遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 19

 バルガス・エスコバルは北兼南部基地司令室から出て大きくため息をついた。直後に一発の銃声が響き、ドアの前に立っていた警備兵が部屋に駆け込んでいくのを落ち着いた様子で見守っていた。

「ずいぶんとわかりやすい責任のとらせかたですねえ」 

 エスコバルの顔が声を発した共和軍の制服を来た青年士官の方に向く。

「怖い顔することは無いんじゃないですか?新しいクライアントさんですから。それなりの働きを見せないとああなることくらいはわかっていますよ」 

 彼、吉田俊平少佐の視線の先に、口に拳銃の銃口をつきたてた状態で即死している基地司令が運び出されるのが見える。

「なるほど、では給料分の仕事は出来ると期待していいんだな?」 

 エスコバルは恐る恐る口を開いた。東和の治安機関特殊部隊とほぼ同じ規格のサイボーグを前にして彼は緊張していた。実際、吉田についての悪い噂は散々部下達から聞かされていた。血を見ることを恐れないということに自信を持っているエスコバルも、遼州星系だけでなく地球にまで呼ばれて行って敵をおもちゃのように壊して回る吉田の噂は信じたいものでは無かった。もし味方でなければつばを吐きつけているほどに、その冷酷な目つきは同じ特殊部隊指揮官出身のエスコバルにも不気味に見えた。

「それにしてもエスコバル大佐。ずいぶんとアメリカさんに嫌われているじゃないですか。今回の件だってあのかわいそうな基地司令とアメリカの技術顧問団にホットラインが一本あれば避けられた話だ」 

「そんなことは言われなくてもわかっている!」 

 エスコバルの怒鳴り声に、恐れるどころかさらに舐めてかかるように吉田は話を続けた。

「北兼軍としてはこの北兼台地の制圧は、北天の人民軍総司令部から出された手形みたいなもんですな。もしそれが来月の乾季までに完了しなければ両軍の関係は非常に険悪なものになる。つまりこの一月で俺とアンタの首をそろえて北天のコミュニストどもに納品しないといけないわけだ」 

 吉田はそう言うと噛んでいた風船ガムを膨らます。そんな彼を無視するようにしてエスコバルはそのままオペレータが並ぶ指揮管理室に入った。

「そんなに邪険にすること無いじゃないですか。一応前金の分だけの仕事はしようと思っているんですから」 

 そう言うと吉田は拳銃を抜いた。恐怖にゆがむエスコバルの視線には、微笑みを浮かべた吉田の顔を映っていた。彼はそのまま一人の情報将校の方へ近づいていった。情報将校は吉田の方を向き直ったが、次の瞬間にはそのあごから上が無くなっていた。手には吉田の愛銃のグロックが握られている。撃たれた男の脊髄から伸びるコード。情報将校がサイボーグであることはそれほど珍しくは無い。端末に集中していた女性士官が銃声を聞き振り返り、そして倒れこむ死体の血を浴びて悲鳴を上げた。

「何のつもりだ!」 

 エスコバルはやっとのことで声を出すことが出来た。

「成田中尉。と言うことになってますね、この男は。本当のコイツの名前、知りたくないですか?」 

 振り返った吉田の満面の笑みを見て、エスコバルは背筋が凍るのを感じた。

 吉田はポケットからコードを取り出すと耳の後ろのスロットにそれを差し込み、反対側を倒れた情報将校のコードを引き抜いて端末に接続した。

「なるほどねえ」 

 エスコバルは一人感心している吉田をいらだたしげに見つめていた。彼の直属の護衛の兵士達はそんな吉田を腰の拳銃に手を当てながら取り巻いている。

「さすが胡州の侍だ。自分がやられることを計算に入れて情報の大半は消去済みか。こりゃあデータのサルベージには早くて二時間はかかるな」 

 端末のモニターがとてもエスコバルに追えない速度でスクロールしている。

「何が言いたいんだ!第一、胡州浪人なら我が軍にもたくさん所属しているぞ!」 

「ああ、この成田と言う男の正体を知らないからそんなことを言うんですね」 

 吉田が下卑た笑いを浮かべながらエスコバルを見つめた。

「本名は大須賀忠胤。前の戦争じゃあ胡州帝国下河内連隊の情報担当少尉だった男ですよ」 

「下河内連隊?」 

 その言葉にエスコバルは息を呑んだ。かつて、この北兼を通って敗走した胡州陸軍の中に、異彩を放つ部隊があった。彼等は常に追いすがる遼北軍を撃破しながら、戦友たちを南部のアメリカ軍と亡命政府軍の連合軍が占領する地域へと敗走を続けた。

 遼北軍は彼らを『黒死病』と呼んで恐れた。 

 黒い四式を駆って戦場を駆ける嵯峨惟基率いる下河内連隊。地獄の遼南の熱波を生き延びた不死身の軍団。熾烈な戦いで培った信頼が、部下達を鬼神と呼ばれる軍団に育てることはエスコバルも手持ちのバレンシア組織の指揮官として知り尽くしていることだった。

「つまりこちらの手はすべて嵯峨には筒抜けだったというのか?」 

 エスコバルの言葉に頷くこともせず、吉田はガムをかみながら作業を続けていた。

「しかもこの将校さん相当なやり手ですなあ。枝をつけて情報ルートをたどろうとしたけど、心停止と同時にすべてのネットワーク接続記録がパージされるように仕組んであるねえ。情報をサルベージしてもたいしたことはつかめそうにはないですわ」 

 相変わらず隣に死体が転がっているというのに平然とモニターを眺めている吉田にエスコバルは恐怖を感じていた。ようやく兵士達が担架を運んできた。その上に乗せられた死体を吉田が一瞥した。

「丁重に葬ってあげてくださいよ。彼の仕事は敵ながら尊敬に値しますよ」 

「それが裏切り者でもか?」 

 エスコバルのその言葉に振り向いた吉田は冷たい視線をエスコバルに投げた。

「腐った味方よりは敵の方がよっぽど信頼できると言うのが私の信念でしてね。俺の傭兵としての経験ですよ。こう言う人物は貴重だ。少なくともアンタにはこう言う部下はいないでしょうがね」 

 そう言うと吉田は再びモニターに目を向けた。エスコバルは彼に殴りかかりたい衝動を抑えながら護衛の兵達に移動の合図を出した。

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