遼州戦記 播州愚連隊 動乱群像録 4

 赤松の屋敷に住み込むようになって明石は自分がかなり丸くなったのを感じてきていた。
 用心棒と思っていた赤松家の暮らしだが、元々先の大戦での英雄である赤松忠満准将の用心棒を買って出る士官は海軍に数知れなかった。おかげで明石は週に三度の別所達を仮想敵としてのアサルト・モジュール3式の実機訓練の他にも帝大法科の講義を聴講し、海軍大での佐官任官試験の為に必要な座学の単位を着実にためる毎日を送ることができた。
 そうして軍に戻って一年。あっという間に時間が過ぎていくのを感じていた。だが回りを見回せば、時代がきな臭くなるのを肌に感じることが多い日々だった。烏丸内閣と野党指導者西園寺基義は正面を切っての政争に動くことは無かった。実に奇妙な個性がそれを阻んでいた。
 保科家春と言う枢密院議長を務める人物、彼の弟で西園寺の後見とも言えた大河内元吉が病に倒れていることで西園寺派は本格的な倒閣運動を行なうことも無く状況を静観していた。それが遼南で人民軍の内戦での英雄として担ぎ上げられた嵯峨惟基がクーデターで遼南の実権を握ったと言う事件が状況の緊迫を煽ることとなった。
 烏丸頼盛は西園寺基義の弟の遼州皇帝即位に脅威を感じて、これまで対地球と言う意味で封印していた貴族制度の維持に関する法案を矢継ぎ早に提案してはそれに反対する西園寺基義の影響下の議会を空転させることになり、そのたびに議長の保科家春が間に入り調停を行うと言う流れが毎月のように繰り返された。
 そんな決まりきった政治のルーチンワークが繰り返される度に明石は次第に周りの軍関係の人間の態度が硬化していくのを感じていた。
 赤松家には西園寺派の海軍将校が絶えず出入りし、陸軍でも西園寺家に近い醍醐将軍のシンパが出入りすることも多くなっていた。別所達と連れ立って町に飲みに出かければ喧嘩をしている将校は西園寺派か烏丸派と言うのが普通の話だった。店もそれを知ってか、赤い提灯を下げている店が烏丸派で白い暖簾を下げているのが西園寺派と店まで分けるような根深い対立に波及していた。
 そんなある日のこと、非番で部屋で法律書と格闘していた明石の部屋のふすまを許しも得ずに開くものがいた。
「おい、聞いたか?」 
 それは魚住だった。明石はめんどくさいと言うように振り返り、浴衣の襟をそろえて難しそうな面をしている魚住を見上げる。小柄な魚住とはいえ、机の前の座布団に正座している明石よりははるかに高い。だが、そのまま魚住は明石の視線に目を合わせるようにして息を整えた。
「なんや、騒ぐだけ騒いでだんまりかいな」 
 明石の言葉を無視して呼吸を整える魚住。
「いいか、落ち着いて聞けよ」 
「それよりお前が落ち着かんかい」 
 明石の皮肉に口元を緩める魚住。
「遼州の……政務軍事同盟が発足した」 
 魚住の言葉に明石はただ意味が分からないと言う顔をして見せるしかなかった。
「魚(うお)の字。同盟?どことどこが同盟を結んだんや?遼州ってもいろいろ国があるやろ……それに状況がつかめんのやったらテレビを見たほうがましやん」 
 そう明石に言われて気がついたように頭を掻く魚住。
「まあ、順を追って話すぞ。まず先週、嵯峨の大公が遼南皇帝に即位しただろ?」 
「兄貴の西園寺公が烏丸首相に即位式に出るなって噛み付いてもめた件か」 
 明石はそこまで聞いて嫌な予感に包まれた。西園寺兄弟。兄西園寺基義と弟嵯峨惟基は犬猿の仲と思われていた。西園寺の家中が基義と一蓮托生と覚悟しているのに嵯峨家家中は筆頭の被官、地下家の佐賀高家は烏丸派でも有力な勢力を保ち、その弟で分家の醍醐文隆は西園寺基義の陸軍における橋頭堡のような立場だった。嵯峨家の領邦は胡州の人口の半分を占める大身である、その帰趨が大きな意味を持っていることは明石も十分承知していた。
「言い出したのは遼南皇帝嵯峨……今はムジャンタ・ラスコー陛下だな。そして内戦中に懇意だった遼北人民共和国も加入の宣言をした。さらに東和共和国まで発足宣言を出しる。そしてそのまま三首脳の連盟の声明で現在遼州星系の各国に参加を要請中だ。遼州の衛星の大麗民国と崑崙大陸西部の西モスレム首長国連邦は現在事務手続き中、ベルルカン大陸や南方諸島の小国もほとんどが加盟を公言しているぞ」 
 ようやく座布団を取って腰を落ち着けた魚住を明石はめんどくさそうに見つめた。
「なんや、みんな仲良くってことやんか?ええこっちゃ」 
 そう言って再び机に向かおうとする明石の肩を叩く魚住。
「馬鹿野郎!そんな単純な話じゃないぞ!烏丸内閣は加盟に向けての法制度の整備に動き出した」 
「だから良いことやん」 
「いいから、聞けよ。烏丸首相の狙いは地球から押し付けられた身分制度改革の白紙撤回だ。同盟に参加すれば地球から押し付けられた約束は反故にしてもかまわないと言う世論が形成される。そうなれば……」 
「俺達は失業だ。貴族の腰ぎんちゃくになりきれない兵士はお払い箱だろうな」 
 そう言って入ってきたのは別所だった。珍しく気を利かせたように一升瓶を抱えた黒田が続いてくる。
「なんでや?みんな仲良う遼州同盟。仲良きことは美しきかなって言うやん」 
 明石も本気でそうは思ってはいなかったがつい不機嫌にそうつぶやいていた。
「再び敗戦前の貴族の栄光を手に入れようって奴が旗を振っているとしてもか?無理だな。それまで下級貴族が担ってきた官僚制度はすでに平民に開かれている。軍もそうだ。もはや貴族の特権は年金と一部の名誉職の優先権くらいだ。どちらも国家の益になると言うより無駄な出費と言った方が的を得ている。烏丸政権の政策では同盟のお荷物になるのが目に見えているぜ……それ以前に門前払いで『やはり胡州は孤高の大国だ』とか変な自画自賛がネットで駆け回るんじゃないか?」 
 そう言いながら別所が腰を落ち着ける。着いてきた黒田が茶碗を配る。そして酒瓶を受け取った魚住がそれを注いで回る。
「その同盟のスローガンが問題やな……その嵯峨って男はどうなん?」 
 明石はそう言うと別所を見つめた。二年前まで行なわれていた遼南内戦中に別所は嵯峨の動向を探るために遼南に潜入した実績があることは話に聞いていた。
「わからん」 
 それだけ言うと別所は酒を煽った。明らかに理知的な医師の資格を持つ別所らしくないところを見つけて明石はこの冷静な男が焦りを隠せないでいることを見抜いた。
「しかし……嵯峨大佐は本来胡州の軍人だ。それなのになんでそれなら胡州を真っ先に誘わないのかね。烏丸派の貴族の復興が不可能で兄貴も信用が置けないなら同盟参加を呼びかけたら烏丸さんはほいほい付いてくるぞ。しかも西園寺卿は頭の切れる人だ。今、胡州に楔を打てば遼南の同盟内部での政治的地位は高まるだろうしな……まあ胡州は加盟の条件で揉めて自滅することは必至だが」 
 魚住の言葉に黒田も頷いた。権力基盤が脆弱な遼南朝廷にとって外交での成果は政権の、いや国家の存亡にかかわる重大事件のはずである。胡州に同盟参加を持ちかけたとすれば西園寺派が議会を動かして時期尚早で拒否するにしても、烏丸派が治安部隊でも動かして議会を先に制圧して加盟を強行したにしても、遼南は不安定な胡州を批判しながら一気に遼州同盟内部での主導権を握ることができる可能性も残されているはずだった。外交の勝利が脆弱な支持基盤を強化することになる。そんな政治的常識は四人とも十分に理解していた。
 明石はしばらく目をつぶり黙り込んだあと、頭の中で物事を整理した。
「単純に考えようや、どうせ胡州の首相は一人しか椅子が無い。そこに今烏丸頼盛言う人が座っとるが、それより実力のある西園寺基義言う人がそこに座りたいと思っとる。ならどうなる?」 
 明石は噛んで含めるように魚住に言った。そしてしばらく考えた後、魚住は明らかに沈痛な面持ちへとその表情を変えた。
「今は無理だな……と言うかどちらも動けないだろう。保科家春と言う御仁がいる。西園寺派でも醍醐さん陸軍の一派は前の大戦の休戦協定で助けられた恩がある。さらに問題なのは大河内家の被官連だ。大河内卿が療養中の今、事を起こしても足並みがそろわないことになりかねない」 
 別所の言葉にじっと耳を澄ます黒田。部屋の雰囲気が暗くなる。すでに明石達が政治に口を出せばろくなことにはならないと自覚していた。だが黙っていることができるほどおとなしくはなれないと思うと明石は禿げ頭を叩く。
「保科家春。面白そうな爺さんやのう。いつ喧嘩を始めるか分からん切れ者二人を黙らせる。大した御仁なんやな」 
 そう言って笑う明石を見て、不意に別所の顔がまじめになった。
「それなら会って見るか?」 
 突然の話に魚住が噴出す。しばらく咳き込み動けなくなる彼の背中を明石がさすった。
「なんでそうなる!枢密院議長だぞ!相手は。そんな急に……」 
「別に今すぐ会うなんて言ってないぞ。ただ、赤松の親父のコネを使えば会えないことも無いという話だ。まあじっくり部屋でも借りてとは行かないだろうがな」 
 そう言って別所は酒を口に含むようにして進めた。
「問題の本質を知っていそうな人間に会う。それええなあ。うん、実にええことや」 
 明石はひざを叩きながら頷く。その笑顔に触発されたように黒田も珍しくコップのそこに少しだけたらした酒を舐めた。そしてすぐに顔が赤くなる様は非常に滑稽で今度は明石が酒を噴出しそうになった。
「いつ頃会える?出来ればワシ等四人で会うのが一番なんやけど」 
「そう急くな。あの方もなかなかお忙しい方だ。明日で枢密院の通常会議は閉会だ。その後は陸軍関係の視察の予定が入っていたはずだから……その後は、どれも私的な勉強会か。保科さんらしいな」 
 胸のポケットから取り出した携帯端末をにらむ別所。
「おい、はじめからそれが狙いか?俺達を誘ってお偉いさんに意見する。まあ楽しみって言えば楽しみだけどな」 
 魚住の言葉を無視して端末のモニターをいじる別所。
「辞めとけ。昔からコイツはひねくれとった。いつだって勝負球はこちらの読みの裏をかいてくる」
 そう言う明石を情けない目で見つめる別所。だが、明石は自分の口に笑みが浮かんでいるのを自覚していた。
「そうだな、来週の金曜の午後は海軍省の視察だそうだ。そこで非公式な懇談会が催されると言う話だからそのときに良い席を取るように手配しとくか」 
 別所の手配の早さに舌を巻きながら見つめる明石。赤ら顔の黒田を見るとつい面白くなってそのグラスに酒を注いでしまった。
「それじゃあ、今日は飲むか!」 
 そう言って一升瓶に手を伸ばす別所を見て明石は立ち上がった。
「どうした?便所か?」 
 魚住の言葉に首を振る。
「つまみが欲しいなあ思うてな。ちと貴子さんに頼んでくるわ……!って」 
 部屋の戸を開けるとそこには少女が立っていた。手にした盆にはエイヒレと四つの酢の物の小鉢が入っている。それは赤松邸のマスコットである赤松直満だった。
「お嬢。気いきくやないか」 
「お母様が持っていけって」 
 赤松直満はにっこりと笑うと巨漢の明石に盆を渡した。
「有難うな!お嬢さん!」 
 魚住が叫ぶのを聞くと顔を赤らめて直満は廊下を走って消えていった。
「つまみもある。酒もある。じゃあ飲むしかないな」 
 そんな別所の言葉に三人は頷くとそれぞれ自分の小鉢と皿に手を伸ばした。

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