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『検察側の罪人』、その”罪”を問い直す

【『検察側の罪人』/原田眞人監督】

全編に通底する、極めて壮絶な緊張感。

現代の日本社会へ向けた鋭く痛切な批評と、スクリーンの前の観客一人ひとりに突き付けられる重たい問いかけ。

知的エンターテイメントとしての「映画」に、僕たちが求めるもの全てを見事に内包している。


そして奇跡的なことに、今作において、木村拓哉と二宮和也の初共演が実現した。

ここには"キムタク"と"ニノ"はいない。

木村拓哉は、過去にいくつもの「自信とプライドに満ちた完全無欠のヒーロー」を演じてきた。だからこそ、彼の演技から、迷いや不安といった繊細な心情の「揺れ」と、明確な「嫌悪感」を感じたのは今回が初めてだった。ダークヒーローという完全な新境地を、あまりにも見事に切り開いている。

そして、二宮和也の屈指の演技に、思わず息を飲んだ人は多いはずだ。知性と野性が、驚くほどに高い次元で両立している。あの「怒号」の尋問シーンは、間違いなく今年の日本映画史のハイライトだ。


そんな二人の「競演」を主軸に据えながら、今作の物語は、大方の想像を遥かに超える方向に展開していく。

自ら脚本を担当した原田眞人監督は、原作からの改変点を通して、2018年の日本社会にメスを切り込んだ。

その改変点は、大きく2つ。

1つは、「インパール作戦」にまつわるエピソードだ。日本軍の最低最悪の愚策にして、結果として多くの命が失われた屈辱の歴史。このエピソードが今作に練り込まれることで浮き彫りになるのは、戦前から今日に至るまで続く「日本的組織運営」の矛盾と限界だ。

そして、もう1つの改変点こそが、今作が物議を醸し出している最大の理由である。物語の結末に直接関わるため、ここでは詳しくは触れないが、既存の勧善懲悪のフォーマットを大きく逸脱していくラストの展開に、僕たち観客は、疑念と戸惑いの中に宙吊りにされてしまう。

これまで、数え切れない作品を通して描かれてきた「正義とは何か」というテーマ。しかしこの議論は、「完全な正義も完全な悪もない」という曖昧な結論をもってして立ち止まってしまう。なぜなら、ここでいう「正義」とは、決して一つだけではないからだ。

今作はその前提に立った上で、「あなたの信じる正義はどちらか」を問いかけてくる。

スクリーンの前の観客は、当事者としてこのテーマを受け止めなければならない。つまり、逃げることができないからこそ、この123分は非常に息苦しい鑑賞体験となる。

平成最後の夏、今作が記録と記憶に刻まれていく作品となるのは間違いないだろう。


※本記事は、2018年9月24日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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