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【人生は短い、と君が教えてくれた】

人生は、本当に短い。

3年前の今日、

ある友人が他界した。

よりによって

「あいつは絶対に死なない」


って思っていた人だった。

人生は、ただなんとなく生きていたら、

時間が無のように感じる。

私はまだ人生の「おしり」を知らない。

それは、今日かもしれないし、10年後、50年後かもしれない。

今、あの時、絶賛妊婦だった私にとって、友人の早すぎる死は衝撃でしかなかった。

生と死を感じたあの日。

彼への追悼の意味も込めて記す。

RIP >> Agha

Agha

彼と出会ったのは、確か2011年3月のことだった。

たまたま難波を歩いていたら、サウジアラビア人の友人に会った。

私には、たくさんのサウジアラビア人の友人がいる。

彼らはフランクで付き合いやすく、

パリピなくせにやたら真面目で気の合う仲間だ。

そんな友人が、超チャラめの友人を連れていた。

それが、AGHA(アガ)だった。

私は正直、

はじめは彼のことが嫌いだった。

日本語がやたら流暢な割に、

失礼なことをバンバン言ってくる。

4つも下ということがわかり、

「このクソガキが!」

と本気で思っていた。

当時、東京で留学していたが、

超絶フットワークの軽い彼は大阪が気にいり

よく遊びに来ていた。

その度に、アラビアン達から呼び出しがかかり、これまたフットワークの軽い私はいつも駆け付けた。

でも、彼は遊び方は決してパリピではなく、

あくまでイスラム教徒なのでオレンジジュースを飲んだり、

友人の家でギターヒーローをしたり、

ピザを心ゆくまで食べたり・・

小学生のような遊びをしていた。

みんな、私のことは「男友達」と認識しており、

一切恋愛とか面倒な関係にはならなかったからこそ

ずっと良き友でいられたのかもしれない。

そんな扱いはもう慣れたもんです。

私の誕生日会にも駆け付けてくれ、

わけわからないくらいお祝いしてくれた。

その誕生日会には結局50名ほど参加してくれた。

ダンス仲間もshowをしてくれた。

「瀬菜の友達、最高にクールだね!」

無邪気にそう言ってくれて、なんだかものすごく嬉しかった。

そして、

なぜかある夏、
彼らと旅行することになった。

そのプランもめちゃめちゃで、

ダンス仲間のshowを見た後すぐに夜行バスに乗り込むというタイトスケジュール。

なんで私もOKしたのかわからないが、

あの時まだ26歳(なかなかええ歳)。

脳みそ回ってなかったんだろう。

この旅行は本当に楽しかった。

朝、東京に着き、すぐにガンダムカフェへ行って朝食。

その後、秋葉原へ行ってメイド喫茶。

オタクやないか!!

異色メンバーに見える私たちは、

「全米を回ってきたバンドマン」という設定で

罪のないメイドを騙し通した。

あの時はすまん、メイド。

AGHAは、東京は東京でも超はしくれに住んでいるので

田舎者なのはわかっていた。

しかし、

「オイラのおすすめはやっぱ横浜だね!案内するよ!」

と言って私たちをアテンドした。

しかし、歩いても歩いても、

どこに行きたいのか何がおすすめなのかわからない。

AGHAはデートでちょっときたことがあるくらいの横浜を

「庭」ならぬ「玄関」くらいの勢いで豪語していたが、

完全に迷子だったww

「おい、田舎者、すっこんどけ!」と私の暴言は止まらなかった。

あろうことか、この時期はラマダーン(断食期間)で、

昼間は寝て、日が沈むとジャンクフードを浴びるほど食べる

というとんでもない旅行になった。

私が太っているのはこの後遺症だと断言する。

見た目はチャラくても、ガム一つ口にしない彼ら。

あ〜、なんか日本であまり見ない信仰心だな。と思い新鮮だった。

東京に行っても遊び方は小学生で、

野原で寝転んでゲラゲラ笑う。

夜はバカみたいに食べる。

ラマダーン明けはみんなでアラビア料理店へ行き、

お祭り騒ぎをした。

日本にいつつも、こんなにナチュラルに異文化を肌で感じられたのは彼らのおかげだった。

たくさん遊んで、

たくさん笑って、

最初に嫌いだった相手とは思えないほど仲良くなっていた。

友人の弟が日本に来ていたので、

「浴衣着て見送りしようぜ!」

と提案すると、一番乗り気だったのはAghaだった。

関西空港で浴衣を着た外国人グループは私たちだけだった。

大阪に来る度、

「おい、女!今日これるか?!」

とメールが来る。

亭主関白かよ。

婚約した時はこれだった。


最近、強く思う。

日本で結婚式をすればよかった。


伝統的なのじゃなくていい、何百万もかけなくていい。


シンプルでいいから好きな人たち集めて騒ぐ結婚式。




最後に彼に会ったのは、大阪に遊びに来たとき。



Hootersというおっぱいの大きいお姉ちゃんたちがジャンクフードを出してくれるところ。



その夜に東京へ帰る予定だった彼を私はバスまで見送った。

他の友人は、

「子供じゃないんだから、見送りなんていいじゃん」


と言ったけど、

私は見送られることの嬉しさを知っている。


何度も海外へ行き、その度に見送られることの尊さを教えてもらった。


反対を押し切ってバスターミナルまで見送った。




その時に、今の夫(スペイン人)も来てくれた。



AGHAに紹介できたことが、心残りが少ない原因かもしれない。



2人で彼を見送り、


「瀬菜の旦那、めっちゃクールだね!」


そんなお達しもいただいて、これまた嬉しかった。


見送りをしてもらったことを、


「なんか、めっちゃ嬉しかった。ありがとう!」


そんな素直にも言ってたっけ。


最後にメッセージをやり取りしたのは、

亡くなる1ヶ月前、妊娠の報告をした時だった。



「赤ちゃんには”アガ”ってつけてね!いい子になるよ!」


そんなことを言ってたな。

全力で断ったけど。ww

そして、2016年8月16日。


彼が死んだ。


サウジアラビアから連絡が入った。




原因はよくわからないが、

寝ている間に心臓発作を起こし、

そのまま帰らぬ人となった。

正直、実感はまだ、ない。


私はまだ、


「アラビアンジョークでした〜!


とメッセージが入ることを期待している。



3年経った今も、

まだその連絡は、ない。


AGHAに時々メッセージを送ってみたけど、

その返事は、ない。




このnoteが、

笑い話になってもいいから、

そんなことどうでもいいから、


アラビアのエイプリルフールであってほしい。


人の死っていつも突然で、

後悔ばかりが残る。


でも、

AGHAがおしえてくれた、



「人生は短いよ」


という声なきメッセージを強く受け止め、


私は新しい命を育てていこうと心に決めた。



実感なんて、一生できないやろうけど、

しなくてもいいよね。


いつもバカみたいに楽しい時間をありがとう。


REST IN PEACE>>

My BAKA friend, AGHA

(1989-2016)

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