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”無人化”という表現がピント外れな理由

アマゾンゴーがオープンして以来、「無人店舗」という言葉が日本のメディアに氾濫している。
たぶん彼らは店舗に携わったことがないのだろう。補充したり、掃除したり、クレームに対応したりと、店舗には必ず人は必要である。商品補充するロボットでもいない限り、店舗を無人で運営することは今の時点では不可能である。

ウォルマートが無人化を志向している、という趣旨の記事を最近読んだ。そもそもウォルマートは無人化なんて一言も言っていないのだが、この記事の骨子は”レジの無人化”を言いたいのであった。
しかし、チェッカーのいない無人レジとはつまりセルフレジのことであって、いまさら無人化を強調して”無人レジ”と表現する意味はまったくない。

今の時代、小型端末で決済できてしまうので、レジは必要不可欠な存在ではもはやない。ウォルマートですら店員に端末を持たせて売場での清算を可能としている。
つまり無人レジだろうと、レジレスであろうと、実はもう目新しいものではないのである。

ここで重要なポイントを2つ指摘しておく。

1つめ。
アマゾンゴー型技術の革新性は、スキャンレス/レジレス、の2つを同時に実現したことにある。レジがないだけではなく、スキャンもする必要がないのである。
例えばRFIDはスキャンレスを実現するが、ショッパーを認識する必要があるので、商品の入ったカゴをレジにおいて決済する、というワンステップが必ず必要になる。
ここで顔認証を使うことも可能だが、いずれにしても買うつもりの商品をまとめてこのバスケットを買うのは自分だということを認証してもらわなければならない。
商品を手に取ってそのまま出るということはできないのだ。

2つめ。
アマゾンゴー型技術の本質的な革新性は、決済レスによる買い物体験の劇的変化、にある。
商品を手に取ってそのまま店を出るという”合法な万引き”体験は、経験しないと決して感じることのできない開放感で、私はこれをはじめて実感したときに鳥肌が立つような感動を覚えて、これはリテールを変えるだろうと確信した。
その革新性はショッパーという”買い手側”にあって、無人化という”売り手側”ではないのである。日本のメディアで無人という言葉を使っている人たちは、おそらくこの”合法な万引き体験”によるかつてない開放感を感じたことがないのだろう。

彼らは買い手のロジックというものに思いがいたらず、だから売り手のロジックで説明する以外に想像力がはたらかない、だからどうしても”無人”という言葉を使ってしまうのだろうと思っている。

これから”無人”という言葉を見たら、ああこの人はまだ本質的な革新性が分かっていないのだな、と理解して生ぬるい目で見てあげると良いだろう。


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