、このドラマにおいては都合の良い奇跡が起きることはない。そしてそれは、今回の劇場版においても同じだ。

劇中で深く説明されることはないが、多数の重傷患者が運ばれるあるシーンで「トリアージ」という概念が出てくる。残酷な言い方をすれば、それは「命に順番を付ける」行為であり、全ての命を(少なくとも同時には)救うことはできないという容赦ない現実を示唆している。今作は複数の患者のエピソードによって構成されているが、ドラマシリーズがそうであったように、その全てが、誰もが願う結末を迎えることはない。

それでもこの作品は、最後には輝かしい「希望」を示してくれる。これから私たちが生きようとしているのは、価値観の多様化の果てに、全ての人の「正しさ」が並列され、等しく同じように許容されていく時代だ。それはもしかしたら、同じ「正しさ」を通して他者と通じ合う機会が減っていく時代でもあるのかもしれない。それでも、『コード・ブルー』が懸命に描き続けてきた「命を救う」という行いは、たとえどれだけ時代が移り変ろうとしても、決して揺らぐことのない「正しさ」であると僕は思う。

僕たちが生きる現実は、想像を絶するほどに辛辣で、不条理で、そして、残酷である。それでも、ドクターヘリをはじめとする高度な医療テクノロジーは日々進歩し続けている。そして、あの日、あの時、救えなかった命を決して無駄にしないために、医療は更なる発展を遂げ、医者は数々の経験を積みながら成長し続けていく。(実際に、緊急救命の要であるドクターヘリは、シーズン1の放送時から現在に至るまでの間に全国へ広く普及した。)『コード・ブルー』は、その確かな歩みこそが「希望」であることを訴え続けてきた。そして同時に、このシリーズの主題歌であるMr.Childrenの"HANABI"は、その輝かしいテーマに優しく寄り添い続けていた。

誰も皆  悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて  波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

Mr.Children  "HANABI"

『コード・ブルー』が提示し続けてきた「希望」は、この先、たとえどれだけ時代が移り変わっていったとしても、決してその輝きを失うことはないと思う。10年間、このシリーズの製作に携わってきた全ての人たちに、僕は最大限の敬意を払う。



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