遼州戦記 墓守の少女 従軍記者の日記 16

 格納庫の隣の休憩室のようなところにクリスは通された。物々しい警備兵達の鋭い視線が突き刺さる。

「会談終了までここで待っていただきます。そこ!お茶でも入れたらどうだ!」 

 伍長はぼんやりとクリスを眺めている白いつなぎを着た整備兵を怒鳴りつける。明らかに士気が低い。クリスが最初に感じたのはそんなことだった。

 共和軍は北天包囲戦での敗北から、北兼軍閥との西兼の戦いでも魔女機甲隊に足止めを食らい、撤退を余儀なくされていた。中部戦線では人民軍の総攻撃が乾季にはあるとの噂が流れている。そして北兼軍閥と共に人民軍側につくことを表明した東海の花山院軍閥が動き出したという話は兵達まで噂になっているのは確実だった。そして共和軍の切り札ともいえるブルゴーニュ候の南都軍閥は現在東モスレム三派との小競り合いで次第に体力をそぎ落としていることも彼らの耳には届いているのだろう。

「安心しなさいよ!私等は話し合いに来ただけなんだから!シン少尉がアスジャーン師の親書を……」 

「うるさい!そこで静かに座っていろ!」 

 浅黒い肌の警備兵達が二人の東モスレム三派軍のパイロットを連れてこの狭い休憩所に入ってくる。叫んでいるのは若い女性パイロットだった。確かどこかで見たことがある。クリスはそう思いながら釣り目の少女の顔をちらちらと眺めていた。

「あら、簒奪者のところの記者さんかしら?」 

 そんなクリスの視線に気付いてあからさまな敵意をに向けてくる少女。言葉に敵意や殺意が乗ることがあるのは戦場を潜り抜けてきたクリスも良く知っている。この十五、六と言った少女は明らかにクリスに敵意を抱いていた。細い目に敵意を持ってにらみつけられるとクリスも自然と睨み返している。さすがに狭い部屋でにらみ合う相方の少女が気になったようで一緒に連れてこられた青年は彼女の肩に手を乗せてたしなめた。

「やめなよライラ。君の伯父さんもあの人々を救う為に話し合いに来たんだ!だから……」 

「何よ!ジェナンまで!あの男が話し合い?どうせこの基地を落とす機会を狙っているんでしょ?それに何もしないと思っても、この基地の戦力を偵察して攻勢に出た時の資料にでも……」 

 ジェナンと呼ばれた青年はライラという少女の頬に手を伸ばした。少女の言葉が止まった。

「ライラさん、で良いんだよね?失礼だが君のフルネームは?」 

「さすが記者さんは抜け目が無いわね。でも名前を名乗る時は自分から名乗るのが礼儀じゃないの?」 

 ライラの涼しい視線がクリスを打った。

「ああ、私はクリストファー・ホプキンス。一応フリーのライターで……」 

「アメリカ合衆国上院議員、ジョージ・ホプキンス氏の長男ですか」 

 ジェナンと呼ばれていた長髪の浅黒い肌の青年が言葉を継いだ。落ち着いているがライラに向ける気遣いとは異質な敵意を帯びた言葉が耳に響く。

「良くご存知ですね。じゃああなたから自己紹介を願えますか?」 

 クリスは青年に向き直った。

「僕はアルバナ・ジェナン。見ての通り東モスレム三派のアサルト・モジュール乗りです。そして彼女が……」 

「私はムジャンタ・ライラ。残念だけどあなたを乗せてきた人でなしの姪に当たるの」 

 クリスはようやくこの少女のことを思い出すことに成功した。

 ムジャンタ・ライラ。

 東海に拠点を持つ花山院軍閥は、ゴンザレス政権の登場と共に東和の支援を得て遼南共和国からの独立を宣言した。その皇帝に据えられたのはムジャンタ・バスバ。ライラの父、嵯峨の同じ母親を持つ弟である。

 二年前。北兼軍閥は人民政府に協力を求められ、花山院軍閥を攻めた。花山院軍閥は猛将として知られる花山院康永少将を中心に善戦するが、突然奇襲をかけた北兼軍閥の遊撃隊を相手に手痛い敗北を喫した。その部隊の攻撃指揮を取って花山院離宮を包囲していた嵯峨は、弟、バスバの引渡しを条件に兵を引くとの条件を出した。自身の保身の為、軍閥の首魁である花山院直永はムジャンタ・バスバの妻子を嵯峨に引き渡した。嵯峨は躊躇無く弟の首を落として東海街道に晒した。兄の翻心に激怒した康永はバスバの妻子を連れ東モスレムを頼って落ち延びて行った。それが嵯峨の悪名を高めた東海事変の顛末だった。

 そんな嵯峨の非情な裁可を知っていれば敵意むき出して、クリスの方を見つめてくるライラの気持ちもわからないではなかった。

「お湯持って来ました」 

 二十歳にも満たない共和軍の少年兵がポットと湯のみ、そして急須などをテーブルに置いてまわる。

「なぜ、あなたはあの人でなしの取材をしているんですか?」 

「やめるんだ、ライラ」 

「いいでしょ!私はそこの記者さんに用があるの」 

 強い調子でジェナンに言い放つと、ライラはクリスに迫ってきた。

「君はあだ討ちでもするつもりなのか?」 

 クリスの問いに少女はテーブルを叩く。

「当たり前よ!あの卑怯者は腰抜けの花山院直永を騙してお父様を殺したのよ!軍閥の頭目に収まってのうのうと暮らしている権利なんて無いんだわ!」 

 まわりの共和軍の兵士達は黙ってライラを見つめていた。彼等もライラとは同じ意見なのだろう。実際共和軍勢力下ではこの一連の血塗られた事件の顛末をまとめたCMが人民軍をこき下ろす為のネガティブキャンペーンとして流されていた。

「感情に流されているが言っていることはもっともな話だ。私も嵯峨と言う人物が持つ残酷さを取材する為にこの遼南にやってきたんだから」 

 クリスは少年兵に継がれた日本茶を口に含んだ。遼南の南部地方の茶畑は地球でも珍重される南陽茶の産地である。この甘みを含んだ茶を飲めることは遼南の取材を始めた時からの楽しみだった。だがライラの剥き出しの敵意を受けながら飲むお茶には味を感じることは出来ない。

「じゃあなぜそんな残忍な男の乗る特機なんかで取材にまわってるのよ!」 

 クリスの一息ついたような顔にライラの苛立ちはさらに募った。

『俺もだいぶあの昼行灯に毒されてきたな』

 そんなことを思いながらクリスは湯飲みをテーブルに置いた 

「そうだな。私もよくわからない」 

 クリスの言葉に、ライラの表情が侮蔑のそれに変わった。だが、クリスは言葉をつないだ。

「しかし、彼は王族の伝を使うことなく徒手空拳からこの北兼台地の北に広がる地域の軍閥の首魁となった。そして彼を慕う多くの兵士達が今も戦っている。その理由を私は知りたいんだ」 

 クリスはそう言うとライラの顔を見た。戸惑いのようなものがそこにあった。クリスは彼女に多くを語るつもりは無かった。戦場で、憎しみと悲しみを経験した人々を取材しながら得た作法。彼ら自身が今の自分を落ち着いてみることが出来なければ語りかけるだけ無駄なことだ。そんな教訓が頭の中をよぎっていた。

 じっとクリスをにらみつけるライラ。だが、今の彼女には何を言っても無駄だとあきらめ、クリスは再び自分で急須にお湯を入れた。

「難民の状況はどうなんですか?」 

 ジェナンと言う東モスレム三派の士官は、落ち着いた調子で自分達を取り巻いている兵士達に声をかける。兵士達は困惑していた。彼らも今の状況を把握できてはいないのだろう。

「増えてはいるが減る見込みは無さそうと言うのが現状だな」 

 ジェナンの言葉を扉の向こうで聞いていたらしい通信部隊の士官と思われる、いかつい体格の男が現れた。兵士は彼に敬礼をする。

「クリストファー・ホプキンスさん。お目にかかれて光栄ですね」 

 口ひげを蓄えた男は右手を差し出した。

「どちらで私のことを?」 

「西部に向かったアメリカさんの部隊が軍の機関紙を残していきましてね、暇に任せて読んでみたんですが……」 

 男は静かに笑みを浮かべた。半袖の勤務服から伸びる腕に人工皮膚の継ぎ目が見えるところから、サイボーグであることがわかる。

「お名前聞いてもよろしいでしょうか?」 

「一地方基地の将校の名前なんか聞くのはつまらないでしょう?」 

 どこかなれなれしい調子で話しかけてくる男にクリスは興味を覚えた。

「一応、読者の意見と言うものも聞かないといけないと思っているので」 

 そんなクリスの言葉に、どこか棘のある笑みを男は浮かべた。

「成田信三って言います。ここの通信施設の管理を担当していましてね」 

 男は目をライラの方に向けた。ライラの目は憎しみに燃えた目と言うものの典型とでも言うべきものだった。

「通信関連の責任者ならご存知でしょう。難民の方は……」 

「ジェナン君。聞いているよ君の噂は、なんでも北朝の血を引いている東モスレムの若き英雄。いいねえ、若いってことは」 

 そう言いながら成田は部屋の隅に置かれた紙コップを手に取ると、自分の分の茶を注いだ。

「難民の北兼軍閥支配地域への移動を支援すると言うことでまとまってきてるよ、話し合いは。上を飛んでる東和の偵察機の映像がアンダーグラウンドのネットに流出して大騒ぎになってるからな。もし、ここの検問で銃撃戦にでもなったら基地司令の更迭どころじゃ話がすまなくなりそうな状況だ」 

 成田は悠然とそう言うとクリスの正面に腰を下ろした。

「しかし、ライラ君だったかね。そんなに嵯峨と言う男が憎いかね」 

 成田は茶を口に含みながらつぶやいた。

「父の仇ですよ!……憎いに決まってるじゃないですか!」 

 ライラはクリスに当り散らした後で、少しばかり冷静にそう答えた。

「殺されたから殺す。悲劇の連鎖か。あの御仁にも娘さんが二人いたと思ったが、今度は君が彼女達に狙われることになるわけだな」 

 一瞬、ライラの表情が曇った。そのようなことは考えたことも無い、そう言う顔だ。クリスは何故成田がそれほど嵯峨の肩を持つのか不思議に思いながら二人のやり取りを眺めることにした。

「それは……覚悟してます」 

「本当にそうかね?今の今まで気がついていなかったような感じに見えるけど」 

 ライラは戸惑っていた。伯父の双子の娘、茜と楓。クリスは嵯峨の執務机の上、いつも荷物の下に隠してある写真のことをクリスは知っていた。そこには大戦中に取られた嵯峨と妻のエリーゼと双子の乳飲み子の写真と、くたびれた背広を着込んだ嵯峨を挟んで立つセーラー服の少女と胡州海軍高等予科学校の制服を着た少女の写真が並んでいた。

 嵯峨の妻、エリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨は前の大戦の最中、戦争継続に反対する嵯峨の義父、西園寺重基を狙ったテロにあい死亡していた。セーラー服の少女は嵯峨茜。現在は東和の女学院高等学校付属中学に通っているという。予科の制服の妹、楓は胡州海軍第三艦隊で研修中だとクリスは話好きな楠木から聞いていた。

 ライラも二人の従妹のことは知っているようだった。明らかにそれまでの憎しみばかりに染まっていた視線はうろたえて、成田とクリスの間を泳いでいる。

「迷うなら見てみることだな。嵯峨と言う人物を。それから考えても遅くは無いだろ?」 

「あなたは何でそんなに嵯峨惟基の肩を持つんですか?」 

 肩を震わせながら、ついにうつむいたライラはそう言った。

「なあに、人間長く生きていればいろいろ学ぶこともあるということさ。この三十年。遼州ではいろんなことが有り過ぎた。嫌でもなんでも覚えちまうんだよ、心がね」 

 そう言うと成田は茶を飲み干してそのまま立ち上がった。

「さあて、仕事でもするかなあ。もう会合も終わったみたいだしね」 

 軽く歩哨達に敬礼すると成田はそのまま待合室から出て行った。

 クリスはライラの方に目をやった。彼女は明らかに迷っていた。それも良いだろう。若いのだから。クリスはそう思いながら急須にお湯を注いだ。

 成田と入れ違いに入ってきた将校は、静かにクリス達を眺めていた。その極めて事務的な感情を押し殺した顔に嫌悪感を感じながらもクリスは茶をテーブルに置いて立ち上がった。

「会談は……」 

 目だけでクリスを見つめる将校。

「今、終了したところだ。難民の誘導は君達に一任することになる」 

 忌々しげに吐き捨てるその浅黒い肌の小男に、クリスは言いようの無い怒りを感じながらも、そのまま黙って歩き回る彼を見つめていた。

「すべての元凶は東モスレムのイスラム教徒達にあるわけだが……」 

「いえ、言葉は正確に言うべきです。あなた方と同じ命令系統で動いた親共和軍派のイスラム系民兵組織の行動と言うべきですね」

 ジェナンの声が鋭く響いた。クリスはそれが先ほどまでライラをたしなめていた温和な青年の言葉とは思えず、ジェナンの顔をまじまじと見つめた。

 小男は鋭く視線をジェナンに向けた。

「すると、君はすべての責任は共和軍にあると言うのかね?」 

「違いますか?」 

 ジェナンの笑み。それは明らかに小男を挑発していた。

「大体、東モスレムの独立など無理なんだ!資源はどうする?経済は?すべて我々遼南に依存することになるんじゃないか!」 

「遼南だけが東モスレムの頼みではありませんよ。最近では内乱の続く遼南ルートよりも西モスレムからのルートで貿易が行われていますから」 

 静かに、冷静に、若いジェナンの言葉は待合室に広まった。小男の顔が赤く染まり始める。言うことすべてを切り返されている彼。クリスもこういう短絡的な士官には泣かされてきたということもあり、ニヤニヤ笑いながら小男の次の言葉を期待していた。

「こらこら、いじめちゃあ駄目じゃないですか」 

 突然間抜けな声が響いた。嵯峨だった。クリスはライラの方を見つめた。先ほどの戸惑いは消え、憎しみに満ちた視線を嵯峨に向けて送っている。その後ろから髭を蓄えた若いアラブ系の青年が現れた。

 アブドゥール・シャー・シン少尉。東モスレム三派のプロパガンダ映像では何度と無くその勲功と共に掲げられた写真を見てきたクリスだった。

「難民の誘導はジェナンとライラ、それにここには居ないがナンバルゲニア・シャ……」 

「居るよ!」 

 突然彼らの背後で元気な少女の声が響いた。そこにはシャムがいつもの民族衣装を身に着けて、なぜかメロンパンをかじりながら立っていた。

「おい!後ろのはなんだ!」 

 ライラが叫ぶのも無理は無い。シャムの後ろには熊太郎が巨体を揺らし、ライラをにらみながら鎮座していた。

「ああ、この子は熊太郎。太郎って名前だけど女の子なんだよ」 

 シャムは無邪気にそう答えた。じっとシャムはライラを見つめる。ライラも負けじとシャムをにらみつけた。

「ああ、良いかね」 

 話を切り出したのはシンだった。髭を撫でながら静かな調子で話し始める。

「ライラ、我々の目的を忘れないでいてくれよ。目的は敵討ちでも議論でもないんだ」 

 シンの目がライラを捉える。彼女は上官の面子を潰すわけにも行かず、黙ってうつむく。

「現在、この基地の兵員が給水車を手配して難民に支給を始めている。ここでの暴発はとりあえずすぐには起きないだろう。それは専門家もそう分析している」 

 今度はシンの視線は嵯峨の方を向いた。水の支給と言う懐柔政策。おそらく嵯峨が提案したのだろうとクリスは思った。

「だが、ここから北兼軍の支配地域までの50キロの道のりは共和軍支持の右派民兵組織の支配下にある。残念だが、ここの基地司令には彼らに攻撃停止命令を出す権限がないということだった」 

 その言葉に共和軍の兵士達は動揺していた。シンは淡々と言葉を続ける。

「しかし、難民に対する攻撃にはこの基地の所属部隊には毅然とした態度を取ってもらうということで話はまとまっている。そこでだ。ジェナン!ライラ!」 

「はい!」 

 二人は立ち上がって直立不動の姿勢をとった。

「君達は先行して脱出ルートの安全の確保を頼む。攻撃があった場合には全力でこれを排除するように」 

「了解しました!」 

 ジェナンは良く通る声でそう答えた。ライラは腑に落ちないような表情を浮かべていた。

「そしてナンバルゲニアくん」 

「シャムで良いよ!」 

 メロンパンを食べ終えて一息ついていたシャムに視線が集まった。

「君は最後尾について脱出の確認をしてくれたまえ」 

「了解しました!」 

 シャムは最近覚えた軍隊式の敬礼をした。

「私は上空で待機する。今回の行動は人道的な処置として東和政府にも話がつけてある。彼らも偵察機と攻撃機を派遣して右派民兵組織の襲撃に備えてくれるそうだ。そして嵯峨中佐」 

「はい?」 

 相変わらず間抜けな返事をする嵯峨。

「先行して受け入れ準備をお願いします」 

「ああ、まあ俺が直接顔を出さなきゃならないこともあるでしょうからね」 

 そう言うと嵯峨はタバコに手を伸ばした。

「ライラ」 

 嵯峨はタバコに火をつけながら彼をにらみつけている少女の名前を呼んだ。少女は気おされまいと必死の形相で嵯峨をにらみつけている。恐怖、憎悪、敵意。そんな感情を鍋で煮詰めた表情。クリスはそれがどの戦場で同じ目を見たかを思い出そうとした。

「すまねえな。俺はしばらくは死ねねえんだ」 

 嵯峨はそう言ってタバコの煙を天井に吐き出す。その姿にライラは肩を震わせながら精一杯強がるような表情を浮かべた。

「しばらく?どこかの誰かに八つ裂きにされるまでの間違いじゃないの?」 

 声を震わせて皮肉をこめてそう言うライラに、いつもの緊張感のかけらも無い嵯峨の視線が向く。

「安心しろよ。俺はそう簡単に討たれるほど馬鹿じゃねえからな。この戦争が終わったら俺のところに来い。この首やるよ」 

 そう言いながら嵯峨は自分の首をさすった。それだけ言うと嵯峨はポケットから携帯灰皿を取り出してタバコをもみ消した。

「さあホプキンスさん。出かけましょうか」 

 振り向いて歩き始める嵯峨。唖然とする一同を振り向くことも無く自分の愛機に向かって歩き出す。

「本当にそのつもりなんですか?」 

「何がですか?」 

 クリスの言葉にとぼけてみせる嵯峨。とぼけた表情で悲しく笑う嵯峨。広い舗装された基地を嵯峨は刀を腰の金具から外して肩に乗せて歩く。

「ホプキンスさん。あのね……」 

 検問所の前に給水車が並んでいる。難民は共和軍の兵士達から水の配給を受けていた。

「まあ口に出しても嘘っぽいから止めとこうかと思ったんですがね、一応俺も人間なんで言わせて貰いますよ」 

 そう言うと嵯峨は路面に痰を吐いた。品のない態度にいつものようにクリスは嵯峨をにらむ。

「この国には、こんないかれた騒ぎであふれかえっていやがる。親子が憎みあい、兄弟が殺し合い、愛するものが裏切りあう。遼南の現状とはそんなもんです。俺もその運命には逆らえなかった」 

 四式の前で立ち止まる嵯峨。彼はただ呆然と自分の機体を見上げていた。

「俺の首一つでその悲劇が終わりになるなら安いもんでしょ。ホプキンスさん。こう考えることは間違ってますかね?」 

 嵯峨の視線がクリスを射抜く。その視線はこれまでのふざけたような影はまるで無かった。父には玉座をめぐり命を狙われた。妻は故国の正義を信じると言うテロリストに殺された。弟は政治的駆け引きに利用されることを恐れて殺さざるを得なかった男の視線。それはクリスが見たどんな人物の瞳とも違うものだった。

 言葉が出なかった。クリスはただ黙っていた。そのまま四式の手を伝ってコックピットにたどり着いた嵯峨が、後部座席に乗るはずのクリスを待っていた。

「私には答えられませんよ。あなたに比べたら私は幸せすぎたかもしれませんから」 

 そう言って立ち尽くすクリスを呆れたと言うように肩を落として見つめる嵯峨。

「あのねえ、俺は自分を不幸だとは思っていませんよ。楽があれば苦がある。それが人生。それで良いじゃないですか」 

 後部座席に乗り込むクリスにそう言いながら、嵯峨はいつもの帽垂付きの戦闘帽を被りなおした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?