見出し画像

エイリいや~ん♡じゃなくて

エイリアンだよ。

芦田愛菜だよ。


芦田愛菜だよ、とか、ついつい余計なことを書いてしまう。

そして、それを反省しない。

だから、下の記事のように前置きが長くなりすぎて、本編をあきらめてしまう事態におちいる。



エイリいや~ん♡は、エイリアンの話を書こうとたら、前置きが長くなりすぎて、切り離したものだ。

なので今回は前置きなしで、いきなりエイリアンの話をします。



僕は、エイリアン2があまり好きではない。

だけど、観はじめると面白くて見てしまう(キャメロンしゅごい)


なぜエイリアン2が、あまり好きではないかと言うと、1作目のコンセプトとは真逆になってしまっているからだ。

つまり、原作厨的な“お気持ち”でしかない。

エイリアン1作目の監督は、リドリー・スコットである。

しかし、原案、脚本はダン・オバノンだ。

エイリアンの原案は、こう言ったものだった。

太平洋戦争で、日本に空爆しに行くアメリカの戦闘機B-17

B-17が、日本上空で怪物に襲われる

怪物は、後部銃座の銃手を殺し、機内へ侵入

最後尾の乗組員からの通信が途絶えたことに気づく操縦士

さらに、一人また一人と、後ろから順に、乗組員との通信が途絶えていく

B-17に侵入した怪物は、乗組員を殺しながら操縦席に向かってきている

しかも、この怪物は銃を使っても倒せない


という話が、もともとのプロットだった。

この、エイリアンの原案となった、脚本のタイトルはグレムリンズだ。

なぜグレムリンズなのかというと、実際にグレムリン効果というものがあったからだ。

第二次大戦中は東京に空襲をかけたアメリカ軍爆撃機の乗組員を悩ませた、機械やコンピュータが原因不明で異常な動作をする事をグレムリン効果と言ったりする。

グレムリンwikiより。



日本(上空)でおきた不可解な現象。

現象が形になったもの、それが妖怪ならば、エイリアンの原型は、妖怪と言えるかもしれない。


スターウォーズのヒットで、突然SFが脚光を浴びることになった。

ダン・オバノンは、それにあやかろうとモンスター映画のグレムリンズを、SFに書きかえることにした。

しかし、ダン・オバノンは行き詰まった。

この怪物は銃を使っても倒せない、という設定の詳細にだ。

そんなとき友人のロン・コッブがアイデアを出してくれた。

その怪物の血液が強力な酸で、撃ったら機体に穴があいてしまうというのは?


採用!

銃で倒せないを、銃を使えない、に変えたのだ。

こうして、

B-17は宇宙船ノストロモ号へ。

怪物は宇宙生物へ。

SF映画の脚本、エイリアンの誕生だ。

正確にいうと、書きかえたときはスタービーストというタイトルで、後にエイリアンに変更。


宇宙船内部という閉鎖空間。

逃げ場がない。

さらに、銃がつかえない。

制限をもうけて、緊張感をあげていったのが、エイリアンの1作目なのだ。


しかし、エイリアン2をみてくれ。

これでもかと言うほど、銃をうつ。

ベストと一体化した補助器で支えるほどの、クソでかい銃をブッ放す。

それでも飽きたらず、センサーでとらえた対象をオートマチックに撃ってくれる機械にも撃たせた。


だけど、しかたない。

エイリアン2の原題はAlienの複数形Aliensなのだから。

エイリアンがインフレをおこしている。

銃が使えなかったんでは、詰んでしまう。


エイリアン2の恐怖は、1作目に支えられている。

1作目の一体。

あの一体で、あの惨状だった。なのに、それが夥しい数になってでてくる。


なぜ夥しい数がでてくるのかというと、クイーンがいるからだ。

エイリアン2のエイリアンは、アリ、ハチモデルだ。

女王と兵隊。

これも、僕は気に入らない。

なにが気に入らないか。

エイリアンという未知のモノ。

この未知に、昆虫という身近な未知のモデルを敷衍したことだ。


しかし、気に入らないと言ったけど、エイリアン2はあれでよかったと思う。

ヒット作の続編はよくスベるからだ。

なぜなら、ヒットした1作目の焼き増しをして、劣化版になってしまうことが多い。

だから、焼き増しをせずに、思いきって変えたてしまっキャメロンは、やはりしゅごい。

 
そして、エイリアン2は、同じくジェームス・キャメロン監督作品、アバターとセットで観るのがいい。

対話不能の超攻撃型宇宙生物エイリアン。

いっぽうアバターでは最終的に対話を拒否したのは人間。

両作に出演しているシガニー・ウィーパーの役どころ。

両作品のパワーローダーの使われ方。
 
これらを照らし合わせてみると面白い。

あと、1作目のエイリアンとアバターのタイトルロゴの類似もあるが、僕の気のせいかも知れない。


原作厨的お気持ちをもった僕が、エイリアンシリーズのなかで、いちばん好きなのは、1作目かというと実はそうではない。

面倒くさいやつとしか思われない発言だ。

3です。

3が好きです。

エイリアンシリーズのなかで、いちばんスベったやつです。

興行収入的に。

3のなにが、好きかって、まず監督。

デヴィッド・フィンチャーだ。

デビッド・フィンチャーのなにが好きかって、カイル・クーパーと組んでつくる映画のオープニングだ。

特にドラゴンタトゥーの女




そして、エイリアン3は、2で大幅変更されたエイリアンを、1作目に戻そうとした作品だ。

舞台を流刑の地にすることで。
 


流刑の惑星には、銃がない。

脱出するための船もない。

銃がなく、逃げ場がない。

1作目と同じだ。

そう、3は1作目の劣化版だ。


3のエイリアンは犬に寄生してうまれた、四足歩行の獣型だ。

走ると速い。

そんなやつと、鬼ごっこをする。


なんで好きなんだろう。
 


西野カナがDarlingという曲で、なんで好きになっちゃったのかなって歌ってよね。
 

1作目は傑作

2作目は面白い

3作目は好き

4作品目はエイリアンを泳がせた功績


エイリアン4では、エイリアンが泳いだのだ。

あれはこわい。

ぬっと突然あらわれるよりも、走って追いかけられるよりも、水中でエイリアンに追いつかれそうになるのが、いちばんこわい。

自由のきかない水中で、エイリアンは魚のように泳ぐ。


そして、僕はもう満足したので、エイリアンの話をここで終わりにする。


というわけで、おつきあい、ありがとうございましたっ。

おわりだよ。

 
芦田愛菜だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?