遼州戦記 播州愚連隊 動乱群像録 7

 西園寺家の会合から二ヶ月。少佐に昇進し中隊長に任命された明石には忙しい日々が待っていた。
 第三艦隊のエース。人型兵器『アサルト・モジュール』胡州名称『特機』の新任部隊長。彼の部下達はみな若く、海軍兵学校の中途課程の学生ばかりなのが気になったが、逆にそれが裏の世界で生きてきた明石には新鮮で楽しい日々に感じられた。だが彼等を見るうちに次第に不安が芽生えてくるのもまた事実だった。
 胡州の格差社会は極めて残酷なものだ。生まれたとたんにその赤ん坊の将来を決め付けることが出来るそんな世の中に明石は違和感を感じていた。人口の70パーセントが貧困寸前の状態のこの国で小学校、中学校、高校と進めるのはほんの一握りの人間に過ぎない。多少勉強が出来る生徒にはそのしがらみから抜けるには二つの道しかなかった。
 一つは彼の部下達のように軍に入ること。15歳で兵学校に入り、成績優秀ならばそのまま推薦で下士官待遇での部隊配属。そしてそこでも上官の信頼を得ることが出来れば士官学校への道も開ける。
 そしてもう一つの道が寺に入ること。明石も子供のころからそう言う野心家の小坊主達に囲まれながら日々を過ごしていた。彼等も寺の経営する私立中学、高校を経て推薦で大学に進む道があり、多くは寺とは関係ない学科に進学して卒業後は大企業に勤めると言う道もあった。そんな小坊主達とともに育った明石にとって部下の平民や貧民上がりの下士官達のやる気と根性は賞賛するに値することだった。
 その日も部下の出した戦術関連のレポートを見ながら隊の隊長室でのんびりとそれに点数をつけていた明石の部屋をノックするものがいた。
「ああ、開いてるで」 
 答えた明石。そこに静かに入ってきたのは兵学校の一回生と思しき少女だった。
『なんや?貴族上がりのお嬢さんか何かか?』 
 そう思っている明石に少女は敬礼をした。
「今度この中隊に配属になりました正親町三条楓(おおぎまちさんじょうかえで)と申します!」 
「おおぎまち……?」 
「正親町三条です!」 
 しばらく明石はその無駄に長い名前を頭の中で繰り返していた。
「長いな……」 
「はい!僕もそう思います」 
 少女は自分を僕と呼んだ。その言葉にしばらく明石の思考は止まる。
「正親町侯爵とは親戚か何かか?」 
「いえ、父は嵯峨惟基陸軍大佐であります!」 
 その言葉で明石はようやくこれまでの思考が無意味になるほど状況が理解できて来た。
 正親町三条家は醍醐家や佐賀家や池家と並ぶ嵯峨家の一門である。嵯峨惟基には双子の娘がおり、一人は現在東和に在住しているが、本来なら家督は彼女が継ぐのが当然とされていた。部屋住みである妹の楓が分家したところで不思議な話ではない。そして自分も部屋住みで停止されてはいるものの貴族年金を受けるときは子爵待遇の身分を証明する必要があった。なんとなく似た境遇に自然と明石の頬は緩んだ。
「長い名前やなあ……何とかならへんのか?」 
 明石の言葉に理解できないと言う顔をする楓。
「まあ、ええわ。楓曹長でええか?」 
「ハイ!」 
 明石の言葉に楓は初々しい敬礼をして見せた。そしてそのまま同じ場所に突っ立っている楓。じっと立っている彼女に明石は仕事を始めるかどうかで悩んでいた。
「そう言えば時々ワレの親父さんが来とるようやけど……」 
「そうなんでありますか?」 
 きびきびと話す楓に明石はしばらく彼女と付き合うことを選んで端末のモニターを休止させた。
「ああ、知らんのやったらええわ。それよりなんで海軍に?」 
「はい!お姉さま……いえ、西園寺要准尉の勧めで……僕なら陸軍では無く海軍がいいと言うことでしたので」 
 その言葉に明石は皮肉の笑みを浮かべざるを得なかった。烏丸派の牙城の陸軍で苦労する対立勢力の一人娘。その苦労は容易に想像できた。楓の口ぶりから要とは相当仲が良いのだろう。苦労をさせまいと目の前の少女に海軍行きを進めるサイボーグの女性の姿がまぶたの裏に浮かぶ。
「ああ、親戚同士仲のええことはええことや。じゃあ何で特機部隊を選んだ」 
 その言葉にしばらく考えた後、楓は口を開く。
「父上の影響を受けました!」 
 よどみも迷いも無かった。先の大戦での遼南戦線。そして遼南内戦。そして現在続いている同盟による軍事活動。どの場所にも黒いアサルト・モジュールを駆る嵯峨の姿があった。エース・オブ・エース。そのような言葉をかけたのなら自虐的な笑顔を浮かべてタバコの煙を吹きかけてくるだろう人物の顔が脳裏をよぎる。
「ちょい待ってくれや」 
 そう言うと明石は再び端末の画像を見ると楓の士官学校での成績を見てみた。
「ほう、技術系の成績が良いな。それと戦闘系。特に射撃と格闘戦が得意……うちの先輩達にも見せたい成績だな」 
「恐縮であります!」 
 成績を見た後に楓の笑顔を見てみるとその長い前髪と結わえられた髪は戦国時代のじゃじゃ馬姫のようにも見えた。むさくるしい隊長室の中では一段と映える。そんな気持ちに明石の頬は緩んだ。
「それじゃあ、うちの悪たれ共と顔合わせせなあかんなあ……そうや。うちの隊の本文とする言葉、知っとるか?」 
 そんな明石の言葉にしばらく考える楓。
「それはなんでありますか?」 
 素直に答える少女の姿につい笑みが浮かぶ明石。
「『至誠』って言葉や。誠を尽くすのが武人の本懐。後に指揮官となるんやったらちゃんと覚えとき」 
「はい分かりました!」 
 その言葉に合わせて明石も立ち上がる。
『ワシも年を食った……って20代が言う台詞やないなあ』 
 明石はそう言うと直立不動の楓をつれて隊長室を出た。
 廊下は静まり返っていた。帝都警備を任務とする海軍部隊の基地では最大規模の三条基地だが、その中にも西園寺派と烏丸派の対立があった。
 基地司令の名前を貸している赤松の影響もあり、どうやっても西園寺派の優勢である部隊だが、烏丸派やその被官である隊員も少なくはない。誰もが無用な接触を避けて部屋に閉じこもっているばかりで一人の隊員ともすれ違わずに明石の中隊の詰め所にたどり着いた。
「お!隊長」 
 第一小隊指揮官の少尉が明石を見つけて敬礼する。そしてその後ろに美少年のような楓を見てなにやらニコニコと笑いを浮かべる隊員達。
「隊長、その坊やは」 
「失敬な!僕は坊やじゃない!」 
 その言葉が女性の声なのに驚く隊員達。
「おう、ワレ等の後輩になる奴じゃ。挨拶せい」 
「正親町三条楓曹長であります!」 
 その言葉に部屋の奥で腕立て伏せをしていた予科練上がりの下士官達が飛び上がって敬礼する。
「しかし、なんですな。どこかの姫君みたいな名前じゃないですか」 
 教導隊らしい雰囲気の第二小隊の古参の小隊長の中尉が楓に目をやる。
「ああ、嵯峨大公の娘さんじゃ」 
 そんな明石の言葉にそれまで緩んでいた部屋の空気が張りつめる。 
「赤松のおやっさんも思い切ったことをするねえ」 
 古参の中尉の言葉に意味が分からないと言うように明石を見上げる楓。
「人質か?そないな姑息なことをする赤松さんじゃないやろ。おい楓曹長。部隊配属の希望はどこで出した」 
「は!教導部隊であります!」 
 その言葉に奥で直立不動の大勢を取る若手が拍手を送っていた。
「まあ俺等は軍人だ。親父が宰相だろうが皇帝だろうが特別扱いはしないからな。それじゃあ荷物の片付けに行って来い!」 
「了解しました!」 
 古参の中尉の一言で廊下を早足で歩いていく楓。
「使えるんですか?あの娘」 
 そう言う第二小隊隊長の肩をさっきから端末を叩いていた第三小隊の部隊長の眼鏡の少尉が叩く。そしてその画面に映っている楓の成績を見て口笛を吹いた。
「お前等!すぐに追いつかれるぞ!とりあえず鍛えろ」 
 その言葉に奥で直立していた若手のパイロット達は再び腕立て伏せを始める。
「確かにこの成績なら人質じゃなくてスカウトですね」 
 第一小隊の少尉の言葉に隊の下士官達も頷く。
「ええ人材や。ちゃんと育てろ」 
 そう言うと明石は晴れやかな気持ちで彼等を置いて部屋を出て行った。

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