遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 22

 ゲリラが去り、難民が去った本部前のテントは手の空いた歩兵部隊と工兵部隊の手でたたまれている最中だった。

「元気だねえ!」 

「今度、あんぱんあげるからな!」 

 シャムを見つけた兵士達が声をかけるのに笑顔で手を振って答えるシャム。

「人気者だね」 

「まあ、これが人望と言うものだよ……うん」 

 シャムは腕組みをして頷いている。おそらく誰かに吹き込まれたのだろう。笑顔のシャムを熊太郎が後ろから突いた。

「こら!」 

 シャムは熊太郎に声を上げるが、熊太郎は身を翻すと、そのまま急な坂を上り村の中心へと駆け上がっていく。シャムはそれを追って走り始める。戦闘服や作業着の兵士達の中で、黒に色とりどりの色で刺繍を施した民族衣装を着ているシャムの姿がいつの間にか自然に思えていることに気付いてクリスは笑っていた。人間は慣れて行くものだ。キーラ達人造人間もいつの間にかこんな生活に慣れてきている。

 そう考えて歩いているクリスの前の砂利道の傾斜が緩やかになり、そして平らになる。いつものように目の前には墓の群れが広がる。その前で笑いながら追いかけっこを続けるシャムと熊太郎。

「少なくともこれはあんまり見たい光景じゃないな」 

 粗末な墓を見ながらクリスは独り言を言った。中心の墓。それはシャムの義理の父親、ナンバルゲニア・アサドの墓である。遼南帝国最後の輝きを放った名君ムジャンタ・ラスバ大后の治世、北方遊牧民に生まれたアサドは軍に志願。遼州で発見された古代遺跡の中に見つかった人型兵器のレストアされた『人機』、後のアサルト・モジュールの精鋭部隊『青銅騎士団』の団長となった。

 だが、それは短い栄光にしか過ぎなかった。

 今から二十九年前、ラスバは一人の遼州人の自爆テロにより急逝した。一説にはそれは彼女の長男である第三十四代皇帝ムジャンタ・ムスガの差し金とも言われた。ムスガは母から見放され、廃嫡されて東宮の位を息子のラスコーに奪われていた。そんな彼にラスバの急激な改革に既得権益を脅かされていた保守勢力が近づいたのは自然の流れだった。

 央都に帝位を継いだラスコーの政権が立つと、遼南の東部の山岳地帯を地盤とする花山院家や南にアメリカ軍基地を抱えて独自の地球との関係を持つブルゴーニュ侯はラスバが重用した人材の排除に奔走した。その中にアサドの名もあった。資料では青銅騎士団の団長を罷免されてからのアサドの消息はまるで無かった。

 クリスの目の前にはその運命に翻弄された騎士が眠っていた。その娘、シャムは元気に遊んでいた。夕方と呼ぶにはまだ早い太陽が照りつける。クリスに気付いたシャムは熊太郎と一緒にクリスの隣に立った。

「お参りするの?」 

 静かに訪ねてくるシャムの帽子がずれているのに気付いて、クリスはそれを直してやった。

「おとうが見てるからね。それにグンダリも」 

「グンダリ?それは君の刀の名前じゃないのか?」 

 クリスのその言葉に静かに視線を落としてしまうシャム。彼女は隣の墓を指差した。

「これがグンダリの墓。アタシの初めての友達」 

 シャムの瞳が潤んでいるのがわかった。

 シャムは腰の帯から刀を抜いた。彼女の140cmに満たない身長にちょうど良く見える小ぶりな剣である。

「クリス達が来た森あるでしょ?」 

 シャムは北に見える森を眺めた。クリスも釣られてその深い緑色の山を見上げた。

「アタシはねずっとあの森で一人で居たんだ」 

「どれくらい……」 

 そう言いかけたクリスを制するようにシャムは言葉を続けた。

「数えたこと無いからわからないくらい長い間ずっと一人だったの。昔ね、女王様からこの森を守るように言われて、ずっと一人でいたんだ。それが当たり前だと思っていたし、困らなかったからね」 

 シャムはそう言いながら剣を撫でた。

「でもある日、おとうに会ったんだ。おとうは怪我をしていたんだよ、足を挫いたって言ってた。アタシは看病してあげたんだ。そしたらうちに来ないかって言われて。でも約束があるからって言ったんだけど、寂しいだろって言われて……」 

「寂しかったのかい?」 

 そんなクリスの言葉に、静かにシャムは頷いた。

「それでこの村に来たの」 

 クリスはシャムの言葉に当時のこの村の姿に思いをはせた。見慣れた山岳民族の部落である。遼州羊やジャコウウシが群れを成して歩き回り、子供が笑い、女達が機を織るありきたりな村。そんな村の暮らしがあったのだろうということは、壁が崩れ、柱が倒れ、屋根が抜けた民家の残骸を見れば簡単に想像がついた。

「村でね。はじめは誰もあたしと喋ってくれなかったの。鬼だとか魔物だとか。会うときは笑っているんだけど、おとうのいない所ではみんなおとうの気まぐれだって笑ってたんだ。みんなアタシが一人でいると逃げ出しちゃうし……」 

「でも友達が出来たんだろ?」 

 クリスが水を向けてやると、シャムの顔に笑顔が戻った。

「グンダリは違ったから、他の子供とは。アタシが笛を落として泣いていたんだよ。そしたら『これ、アンタのだろ?』って。それで一緒に話すようになったんだ」 

 腰の横笛を撫でてシャムは笑う。

「グンダリは村長の娘だったんだ。いろんなことを教えてくれたよ。テレビを見せてくれたのもグンダリだったんだ。村にはテレビは村長の家と学校にしかなくて。学校のテレビは触っちゃいけないって言われてたけど、グンダリのテレビはアタシも見てもいいって言ってくれたんだ」 

 嬉しそうに話すシャムの姿にクリスは釣られるようにして微笑んだ。

「でもね。三度目の春を迎えた時、兼都に落ち延びられたラスコー陛下が挙兵なさると言うことで大人はみんな銃を持つようになったんだ。おとうもクロームナイトを持ってきて北兼王に従うって言ってたんだけど……」 

 そこまで話したところでシャムは下を向いてしまった。

 央都を遼北軍に急襲され進退窮まったムジャンタ・ラスコーは父ムスガの治世に不満を持つ軍人・官僚に担がれて北兼の独立を宣言し、事実上の謀反を起こした。遼南皇帝ムジャンタ・ムスガは軍備の増強に努める遼北の侵攻を恐れるあまり、制圧を優先して非道とも言える作戦を取った。

 何百と言う村が無差別に焼かれた。北兼に組したものは乳飲み子に至るまですべてを殺しつくしたその作戦はアメリカをはじめとする地球諸国との断交と言う抗議を受けるほどに問題を複雑化させることになった。その後、遼南は反地球の立場を取るゲルパルト・胡州の連合に支援を仰ぎ、地球との全面戦争にひた走っていく元凶ともなったこの戦い。

 しかし、ここでクリスは気付いた。

 兼州崩れと呼ばれたこれらの騒乱は、北兼王であるムジャンタ・ラスコー、今の嵯峨惟基が十歳の時の戦いである。今、その張本人は三十二歳、二人の娘まで抱えている。しかし、目の前にいるシャムはどう控えめに見ても十歳に見えるかどうかと言うところだった。

「シャム。君は……」 

 不老不死。三百年ほど前、地球人がこの星に植民を始めた頃にこの星に住む地球人が始めて出会った知的人類『リャオ』と名乗る人々にはそんな言い伝えがあったことをふと思い出した。東アジア動乱で故国を追われたアジアの難民。彼等がこの地に捨てられるようにたどり着いた頃、あたかも事実のように流行した都市伝説。『リャオ』、現在では遼州人と呼ばれる人々は不老不死であると。

 だが、それはただのデマだったことは三百年と言う時間がそれを証明していた。それでも伝説としていくつかの不死伝説が無いでは無かった。棄民政策で冷遇された地球系移民と迫害された『リャオ』の人々は胡州のテラフォーミング機関防衛の軍である胡州派遣地球軍の司令大河内某と連携し地球からの独立を掲げて決起した。その中心に一人の巫女がいた。

 彼女は七人の騎士と呼ばれた家臣と胡州駐留軍提督大河内中将の支援を得てアメリカ・中国・ロシアの同盟軍を撃破、遼州星系は地球の植民惑星としては初めての独立国となった。その独立協定締結の三年後、巫女である初代遼南皇帝、ムジャンタ・カオラは娘のレミを残して行方をくらませた。七人の家臣も時を同じくして姿を消したと言う。

 遼州人なら誰でも知っているその伝説。そして今でもカオラはこの地を経巡り、彼等を見守っていると言う伝承。

「そう言えば君は……」 

 そうクリスが切り出そうとしたところで背中に気配を感じて振り返った。

「ああ、どうも」 

 そう言って立っていたのは別所だった。

「取材の邪魔をしちゃったみたいですね……」 

 そう言うと別所は頭を掻いた。その後ろにはシャッターを切っているハワードがいる。仕方なくクリスは立ち上がると別所と向かい合って立った。

「あの人は何をするつもりなんですかねえ」 

 別所はそう言うと伸びをした。シャムを見つけたハワードは今度は墓を眺めているシャムの姿を撮りはじめた。

「私は復讐だと思ってここに来ましたが、どうやらそうではないことだけはわかりましたね」

 クリスはゆっくりと立ち上がった。別所はただ墓を見つめている。この場所に立った人は必ずこの墓の群れを見つめてしまうものだ。そう思いながらクリスは目の前の現役の胡州軍人の姿を見た。現在、胡州の情勢は不安定であることが知られていた。

 民主化と国際協調路線を掲げて支持を広げる西園寺基義派とそれに抵抗する枢密院と陸軍の対立はいつ暴発してもおかしくない状況にあった。別所の上官で彼をこの地に差し向けた赤松忠満海軍大佐は西園寺家の大番頭と呼ばれる人物であり、海軍の中でも切れ者として知られる男だった。だが逆にその名声が反対勢力の態度を硬化させているのも事実だった。

「嵯峨さんは復讐なんて言うちんけな目的で危険に飛び込むほど酔狂な人じゃありませんよ」

 別所はクリスにそう答えた。確かに今のクリスにもそう思えた。だが、その先が見えなかった。

「それじゃあ、私は帰りますね。まあ結局無駄足だったということですか」 

 そう言い残して別所は坂を下ろうとした。ふと腕時計を見たクリスの目の先に四時を指す針が見える。クリスはそのまま別所について坂を下りた。本部の前には一人、嵯峨がタバコを吸いながら突っ立っていた。

「おう、別所。帰るのか?」 

 嵯峨はそう言いながらタバコの灰を携帯灰皿に落とす。

「そうそう胡州を離れられる身分ではありませんから」 

「皮肉のつもりかよ」 

 そう言うと嵯峨は不敵に笑った。彼の兄、西園寺基義が嵯峨の帰国を待っているのは間違いなかった。だが彼はこの地を離れないという確信がクリスにもあった。

「そうだ、嵯峨中佐。楓さんに何か伝えることとかありませんか?」 

 別所のその言葉に、嵯峨は思い切りむせた。

「……あれか?そうだな。迷惑はかけなければやりたいようにやれよって伝えてくれよ。こんな親父を持っちまった以上いろいろあるかも知れねえが、俺が出来ることは何も無いしな」 

 突然の娘への伝言に戸惑う嵯峨を見ながら別所は軽く敬礼した。

「別所さん。本当にコイツで良いんですか?」 

 そう言って伊藤が運んできたのはバイクだった。

「これから作戦が開始されるのに伊藤さんに手間を取らせるのもなんですから」 

 そう言うと別所は渡されたヘルメットを被ってエンジンをかける。

「すまねえな」 

 嵯峨はそう言うと吸いきったタバコを灰皿に押し込む。

「御武運を!」 

 そう言うと別所はそのまま坂道を登って姿を消した。しばらく嵯峨はバイクの後姿を見送りながらタバコの煙を吐き出していた。

「そう言えば伊藤中尉」 

 クリスは消えていく別所を見つめながら仕事に向かおうとする伊藤に声をかけた。伊藤は不思議そうにクリスの顔を見る。

「作戦会議に出た人達が見慣れない集団を見たと言うことなんですが……」 

 そのクリスの言葉に政治将校伊藤隼中尉の顔が険しくなる。

「それはノーコメントで」 

 ある程度予想できた話だと思いながら本部に降りていく伊藤に続いた。シャムもまたクリスの後に続く。彼女に付き従う熊太郎をハワードがしきりに撮影していた。

「胡州公安憲兵隊ってご存知ですよねえ」 

 坂を下りきったところでとぼけたように伊藤が言った。クリスは軽く首を横に振った。伊藤はそれが嘘だと分かっていると言うように笑顔でクリスを見つめた。知らないわけが無かった。遼南は先の大戦が始まる以前も東モスレムの分離独立運動。遼北の反政府ゲリラ活動。そして南部のシンジケートによる裏社会などの不安定要因を抱えていた。

 その活動はゲルパルト・胡州・遼南の三国枢軸の戦況の分析が悲観的なものとなり始めたとき、一気に噴出することとなった。遼南の武装警察のふがいなさに遼南は胡州に対テロ特殊部隊の派遣を要請した。それが当時の遼南方面軍司令部付き憲兵嵯峨惟基憲兵少佐であり彼に与えられた特殊部隊、胡州公安憲兵隊だった。

 突入作戦を得意とする彼らの非道な作戦行動は一定の成果を上げた。北天を牙城とする人民軍の要請を受けつつも遼北が参戦を渋ったのは彼らにより直接指導可能なゲリラ組織が数多く殲滅されたことがきっかけとさえ言われる部隊。

 伊藤が彼らの名を口にした事はクリスにとって重要なことだった。

 ゲリラ殺しの名を受けた彼らが今再び嵯峨を迎えて動き出していることを知りながら政治将校である伊藤がそれを暗示させる発言をしていると言う事実を北天の上層部が知れば重大な裏切り行為とでも言える話だった。

「知らないことがいいこともあるということですよ」 

 クリスの方を見ながら伊藤は笑った。そんな言葉を聞いたあと先ほどまで立っていた嵯峨を探してみた。

「そう言えば嵯峨中佐はどこいったんですか?」

 不意に消えたくたびれた中年男の存在感の喪失。だが伊藤は表情を一つとして変えない。 

「さあ……」 

 伊藤はそれだけ言うとクリス達を置き去りにして本部のビルへと消えていった。

 クリスはそのままシャムと一緒にハンガーに向かった。主がどこかへ行ったと言うのにカネミツの組上げが急ピッチで進んでいる。2式の周りでは出動を前にした緊張感を帯びた整備兵が走り回っている。

「忙しいねえ」 

 シャムは熊太郎の喉を撫でながらその様子を見つめている。ハワードは整備員の邪魔にならないように注意しながら写真を撮り続けていた。

「あ、ホプキンスさん!」 

 ただ立っているだけのクリスに話しかけてきたのはキーラだった。

「大丈夫ですか?かなり忙しいみたいですけど」 

 クリスの言葉にキーラは疲れたような面差しに笑みを浮かべた。

「まあ戦場に向かえる状態に機体を整備するまでがうちの仕事ですから」 

 そう言うとクリスの隣に立ってハンガーを眺めていた。パイロット達の姿は無い。詰め所にいるのか仮眠を取っているのかはわからなかった。

「決戦ですかね」 

 クリスの言葉にキーラは頷いた。

「吉田少佐が指揮権を引き継いだと言ってもすぐに納得できる兵士ばかりじゃないでしょう。それにこの一週間の間、難民の流入による交通の混乱で資材の輸送が混乱していると言う情報もありますから」 

 キーラの言葉でクリスは何故嵯峨がこの基地を留守にするのかがわかった。情報戦での優位を確信している吉田はすでに嵯峨が不穏な動きをしている情報は得ていることだろう。だからと言って打って出るには資材の確保が難しい状態である。必然的に北兼軍の動きを資材の到着を待ちながら観察するだけの状態。今のようなにらみ合いの状態が続き北兼台地の確保の意味が次第に重要になっていく状況でもっとも早く戦況を転換させる方法。そして嵯峨がもっとも得意とする戦い方。

 それはバルガス・エスコバル大佐の殺害あるいは身柄の確保である。

 難民に潜ませた共和軍のスパイがこの基地の情報を吉田に報告しているだろうと言うことはこの基地の誰もが知っていたことだ。そして壊滅させられた右翼傭兵部隊の壊走にまぎれて北兼が工作員を紛れ込ませていることも嵯峨も吉田も当然知っているだろう。

 敵支配地域に尖兵を送り、協力者を通じて潜入、作戦行動を開始する。クリスはこの一連の行動が嵯峨のもっとも得意とする作戦であることに気付いていた。

「要人暗殺、略取作戦……」 

 そうつぶやいたクリスを不思議そうに見るキーラ。

「出撃は明朝ですよ。休んでおいたほうがいいんじゃないですか?」 

 キーラの言葉を聞くとクリスはとりあえず本部に向かう。シャムは黙ってクリスを見送った。

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