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それでもアジカンは「ロック」の荒野を歩む

【ASIAN KUNG-FU GENERATION/『ホームタウン』】

時代は変わってしまった。

3年半前にリリースされたアジカンの前作『Wonder Future』は、世界の「ロック」との接続を見事に果たした作品だった。(Foo Fightersのスタジオ「Studio 606」にて全曲レコーディング)

しかし今や、その「ロック」が全世界的に求心力を失いつつある。

この数年のEDMの驚異的な浸透については改めて言うまでもないが、アメリカでは既にヒップホップの売上がロックを上回っている。音楽の多様化が目まぐるしいスピードで進む中で、かつてユースカルチャーの王道であった「ロック」は、相対化の果てに隅に追いやられ、その存在感を弱めている。

それでは、この冬の時代を、ロックバンドはどのようにサバイブしていくべきなのか。

その一つの回答が、世界最先端のポップミュージックとのシンクロだ。たとえば、今年リリースされたONE OK ROCKの新曲"Change"、"Stand Out Fit In"。邦楽ロックからの「脱構築」を見据えたその楽曲構造は、あまりにも大胆、かつ華麗なものだった。

そんな中、アジカンが勝機を見い出したのは、サウンドエンジニアリングにおける「低域」の音響表現だった。(この試みは、UVERworldの新曲"EDENへ"にも共通する。)

先行シングル"ボーイズ&ガールズ"がまさにそうであったように、イヤホンなどの一般的なリスニング環境においても、今作の「低域」の鳴りの違いは明白に伝わるだろう。

ストリーミングサービス全盛の時代、海外のヒット曲と並列されて聴かれたとしても、決して埋もれることのない存在感を、このアルバムはたしかに放っている。


そして、やはり今作の本質的な価値は、そうした「音響的」なトライ&エラーの先に鳴る楽曲の素晴らしさであると断言したい。

『ホームタウン』、そして付属のEP『Can't Sleep EP』には、僕たちが愛してやまないアジカンの「パワーポップ」がいくつも詰め込まれている。USロック/UKロックのビート感とダイナミズムを咀嚼することで、リスナーを「ロック」でしか味わえない高揚に導きながらも、憂いと軽やかな批評性まで感じさせてしまう。



特に特筆すべきは、アジカンの新たな代表曲となった"荒野を歩け"だ。

《理由のない悲しみを/両膝に詰め込んで/荒野に独りで立って/あっちへ ふらふら また/ゆらゆらと歩むんだ/どこまでも どこまでも》

爽やかな開放感と、胸を締め付ける切なさ。両者の鮮やかな乱反射が描いていく音像風景。そして、その果てで、微かにタッチする希望。これこそまさに、僕たちが長きにわたってアジカンを愛し、そして求めてきた理由だと思う。

今作では、ホリエアツシ(ストレイテナー)、リヴァース・クオモ(Weezer)、グラント・ニコラス(Feeder)など、盟友のソングライターを楽曲制作に迎えている。そうしたチャレンジができるのは、きっと、自分たちの鳴らす音楽に自信と誇りがあるからだろう。

そんな風通しの良いクリエイティビティが宿った今作は、提供曲や共作曲を複数含んでいたとしても、やはりどこまでもアジカンらしい。こんな不思議な手触りの新作は初めてだ。

今の時代、どのような手法やマインドを持ってして「ロック」と向き合うべきか。そして、レガシーとしての「ロック」を奪還するのではなく、どのように変革していくべきか。

今作に含まれる示唆は、あまりにも深い。


※本記事は、2018年12月8日に「tsuyopongram」に掲載された記事を転載したものです。

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