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はにゅちが競技者だったことを忘れかけている人のRE_PRAY感想その2


その1、ライビュを諦め打合せ場所を探しに奔走する私の走り書きに沢山の反応を本当にありがとうございました!!

(追記:自分の身の上について全く説明してなかったことに気づいたのでぺたり)

お人形とお耽美が大好きなオタクの、大変無節操な自己紹介で申し訳ないのですが…

実は私はFF9やundertaleを未プレイのままRE_PRAY埼玉公演を見てゲームを始めました。

ゲーマーな友達とライビュに行ったんですが、
休憩中の感想についていけない……!

フラウィ?
サンズ…?
はー…へー…ソウナンダ…元ネタね…
最後ラスボスみたいでかっこよかったね…

そんな感じでした。
なにせ普段ゲームをやらないので。
でもちゃんと知りたいじゃん!?
羽生くんが伝えたかったこと知りたいじゃん!!
コンテンツは知り尽くしてこそコンテンツ!!
というわけでビビりながらundertaleを購入。
年末年始を利用してFF9も完走。
そうしてもう一度ライビュに行ったら全然違うじゃないですか。
全然!!違うじゃ!!ないですか!!
うわあああ!クジャあああ!

…純粋な、ゲーマー視点のレポを期待して開いてくださった皆さん。
ごめんなさい。
普段は下ネタしか喋ってないようなアカウントでこんなこと言って本当に申し訳ないんですが、
私は羽生くんのことが好きですね〜〜?!?!?
(ちなみにGIFTも現地で見ている)

でもクジャのことも大好きです!!!!!!(張り合うな)

ちなみに私と羽生くんの出会いは12年前に遡るんですが(基本名前知ってただけだが)、噴飯もののエピソードが一個だけあるので機会があったらしゃべりますね。
というわけで、
長くなりましたが本編START(⭐︎雑ーー!



おかげさまで何とか最後まで書けましたのでその2として公開します。
前回ちゃんと説明せずに始めてしまいましたが本考察は主に映像部分、モノローグに着目し、アイスストーリーの筋、軸について考えております。
思い出しながら綴っているため記憶違いなどあるかもしれません。
個々のプログラムの演出等については需要があればまた別途やってみようかなと思っております。

前回中途半端なところで途切れてしまいましたので、2部の頭から改めて綴っていきます。
文字多くて読みづらいと思いますがよかったらご覧ください。

【2部】


スタート画面からゲーム再開。
さっきセーブできなかった今日のデータを選択すると、再び白天使さんが登場。
しかし今回は布の囲いがない。
また、「いつか終わる夢:Re 」の文字を書く方向が反対。(モニター向き)

命の流れを紡ぎ、もう一度画面越しに私たちを見るいつ夢さん。今度は青に染まっていない。なぜ?
いつ夢さんはしゃべらない。
大きな力を持ちながらも、「それしかできない」役割なのか。
表情にわずかな切なさ…?愛しさ…?
ここの表情、公演ごとに違う。
何を伝えようとしている?

そして、黒服ちゃん。

激流に飲まれている

RE_PRAY

……語尾が現在形に変わってる。
黒服ちゃんの心境の変化?とみた。
一度激流から抜け出したのに戻ってきてしまったから……?
つまり、黒服ちゃんには1部の記憶があるのか。

流れる命の選択。
今度はNOを選ぶ。

実はちょっと驚いた。
2つある選択肢のうち、片方で失敗したから逆を選ぶ。それはゲーム的には正しい。だけど…

これはドットちゃんのための選択肢じゃない。
この選択で命を失うのは黒服ちゃん自身だ。

「鶏と蛇と豚」後のモノローグによると、黒服ちゃんの状態は「崩れかけた命、魂、ウツワ」。
つまり、生きる力を手に入れられなければ……激流から逃れられなければ、死ぬ。だから1部ではYESを選んだ。

たとえば私たちが、生きるか死ぬかの2択を提示されたとして。
選ぶ余地があるのなら当然生きる方を選択する。
この「流れる命」の選択はそういうものなんじゃないのか?
だから今までNOを押したくても押せなかった…?
それで、無限ループに閉じ込められていた…?
ではなぜ今回の黒服ちゃんはNOを押せたのか?

これは黒服ちゃんの意思決定なので、黒服ちゃん自身の性格に着目して考えてみる。
意外にも黒服ちゃんの性格(考え方)はすぐ後に出てくる。

壊したくない
全てを大切にしたい
周りの命たちが輝く
その渦に飲まれてゆく

沈んでゆく
遠くに見える水面は
まだ光っている
とても綺麗だ

RE_PRAY

余談だが、このモノローグを聞いて私はとても感動した。
この文章の美しさと雑味のなさ。特に後半。
短歌にちょっと足したくらいの文字数に、
・状況(自分の状態)
・情景(見えるもの)
・心情(気持ち)
が、過不足なく詰め込まれている。
実際は映像という補助があるけれど、文字だけでも何が起きたかストレートに理解できる。これを人は文才があると言うんじゃないかね…。
羽生くんが書いた物語だから、きっと言葉たちも本人が考えて、手直しして、まとめたのだろう。
音楽をよく聴く人だから、声に出した時の舌触りもいい。
RE_PRAYの中で一番好きかもしれない。
以後「羽生結弦先生」と呼ばせていただく。

そしてここで、
「なぜ黒服ちゃんは日常に飲まれて生きる力をなくしてしまうのか」(おさらい:「激流=日常=命の流れ」)
という問いもなんとなく自己解決した。

黒服ちゃんは、「善良であろうとする人間」だ。

人間は、生きているだけで疲れる。楽しいことがあっても、満たされていても、生まれた瞬間から、いや、発生した瞬間から死という根源的な恐怖と理不尽な社会の間で板挟みになる運命だから。
それでも、善良であろうとする人間は、できるだけ善くあろうとする。人に優しくしようとする。できれば誰も傷つけずに生きたいと願っている。
それは決して一部の、本当に清らかな人間だけを指すのではない。
子供の頃に人を傷つけたことのある人間なんてごまんといるだろう。
そういう人だって、大人になって、過去は変えられないけれどこれからはできるだけ善いことをしようと心の中で思っていたりする。私もそうだ。

黒服ちゃんに具体的な設定をつけなかったのは、その「本質」だけを表したかったからじゃないか。

例えば黒服ちゃんにもっと具体的な背景や設定が与えられていたら、「もともとこういう性格のキャラクターだったんだね(だから私には関係ないね)」とか、「あんなことが起きたらこうなるに決まってる(私には起きてないから関係ないね)」と受け手に逃げ道を与えてしまう。
でも、そうじゃない。
誰しもが黒服ちゃんに自分を重ねられる可能性がある。
たぶん、私にも、これを読んでいるあなたにも。

他人と自分を比較して、
大きな社会と小さな自分を比較して、
黒い世界で孤独に座り込む瞬間があるんじゃないか。

でも、誰も傷つけないというのは自分だけが傷を受け続けるという側面もはらんでいる。
誰もが望んで取れる選択肢ではない。

話を戻す。
そんな「善良であろうとする人間」の黒服ちゃんが「流れる命を手にしない」=NOを押すことができた理由として私が考えた要因は2つ。
ひとつは前述の通り「黒服ちゃんが誰も傷つけたくないと願っていたから」
でもそれは元々持っているものなので、これだけを理由とするには少し足らない。

そこで2つ目に出てくるのが「神様」の存在。
すぐ後のモノローグにもあるように、黒服ちゃんは神様の存在を感じている。

私は、この物語の神様とは私たち(観客)だと考えている。

1部を見届けた私たちには「いつか終わる夢」でさえも違ったものに見えた。
「YES」の先の未来は、
あの「clear」は良い選択だったのだろうか。

私たちの「それは違う」という思いが黒服ちゃんに「NO」を選ばせたのではないか。

ちょっとスピリチュアルな論理の飛躍かもしれないけど、私はこの物語に神がいる意味をその「ほんのちょっとの勇気を湧き上がらせること」に置いてみた。

さて、NOを選んだ黒服ちゃん。
命の水が枯れてしまったのはどうしてなんだろうか。

そして世界は真っ暗になる。

ここのイメージだけど、小さい頃、ニンテンドーDSでポケモンのゲームをやっていて、壁をすり抜けてダンジョンの外に出てしまったことがあった。
(参考 こんな感じ。)

壁抜けと呼ばれるバグらしいのだが、上の記事にあるように真っ暗なところに入ってしまい、自力では元の世界に戻ることができない。
でも暗闇の中は歩いていけるんだよね。壁はあるんだけど。

で、そこから神様に呼びかける黒服ちゃん。

私は空っぽのウツワ

RE_PRAY

がちゃん。壊れる音と共にヒビが入る。
自己喪失。
…何にも教えてくれない神様のこと恨んでもよさそうだけど、そうしないんだよね。なんでかな。優しいからかな。

ここで一つ疑問が生まれた。
激流に飲まれてからこの場面までの出来事は実際に黒服ちゃんに起きたのだろうか?

注目したのは「あの夏へ」の後。
コントローラーを置いて歩き出す黒服ちゃんが映る。
真っ暗闇の中から、命の水を通して元の場所に戻ってきた?
…ここで、1部との対比として「夢」の可能性を思った。

これまで、1部と2部は
いつか終わる夢(手をかざす方向が逆)
流れる命の選択(YESと NO)
鶏と蛇と豚とあの夏へ(赤い道と青い道、最後に進む方向が逆)
という対比構造になっていた。
それなら1部で「見た」夢は2部では「覚める」…?

ちょっとでもわかりやすくなればと思い図を書いてみた。

RE_PRAYフローチャート


※これは完全に私個人の見解であります。

ゲームのコントローラーを持っていた黒服ちゃんが繰り返していたのはいわゆる思考実験。
思考実験から抜け出せた黒服ちゃんはコントローラーを手放して、自分の手で、足で、現実のものを動かしていく。
無数の雨を体に受けながらも再び神様へ呼びかける。

神様
見えていますか
届いていますか

やさしくて
はかなくて
きれいで
こわれそうで

RE_PRAY

やさしくて、はかなくて、きれいで、こわれそうなものってなんだろうね…
お布団と桜と水とガラスみたいなこと言ってますけど。

(そこにいるあなたが一番イメージに近いのですが)と毎回思ってしまうけど、
これは羽生結弦先生の手で書かれたものだから、私は「天と地のレクイエム」で触れたひとつひとつの魂(=流れる命)の形のことなのかなって思う。

黒服ちゃんが激流だと感じていたもの。
飲み込まれていた日常は、本当は、いろんな形の命で満たされている。
見守る命、旅立つ命、生まれてくる命、
苦しむ命、それらみんなが、やさしくて…はかなくて…きれいで…こわれそうで…
生きていくための方法は一つじゃない。
人生にクリアはなく、終わりだけがある。
だから、どんな道でも歩き続けることに意味がある。
終わりを恐れずに受け入れて初めて、祈るという選択ができる。

自分の手で「壁」を動かして羽を拾い上げる。
ここも1部と少し対比になっている。
1部では、「壁」を越えようとした。
そうしたらゲーム世界そのものが壊れてしまった。

2部は違う。
「壁」は越えなくてもいい。そもそもそれを作り出していたのは自分で、意のままに操れることを思い出したから。
「殻」と読み換えてもいいかもしれない。自分を守っていた殻。

黒服ちゃんは白天使ちゃんと同じ力を持っている。
世界を構築し、命の流れを作り出す力を持っている。
それはきっと私たちも同じ。

あの羽を掴み舞い上げることが、完全な思考ループの終わりを意味しているのかも。

そして、あたりは一面の光に包まれる。
この先は現実。
空は晴れ、手を広げ、黒服ちゃんは「春を呼ぶ存在」に変わる。
春。万物が蠢き息づく季節。
これは、1部とは別の「生きる力」ではないかな。
きっと黒服ちゃんはもう息ができている。
つらく苦しい社会の中で生きる術を見つけている。

祈り続ける
いつか終わるとしても
夢の続きを大切にする
光の糸がそばにある限り

何を考えても
何が苦しくても
本当にやめることを選ばない限り
続いていく

光とともに
明日はやってくる
道は分かれ続ける

RE_PRAY

祈りを捧げ、命の樹を隠していた霧(モザイク)を払う。
命の樹はやがて葉を落とし、星に姿を変える。

巡りめぐってどこかにたどり着くように
命がめぐるように
命が星に届くように

RE_PRAY

私たち(観客)も神様の座を降りて現実に戻っていく。
物語が、終わる。

…最後に。
突然登場する「星」についてみんなはどう思ったんだろうか。
(追記:星になる前に命の樹が葉を落とすのは、私たちの肉体的な死を暗喩していると思う。)
ヒントになるかわからないが、最後にFF9のとあるセリフを引用しておく。

月の満ち欠け……星の呼吸。すべては静に見えて動……動に見えて静……。

魂が流れているということ、星が生きているということ……。魂の流れが止まっているということ、星が死んでいるということ……。

星の輝きは星の呼吸……魂の循環による生命活動……。

星には……魂の循環があるわ。魂は星に産まれ、星に還る……。

ファイナルファンタジーlX(ジェノム)


長々とお読みいただきありがとうございました。
以下、収まりきらなかった感想です。

余談(3つ)

・羽生結弦先生の作家性について


undertaleにはPルートという誰も傷つけないエンディングがある。
2部ではゲームそのものをやめているからもちろんクリアもしない。
だからこの物語の伝えたいことはPルートと同じところには着地しない。

羽生結弦先生固有の作家性として、「何も(誰も)否定しない」というところが強くあると思う。
これは簡単なようでいて難しい。
深層心理やバイアスなど、人間を研究している人でないと、この物語は書けないと思う。

1部の結末もある意味では肯定している気がする。
だってゲームはクリアできてるから。(憎いゲームだ…)
でも、「(自分も含め)みんな滅んじゃったらダメなんじゃない?」という集合的無意識が思考実験をやり直させている、ように感じる。

集合的無意識とは、簡単にいうと生まれながらに備えている人類の共通意識のようなもの。例えば、自然を見て心が安らぐこと。太陽を偉大だと思うこと。それらは人生の然るべきタイミングで、教えられたわけでもないのに、みんなの意識に浮上してくる。
「夢」も、集合的無意識から生まれてくると言われていたりする。
それから、集合的無意識のことを「神の意識」と呼ぶこともある。

そしてこれと似た考えが実はFF9にも出てくる。
むしろFF9の世界観の根幹と言っていい。
これも含めて、2部にはFF9の要素があらゆるところに散りばめられている。(霧!親!星!創造主と被造物!)
全部触れようとするとFF9を最初から最後まで説明しなければいけないと気づいた!!
なので、ぜひプレイしてみてください。
ダイレクトマーケティングです。

・言葉は手料理に等しい


先にも触れたように私は羽生結弦先生の繊細で優しい言葉たちが大好きだ。

文章は面白いくらい書いた人を表す。書き手は自分の経験と感性と伝えたいこと全てを言葉だけに込めるから。

私も趣味で文章を綴ることがあり(ハンドルネームの「つづ」は「綴」)毎日何かしら言葉を紡いでいるのだが、この作業には慣れることがない。

物語を書く行為はたまに料理を作ることにも喩えられる。

お砂糖ひと匙を入れるか入れないかずっと悩んだり、
焼いてみて美味しくないから作り直したり、
地道でひとりぼっちの作業。
オリジナルの料理は自分の中にしかないのだ。

世の中、誰かに読んでもらおうと文章をしたためようとする人はそんなに多くない。だから好きな人が書いてくれた言葉は、何度味わっても足りないくらい、かけがえのないものだと思う。

羽生結弦先生はギョーザしか焼けないそうなので、RE_PRAYの物語は手ずから焼いてくれた羽根付きギョーザ……的な?
(追記:なんか超絶可愛いおにぎり作る動画あった。手ずからにぎにぎしてくれるおにぎり…)
優れた作品に作家歴は関係ないけど、スケートよりは慣れてないだろうから、辞書で調べたりしてるんだろうか。書くときはデジタル?アナログ?区区たるはどこで覚えたんだ。

可愛い。

・物語と演技のシームレスさについて

私はまだ大楽の演技が見れていないのだが、(ライビュの時間に打合せを入れられたせい)
RE_PRAYの物語と演技の「シームレスさ」は本当にすごいと思う。
オマージュしている題材の一つ一つがそれだけで強いメッセージ性を秘めているのに、それに食われることなく、オリジナルの物語になっている。
それだけで、羽生結弦大先生が、(先生でも足りんわ)日頃からどれだけ思索をめぐらせているか分かる。

それから、
「私たちはなぜRE_PRAYの世界にのめり込んでしまうのか」(※10周した。)
それは、私たちや、私たちの家族、大切な人も含めて物語が作られている気持ちになるからじゃないかと思っている。
神様として見守る人、黒服ちゃんに感情移入する人。
好きなゲームの大切なキャラクターを大事に大事にしてくれていたり。
そして、私が家族や大切な人を思い浮かべたのは、「天と地のレクイエム」のランタンである。
あの曲の原題や込められた思いについては存じているのだが、あのランタン、一つ一つには魂と一緒に大切な思い出や、もう繰り返せない、くだらない、愛すべき日常の風景が詰まっているように思えて仕方ない。
思い出すのは苦しいけど、思い出はいつも温かくて、笑えて。
自分が亡くした人だけじゃなくて、誰かが亡くした人にもそういう思い出がある。そして将来、私を亡くして悲しむ誰かにも温かい思い出を残したい。
だから自分も含めて、生きている人たちも含めて、今は見えない、話せなくなってしまった命も含めて、この星の全ての命を大切にしたい。大袈裟かもしれないけどそう思った。(エストポリス伝記2メドレーの冒頭もしかり。)
結論、全体として物語の意図と演技が確実にリンクするように演出されていて(無駄も過剰もない)MIKIKO先生は流石だし、2人だからこんなに良い作品ができたんだなと心から思う。

本当に以上です。羽生結弦大先生様ー!リバイバルあったら行くからねー!
ありがとうございました!!

呼び続けた春が来たね。


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