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『日本人としての義を貫いてほしい』市川総合研究所 代表理事 大藏八郎さん

幕末史を趣味とする法務コンサルタントの大藏八郎さんにお話を伺いました。

プロフィール
活動地域:千葉県、全国各地
経歴:1949年生。1975年東京大学法学部卒業後、東洋エンジニアリング㈱で営業契約、知的財産等担当。1992年通産省より知的財産権委員委嘱。1999年国際知的財産権コンサルタント就任。2000年㈱エフテック・カナダ現地法人役員。2003年米国ジョージア州現地法人、2004年エフテック北米統括会社(オハイオ州)、2011年㈱エフテック本社に帰任、法務グループを設立。2016年3月エフテック退職。2016年4月、青山学院大学非常勤講師(国際ビジネス特別講座)。JETRO英文貿易実務指導エキスパート登録、2019年3月終了。2019年6月技研製作所法務顧問、現在に至る。
現在の職業および活動:市川総合研究所代表理事。彰義隊子孫の会事務局。万延元年遣米使節子孫の会監事。柳営会会員。

『誤った歴史は正さなければならない』

Q どのような夢やビジョンをお持ちですか?

大藏さん(以下 敬省略) 70歳は昔なら古希ですが、今は稀れではなく殆どの男が、枯れずに、下手すれば100歳まで生きちゃう時代になりましたので、夢を語っても笑われないでしょう。
2つです。1つは3つの子孫の会(彰義隊、遣米使節、柳営会)に属しながら歴史研究をしていくことです。
子孫の会といってもアナクロ(時代錯誤)の先祖自慢などではなく、おなじ釜の飯を食った先祖に代わる同窓会気分で、高レベルの情報交換です。
曽祖父が27歳で明治維新を迎えていますので、戊辰戦争や明治維新の歴史を掘り下げていきたいですね。
誰も指摘しませんが維新で明治新政府は日本人の洗脳をやりました。
日本人は2回洗脳されてます。1回目はこの時、同じ日本人が日本人に、2回目は昭和20年(1945年)に外国人(GHQ)が日本人にやっているわけです。
最近アマゾンの「不平等ではなかった安政条約」という本のアマゾン書評にも書きましたが、1回目の時は、薩長の暴力革命による政権奪取を正当化するため、徳川時代を悪、明治維新を必然とし、「だから幕府は打倒されてしまったんだ」というキャンペーンを文部省を通じて徹底してやりました。それが戦後の今でも正史、つまり日本の正しい歴史になっています。それはやはり間違っているのではないかと思うのです。
例えば、幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために1860年に派遣した万延元年遣米使節の話になりますが、この時の77名の遣米使節が成し遂げた外交上の成果というのは素晴らしいものなんですよ。
しかし、そういう歴史が明治政府によって全部封印され、教科書にも書かれず、書かれるときは不平等条約だったと矮小化されました。
ペリー来航の時に、ペリーは自分達がいかに日本側との外交交渉を巧くやったかという日本遠征記を残しているんですが、反対に日本側全権の林復斎(はやしふくさい)が残した記録(墨夷応接録)によると、全然違うんです。日本側がタフな交渉をやっているのが分かります。
しかし、明治政府がペリーの遠征記の翻訳を勧め、そちらの日本語訳がどんどん流布する一方で応接録は文語で読みにくく誰も読まない。
だから「幕府がだらしがなかった」という風になってしまうんですね。こういう歴史はやはり正義に反しますから、直さなければいけない。
明治維新については、15代将軍慶喜公の国譲りの決断によって成功したという見方もあるわけです。
慶喜公の警護、江戸の治安維持を目的として結成された彰義隊の上野戦争は戊辰戦争の天王山でしたが、教科書では「アームストロング砲によって半日で討伐された」の1行で済まされています。
万延元年遣米使節の批准した安政条約や小栗忠順の横浜造船所のように、明治政府によって否定された史実や、日本の近代化は幕府が始めていたことなど、埋もれた幕末史を発掘して世間に広めるのが夢の1つです。

第1の洗脳は現在の日本人に左程大きな影響はありません。正せば日本史が深みのある面白いものになる程度ですが、第2の洗脳はとてつもなく大きな影響を今も及ぼしています。これもひっくり返えさなければいけないのですが、この話は別の機会に。
150年間、第1の洗脳を学者・教育者は正せなかった。70年間、第2の洗脳を政治家は解除できなかった。プロに期待出来ないのなら草莽がやるしかない。どこまで出来るか分かりませんが、これを変えることを私の次の仕事にしたいです。

もう1つ、私は市川総研という組織をつくっています。1975年に就職してTECというエンジニアリング会社で事務系の仕事は殆どやりました。特に長くやったのが法務、知的財産権です。
その25年後にリコール事件を解決するため㈱エフテックという会社に2000年に転職したんです。
以来11年間、カナダとアメリカの現地で、税務、法務、総務、人事だとか事務系の実務をやり、その後本社に戻って法務をやってきました。
この40年の法務の経験を活かして、㈱エフテックを退職した後は、ジェトロ(日本貿易振興機構)に登録して、日本各地の中小、中堅企業が海外進出する時に法務の実務経験のノウハウを提供して支援してきました。特に英文契約です。3年間続けましたが、これからは高知市の1社に絞って国際法務体制構築に打ち込むことになりました。これが2番目の夢というより生き甲斐ですね。

なぜこれが生き甲斐かというと、一番分かりやすい例は、日本の大手自動車メーカーがアメリカで車のリコールを散々やられた時がありました。社長がアメリカの議会に呼ばれて謝罪したり、司法省から莫大なペナルティをとられたり。私はその時にアメリカにいましたから、ニュースなんかで散々叩かれているのを聞いています。
しかし、その翌々年くらいに客観的な実験をやった結果は白だったんです。日本の企業がアメリカなり、海外でお金儲けをするんですが、皆で知恵を絞って1ドルでも節約します。コスト削減することによって利益を最大化することを現場で必死にやっている。
ところが、そういう不当な言いがかりによって数千億円の弁護士費用やペナルティをアメリカに払わなくてはならなくなる。日本の国の富が奪われるわけです。そんなバカな話はない。
中国にも何回か出張しましたけど、税関が突然難癖をつけて、追徴金をもっと払いなさいとくるわけです。その理屈が誤りであっても、日本の会社は温厚な人が多いから、おかしいということを言わないでお金を払って円満に解決しちゃう。幸い私の場合、エフテックはそういう会社ではなかったので、通訳を横に置いて反論して、戦って退けました。
「戦わないで金を払ってはダメだ。変な妥協はしないで正当な利益は主張しましょう」ということを新しく海外に出て行く中小企業の社長さん達には言いたいわけです。
青山学院大学の講義でもこのことを学生に強調しました。海外での体験、経験、私が勉強した結果得たノウハウをみなさんに提供することによって、日本の会社が海外で損をしないようにお役に立てればそれが私の生き甲斐になります。

『咸臨丸の絆』


Q その夢を具現化するために、どのような目標計画を立てられ、どのような取り組みをされていらっしゃいますか?

大藏 1つ目の夢に関しては、3つの子孫の会を通じて情報を集めデータベース化し、彰義隊子孫の会についてはHPも立ち上げてますから、そこに新しい情報をどんどん集めて情報を集約して後世に伝えていきたいという風に思っています。
加えるとしたら、私自身がもっと勉強することですよね。幸い最近いい本が沢山出ていますし過去にもありますので片っ端から読み始めています。昨年12月に安田講堂でやった彰義隊シンポジウムはその手始めで、共感し、意気に感じてくれた多くの人たちの支援で成功しました。いまはその講演内容の出版を企画して準備を進めています。

ひとつお勧めの本が『咸臨丸の絆』
遣米使節77人がポーハタン号というアメリカの船で太平洋を渡りました。当時は幕府海軍の創成期で咸臨丸を護衛艦としてポーハタン号につけたんです。こっちは96人乗っていて、勝海舟が艦長、その上に木村摂津守喜毅という提督。木村の子孫が自分の家に伝わる資料をもとに、航海したところの話を書いていて非常に面白いです。
福澤諭吉は木村の従者として、もぐりこんだんですよ。陪臣(大名の家臣)が正式な幕府の使節団に入ることは大変なことだったんですが、福澤はそのへんが上手だったんでしょうね。木村に頼み込んで従者として入れてもらったんです。その木村と福澤が、上司と部下の濃密な人間関係を築いて、それが明治にも続くことが非常に面白く書いてあります。

もう1つの方ですが、市川総合研究所をベースに、今後も法務コンサルティングのノウハウを蓄積し、顧問の仕事を続けたいですね。体力にはまだまだ自信がありますし通勤のないテレワークで十分勤務が可能な時代です。

『二君にまみえず』


Q そのような取り組みをされるようになったきっかけは何ですか?

大藏 子孫の会のきっかけは、高校時代に子母澤寛の小説を読み始めたことですね。例えば、『父子(おやこ)鷹』とか『戊辰物語』とか。
子母澤寛自身が、彰義隊の孫なんです。御家人のおじいさんが上野戦争で敗れて、榎本武揚の幕府海軍に加わって函館まで行って、函館戦争でも負けて、その後北海道に土着しちゃうんですね。漁業を選んで、そこで孫の寛を育てているんです。子母澤の書いた作品は、おじいさんからの直話ですから滅法面白い。子母澤寛全集がいまも私の部屋にあります。
『父子鷹』は勝海舟が主人公の長編小説ですが、『咸臨丸の絆』を読むと全く違う勝海舟なんです。勝海舟のファンで尊敬していたんですが、今は木村喜毅ですね。

「二君にまみえず」
は徳川政府に仕えていた侍は、明治政府には仕えないという倫理観です。福澤諭吉もそうなんですよ。福澤は元々素晴らしい海外経験をしている人だから、榎本武揚のように新政府に入って新しい日本をつくるために行政の世界に入るべきだったんです。
しかし、彼は帰国後いったん幕臣になったので、木村と同じように、明治政府には仕えずにジャーナリズム、教育の世界で活躍しました。

私の曽祖父の上司(田中勤番組頭)だった高橋泥舟も、山岡鉄舟、勝海舟とともに維新の三舟と言われていますが、この人も木村や福澤と同じように、明治政府に何度も誘われたけれども、断って清貧の暮らしをして世を終わった人です。
警視総監の誘いを固辞して彰義隊の墓守で一生を過ごした小川興郷など、そういう幕臣も沢山いるわけですよ。そういう人達を私は尊敬しますね。

もう1つの方のきっかけは、大学が法学部だったからでしょう。法律知識やリーガルマインドが仕事の武器として意外に実戦で役立つことを実社会で知りました。法律というものをできるだけ使って仕事をしたいと思い、その延長線上に今もあるということですね。
皆さん、70歳まで働きたいと仰いますが、私の場合は70歳からですね。人生が面白くなってきたのは、歴史も法務も知識がドンドン増え、多数の人と交流する場も多くなり、脈絡がつながってきたからでしょう。本当の仕事ができるのはこれからのような気がします。


記者 最後に読者の方や若者に向けてメッセージをお願いします。

大藏 洗脳とかフェイクニュース、情報操作などに騙されないで、自分の頭で考え、事実、真実を掴むようにしてほしいですね。今のマスメディアはものすごく歪曲された報道になっていますから。目を皿のようにして、正しい情報とそうではない情報を識別してほしいと思いますね。
それから、若い方は社会人になって、特に海外との取引に関わるようになったら、安易に妥協するような仕事ではなくて、戦うことを恐れずに日本人としての誇りを持って自分が正しいと思うことを貫くような仕事をしてほしいですね。

記者 とても貴重なお話を伺えました。ありがとうございました。

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【編集後記】
インタビューを担当した藪内と大藤です。歴史研究、法務コンサルと活動領域が幅広く大藏さんのバイタリティーをとても感じました。そして、お話から日本人としての矜持がとても感じられ、時代を超えて受け継がれていく矜持があるのだと思いました。


この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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